第47話 苦しみは
片岡枝里子が膝を抱えて座っていた。
「いろいろなものを抱えたまま大人になったんだね」
表情はない。
「ボクもそうだよ」
わずかに眉が動いたくらいだ。
朔夜は周りを見回していく。
「ここにはなにもないよね、びっくりするくらい」
真っ白い空間だ。目には見えないが、椅子のようなものに座って、彼女は白い服を着ている。
動く気配はさらさらない。
「帰ろうよ、日常に」
ここで朽ちていくのを待つばかりなんて、耐えられない。
あなたが平気だとしても、見ているほうは、つらい。
だからどうか。
「ここには――」
「なにもないから」
思わず遮るように言ってしまったのは、堂々巡りを封じるためだ。
「なにもないから!」
同じ言葉でも意味合いが違って。
「私を苦しめるものもない、幸せになることもないかわりに」
ずきりと心が痛む。
幸せになりたい代わりに不幸せも引き受けることで人生は成り立っている。
だけどもしかなうなら。
幸せにならないかわりに苦しまなくていいなら。
選べるなら、自分ならどうする。
「苦しまなくていいなら」
行くというのか。不可能だよ。
そんな言葉を飲み込んだ。
「お願いだから、一緒に来て」
「その先になにがあるの」
「なにがあるかを一緒にみようよ」
「……信用できない」
「今すぐ信用してくれとはいわないから、だから」
――僕は、あなたを一人にしないから。
枝里子の瞳に光が戻る。
「本当に、いいの」
「なにが」
「わたしで、いいの」
「枝里子さんが、いいんだ」
ぽろぽろと。
水滴が。
白い服を染め上げていく。
「だけど、どうやって出るかがわからない」
「試してみたいことがあるんだけど、いい?」
「痛くないなら」
「大丈夫」
キスをした。
なんの前触れもなく。
パズルのピースのように、空間が分解されていく。
「一体」
「ごめんね、初めてだったから、びっくり、させちゃった」
「……わたしも、初めてだった」
熱を帯びて。
ほんのりと、白の中に赤が混じる。
溶けていく。
二人は一つになって、溶けていく。
「なにがどうなった!?」
巨大なカヘンは動きを止めていた。
エリーも月影も、姿を現さない。
「なんらかのことはあったでしょうが、観測不能です」
「頼むから、無事でいてくれ……」
カヘンが消えていく。
「これは……」
「いけね、回収!」
二人は自前のステッキでカヘンを回収する。
「吸いきれるか?」
「できるかできないかじゃなくて、やるんだよ、シオン!」
お互いを温めあっていたときだった。
片岡枝里子は、ふと身じろぎをする。
「……枝里子さん?」
「あのね……一つ、約束してほしいんだ」
「できることなら」
彼女は微笑んだ。
「たとえどんなことになるとしても、私を止めてね」
なにを、と言おうとして、どんっと突き飛ばされた。
温かさが離れていく。
「枝里子さん、どうして……!」
「うれしかった!」
黒いものが彼女にせまっている。
――カヘンだ。
「だから、古城さんは、生きて!」
彼女を捕らえて離さない。
過去の苦しみたち。
「僕では、駄目……!?」
「駄目じゃない!ダメなんかじゃ、ない!!」
黒いものが彼女を捕まえた。
「大事だからこそ、私と心中なんかしないでほしかった、ただ、それだけ!うれしかった!ここまで来てくれて、寄り添ってくれて、うれしかった!だから……さよなら」
服のポケットに入っているなにかを握りしめている。恐らく魔法少女エリーが使っていた類の代物だ。
分かってしまった。なにをするつもりなのかが。
「やめろ!!」
表情は見えなかった。ただ、今にも泣きそうに見えた。
恐怖と、後悔と、なぜいまさらそんなことをいうのとでも言いたげな、くしゃりとした顔色。
「…………モークシャ」
カヘンに取り込まれそうになる枝里子の身体が発光する。
そして、朔夜自身も。
「……うそ、だ」
いつの間にか、服には破かれた紙片が挟まっている。
これでは一人だけしか、自分だけしか、戻れない。
「……あなたは最初から、その、つもりで……!!」
もう首から上しか見えていない。目はぐったりと閉じられている。
それでも彼女は笑った。
「モークシャ、モークシャ!!」
同じように唱えても、どうにもならない。
そして朔夜は一人、世界から弾かれた。
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