第二章 舞踏会

 一年間は服喪の期間です。ピエトロにはまた家庭教師たちがたくさんついて、大急ぎで国王の教育が進められました。経済や軍事の分野ではめきめきと才能を発揮したピエトロでしたが、下町暮らしで染みついた卑屈そうな猫背だけはなかなか直りませんでした。


 喪が明けたら、新国王ピエトロ・シモーネの次の仕事は、各方面への挨拶回りです。といっても、まさか国王が手土産を持って訪ね歩き頭を下げて回るわけにはいきませんから、あちこちから招待される夜会に出席して、顔を見せ、社交界の有力者と仲良くなっておくのです。「これが国王の地位を盤石にするための最も確実な方法です」と補佐官マルティーノは言いました。


 特に社交界に絶大な影響力を持っていたのが、北の方・つまり前国王の王妃様・新国王ピエトロから見れば義母にあたる、リチア様でした。リチア様その人自身にはとくべつ何事かを動かす権力があるわけではないのですが、マルティーノの説明するところによると、リチア様は、様々な業界の有力者と広く深く交友があるため、リチア様が開く夜会や舞踏会に参加して有力者とつながりを得ることが、どの業界の人にとっても、成功の早道なのだそうです。言ってみれば、リチア様はいろいろな有力者と仲が良いので、有力者になろうとする人はリチア様と仲良くなろうとするのであり、リチア様と仲良くなることができた人が有力者になれるので、そういうわけでリチア様は社交界で絶大な影響力を持っているのでした。


 リチア様は、喪が明ける前から、マルティーノ補佐官と頻繁に書簡を交換して、ピエトロ新国王を舞踏会に招く段取りを綿密に計画していました。ピエトロは社交界のマナーがからっきしでしたから――幼少期を繁華街の喧騒の中で過ごしたピエトロに、いくら家庭教師が教え込んでも、上流階級の作法は一朝一夕で身につくものではありませんでした――、事前に舞踏会の進め方を打ち合わせておいて、計画通りにピエトロ国王が振る舞えるようにと気遣ったのでした。国王の挨拶の口上から演奏曲目のセットリストまで、リチア様とマルティーノは一分の隙もなく舞踏会の段取りを詰めました。どのタイミングで何を言い、誰とどう踊ればよいか、そういったことは全てきっちりと決まっていました。


 舞踏会当日、ピエトロは、一目で国王とわかる見事な晴れ着でリチア様の宮殿を訪れました。馬車を一歩降りたところから、全ては事前の打ち合わせ通りに事が運びました。お膳立ての通りに歓待を受け、お膳立ての通りの口上を述べ、お膳立ての通りに舞踏会を楽しみました。


 お仕着せの振る舞いとはいえ、ピエトロは舞踏会を楽しみました。即位と同時に服喪期間が始まったので、国王としての生活には、今まで何一つ派手なことがなかったのです。それが今夜はどうでしょう、おびただしい数のろうそくに照らされたきらびやかなダンスホールに、色とりどりのドレス、背中や肩を露出した美しい女性たち、優雅な室内楽団の演奏、そして、誰も彼もが新国王ピエトロ・シモーネの門出を祝福してくれているような、温かい雰囲気。ピエトロは夢の中にいるような高揚感を味わっていました。


 舞曲が止み、楽団が落ち着いた曲調の古楽を演奏し始めました。ピエトロは教わっていた通り、階段の上のソファ席に移動しました。そこにはリチア様と財界の有力者がいるはずで、和やかに歓談を運ぶことになっていました。


 ところが、ソファ席にいたのは、リチア様と、その娘のカテリーナでした。


 カテリーナは、前国王とリチア様の間に生まれたたった一人の娘でした。ピエトロよりも二つ年上で、25歳でした。もし、前国王が亡くなり、ピエトロが王位を継ぐことを断っていたとしたら、たった一人の王女カテリーナが近隣の諸侯から婿を取って、王家を存続させる計画もあったのだと聞いたことがありました。


 カテリーナは濃い青と黒の落ち着いたドレスを着ていました。つややかな金髪を、三つ編みにして後ろに結い上げてあり、父親譲りの透き通った青い目を伏せがちにして、母親のそばに控えめに座っていました。


