第三章 結婚と綻び

 恋愛の昂揚の勢いで結婚することは、革命の英雄を皇帝に祭り上げるのに似ています。昂揚が大きければ大きいほど、それだけ、幻滅と後悔も大きいからです。


 ピエトロは、カテリーナに熱烈に恋をしました。お互いの立場上、あまり頻繁に会うことはできませんでしたから、そのぶん、久しぶりに社交の場で顔を合わせることになると、周りの目も気にしながら、胸の高鳴りをどうにかして隠そう隠そうと思いながらも、舞い上がって至上の喜びに身をゆだねてしまうのでした。


 周りの目も、ピエトロの恋の昂揚を止めることはできませんでした。それどころか、火に油を注ぐようなところさえあったのです。家庭教師のうち気のいい幾人かは、ピエトロがカテリーナに夢中なのはもうわかりきっている、とでも言いたげな様子で、夜会の前の日の授業で、カテリーナが好きだという詩の一篇を題材に取り上げてくれたり、カテリーナの気を引くのに役立つような小粋なジョークを教えてくれたり、カテリーナが好きな舞曲のステップやターンのレッスンを重点的に行ってくれたり、したのでした。宮廷内のあらゆる目線が、ピエトロの恋を応援してくれているような気がして、それでますますピエトロは恋に邁進していきました。


 結婚の申し込みはあっけないほど簡単に済みました。ある晩餐会のお開きになる間際、リチア様に申し出たら、「願ってもないこと」と快諾してくれたのでした、「ただし、カテリーナ本人がうんと言ったら、ですが」。そして、カテリーナもすぐにその場で、喜んでその申し出を受け入れてくれたのです。


 式典の準備に追われ、国中を挙げて盛大な結婚祝賀祭を行い、新婚旅行に出かけて、帰ってくるまでが、ピエトロの幸せの絶頂でした。この美しい女性が自分の妻、それを国中が承認し、国中が祝福してくれる。ぼくとカテリーナがこの国の未来を背負って、いい国にしていくんだ。そんな、夢のような思いに浮かれているうちに、現実の結婚生活はすぐそこまで迫っていました。


 最初の綻びは、やっぱり社交界のシーンで現れました。


 カテリーナは母親譲りで顔の広い社交的な女性でした。それで、王妃に就任してからは、今までリチア様が担ってきた社交界の中心という役割を、少しずつ引き継いでいこうとしました。つまり、頻繁に舞踏会や晩餐会を開いて国中の有力者を招き、彼らと友誼を深めようとしたのです。


 ところが、上流階級のしきたりにまだ疎いピエトロ国王がへまをやりました。商家の成り上がり貴族相手に、経済学の自説を論じてしまったのです。しかも、それは相手の貴族のやってきた商売を非難するような内容になってしまいました。もちろんピエトロ国王にそのつもりがあったわけではありません。彼は日ごろの経済学の勉強から、国をよくするためにどうするべきかというふうに自分の頭で考えたことを素直に口に出したのですが、それが運悪く、目の前の相手の目指す方向とは全く反対だったのです。商家の貴族は顔を引きつらせて苦笑し、国王に何か反論しようとしましたが、そこへカテリーナ王妃が割って入って話題を転換し、その場はどうにか収まったのでした。


 晩餐会の後、カテリーナ王妃はピエトロ国王を激しくなじりました。


「何という愚かな真似をしてくれたのですか! あなたの考えなしの発言のせいでわたくしが招いたお客様に不愉快な思いをさせてしまったら、それはわたくしの落ち度になってしまうのです! 先ほどのあなたの言葉でわたくしたちへの信頼と親愛がどれだけ急落したかお分かりになりますか? 口を開く前に少しは頭を使ってくださらないと、心臓がいくつあっても足りませんわ! あなたが公の場に姿を現すたびに、馬鹿なことを口に出しはしないかとひやひやさせられるのは御免です!」


 また別の晩餐会では、国王の挨拶の口上で失敗しました。日ごろの支援に感謝を述べるところで、何々家の皆様、某々家の皆様、というふうに参加者の家をひとつひとつ数え上げていくのですが、その時に、大切な侯爵家をひとつ、言い忘れてしまったのでした。忘れられた侯爵は、おどけて「私もいますぞ!」と挙手し周囲の笑いを誘ったのですが、ピエトロ国王は冷や汗をかいて無礼を謝り、その後ろでカテリーナ王妃は顔を真っ赤にして俯いていました。


 これに似たことが何度もあって、そのたびにカテリーナ王妃はピエトロ国王を厳しく叱りました。ピエトロは、次第にカテリーナ王妃を避けるようになっていきました。カテリーナ王妃の目の前に出ると委縮してしまうようになったのです。


 こうなると、夜の生活にも影響が出てきました。王妃を抱こうと思っても、うまくいかないのです。勃たせなきゃ、勃たせなきゃと焦れば焦るほど、うまくいきませんでした。加えて、カテリーナ王妃のほうでも、ピエトロ国王に対する軽侮の色を隠そうとはしませんでした。ピエトロ国王の中では、カテリーナ王妃に対する愛情よりも、怖気づいて敬遠する気持ちのほうが強まっていきました。


 また夜伽がうまくいかなかったある晩、ピエトロはカテリーナに切り出しました。


「カテリーナ、君の寝室を訪れる頻度を、減らそうと思います」

「一応聞いておきますが、どうしてです?」

「身体的な理由からです。少しインターバルを開けたほうが、たぶんこれが、うまく機能するので」


 ピエトロは自分の性器を指して言いました。心理的な問題ではなくて、身体の一部が機能していないだけなのだということを強調しようとしたのです。


「違いますわね。あなたは、わたくしに幻滅したのです。もっと従順で三歩下がってついてくるような女だと思っていたのでしょう」

「いや、そんなことは…その」

「王ならばもっとはっきりものを言ってくださいと先日も進言したばかりでしょう。口ごもるのはおよしなさい」

「う…うむむ。幻滅したなどということはありません。君には今でも変わらず愛を抱いています。それは信じてほしい」

「わかりましたわ。どのぐらいの頻度でいらしてくださいますの?」

「週に一度。日曜日の夜に来ることにします」

「わかりました。寂しくなりますけれど、お待ちしていますわ」


 カテリーナは別段寂しそうな様子を見せず、口だけでそう言いました。


 次の日曜日の夜も、さらにその次の日曜日も、やっぱり夜伽はうまくいきませんでした。ピエトロ国王が悄然として服を着なおすと、カテリーナ王妃は手をたたいて侍女のアリスを呼びました。


「アリス、あれを持ってきて頂戴」

「かしこまりました」


 侍女のアリスは「あれ」だけで意図を察した様子で、奥へ向かいました。


「ピエトロ様、あなたの子種が、王室の存続において重要な意味を持っていることは、もうお分かりですわね?」

「ええ、わかっています」

「わたくしたちは、何としてでも子をなし王家の血筋を伝えていかなければなりません。逆に、あなたがよその女と子をなすようなことがあれば、王室の秩序は乱れ、もはや立て直すことはできないでしょう。これもわかっていただけますか」

「ええ、わかります」

「いつまでたってもわたくしが妊娠しないとなれば、社交界はあなたの浮気を疑うことになります。そのようなゴシップが流布すれば、社交界で身動きがとりづらくなることは、想像できますね?」

「ええ、ありありと」


 ちょうどそのとき、侍女のアリスがYの字の形をした、革と金属でできたベルトを二組、持ってきました。


「これはご存知かしら。貞操帯と言って、かつて教会の遠征軍に参加する兵士たちが、郷里に残していく妻の浮気を防ぐために着用させたというベルトですわ」

「いや、初めて見ました」


 ピエトロは、かつての教会の遠征軍のことは家庭教師に教わって知っていましたが、そのベルトを見たことはありませんでした。カテリーナの説明によると、それは貞操帯というもので、着用者の性交を禁じるものだそうです。お互いにそれをつけて生活するべきだ、とカテリーナは主張しました。それは施錠できるようになっていて、それぞれが相手の鍵を保管する。万一の時のために、侍女のアリスに予備の鍵を持たせることにする、というのです。


 ピエトロは断る理由が見つかりませんでした。毎晩の交わりでうまく勃起しないことに対して、負い目もありましたし、はっきりと口には出さないもののカテリーナ自身も浮気を疑っている様子はピエトロにも伝わってきていました。貞操帯の着用はお互いのことでしたし、これを拒否するのは浮気をするつもりがあると言っているようなものだとピエトロは考えました。


 ピエトロはその提案を承諾しました。侍女のアリスが二人の股間をシャボンと蒸留酒で清拭し、その場で貞操帯に施錠しました。

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