 筋書きに書いていなかった展開に、ピエトロも、少し離れたところで見ていたマルティーノ補佐官も、驚いてしまったのですが、表面上は何でもないようにして、ピエトロと二人の女性は紋切り型の言葉を交わしました。


「ピエトロ様は、カテリーナと話すのは初めてでしたわね?」

「はい、父上の葬儀の折にお目にかかってはいますが、こうしてゆっくり話すのは初めてです」

「ご存知かもしれませんが、この子は不憫な子でしてね。王家の血を絶やさないために、いずれ王女として婿を迎えるためにと、この歳まで独身を貫いてきたのです」

「それはそれは…」

「幸いにして、ピエトロ様が王家に帰ってきてくださったので、どこの誰とも知らぬ遠縁の貴族を夫に迎える必要はなくなりましたが…」

「ちょっとお母様…」


 カテリーナは居心地が悪そうに母を止めようとしましたが、リチア様の勢いはそれくらいのことでは止まりませんでした。


「それにしても女の幸せを知らないでこの歳まで大きくなってしまったのは不憫に思っておりますのよ。ときにピエトロ様、街で暮らされている間、お付き合いしていた女性などはいらっしゃったのですか?」

「いいえ、家の手伝いで忙しかったもので、女性と交際する余裕はありませんでしたから」


 これは、マルティーノ補佐官から教わっていた答え方の一つです。本当は何人かの娘と遊んだことがありましたが、公式には女性経験がないことにしておくべきだとマルティーノは言っていたのでした。


「ピエトロ様も若い頃はご苦労をされたのですね。ね、カテリーナ?」

「ええ、そうですわね…」


 カテリーナは母の隣で俯き加減に、頬を赤く染めて答えました。


 ここまであからさまに匂わされれば、社交界の会話に疎いピエトロにもそろそろ、リチア様が何を言いたいかがわかってきました。リチア様は、ピエトロ新国王に、カテリーナと交際し、王妃として娶るようにと暗に命令を下しているのでした。


 (ピエトロとカテリーナは異母姉弟の関係ですが、この当時、王宮医師学会の公式見解は、両親ともに同じくする兄弟姉妹でなければ、結婚しても問題ない、というものでした。むしろ、犬や馬の血統からの類推で、王家の血筋もなるべく純血に保つほうが良いと主張する医師さえいました。)


 ピエトロはさりげなく、マルティーノ補佐官のほうを見ました。筋書きにない展開だったので、このままリチア様の命ずるとおりにカテリーナに交際を申し込んでいいものかどうか、判断に迷ったのでした。マルティーノは少し離れたところから見守っていたのですが、ピエトロの視線の意味を瞬時に察し、小さく頷いてゴーサインを出しました。


「あの、カテリーナさん」

「はい」

「次の一曲、私と踊ってくれますか」

「はい、一曲と言わず、何曲でも」


 マルティーノに教わった筋書きでは、この後はある将校の娘さんと踊ることになっていたのですが、今となっては筋書きよりもカテリーナと踊ることのほうが大事になりました。演奏曲目も、それぞれの舞曲のステップの踏み方も、みっちりと予習させられていましたから、間違うことなく、カテリーナに恥をかかせることなく、踊ることができるはずです。


 結局、二人は、五曲も続けて踊りました。歓談の時には内気で消極的に見えたカテリーナでしたが、いざ向かい合って手を取り踊り始めると、途端に活き活きし始めました。至近距離で、挑発的なまなざしをピエトロに送りました。深い青色の瞳は、情熱を帯びて、シャンデリアのきらきらした光を映して輝きました。ピエトロはどきっとして、あやうくステップを間違えるところでした。カテリーナの腰に手を回すと、適度に締まった背中の肉が、ステップを踏むたびに熱く躍動しているのが感じられました。


 二人がずっと同じ相手と踊っているのを、周りの人たちは温かい目で見ていました。この時点で、この二人が交際して結婚する運命にあることは、二人の間でも、それから社交界の承認という点でも、もはや決定事項となったのでした。

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