第21話 宴のあと、自由業我にかえる

 午前五時。背中の痛さで目が覚める。

 テーブルには未開封のドリンクと、常温でも問題がないスナック菓子が置かれている。

 誰もいない空間で、枝里子は伸びをした。

 寝ぼけ眼で立ち上がると、流しには水につけられた食器類がある。

 水を飲むために冷蔵庫を開けると、ラップに包まれた蒸し野菜が鎮座している。

 扉には、値引きクーポンを利用した裏紙がマグネットで留められていた。あたためて食べてくださいという手書きの文字。

この文字はみどりのものじゃない。消去法で、料理人のものだ。

「そのまま、寝ちゃった……」

 念の為に玄関をみても、しっかりと施錠されていた。

 しわになった服を確認する。

 どうやら解散した後即寝落ち。お風呂には入っていないようだ。

 収納場所から着替えを取り出し、ぱさりと服を脱ぎ捨ててバスルームへ。

 シャワーを浴びる。

 一人でいることを痛感する。

 水音だけが世界にあった。

 わけもなく、温かい水が頬を伝う。

 さみしい、なんて。

 思う要素はなかったのに。

 この部屋の中で完結する。仕事も、人間関係も。

 それでよかった。

 そのはずなのに、どうして。

 どうして。

 こんなにも、今、寂しい。


「片岡さん、ほんっとごめんなさい」

 朝の九時。

 アポなし訪問を受けたら、担当編集が深々と頭を下げてきた。

 ぱりっとした隙のない格好は、いつものみどりだった。

「私ったら飲みすぎで迷惑かけたみたいで」

「……まあ、二日酔いになってないなら、なにより、です」

「あ、それは全然!」

 逆に怖いわ。

 というか、この短時間でここまで回復できるのがすごいわ。

「というか、あの人、片岡さんの彼氏ですか?」

 声を潜めて問われたことに、頭が追いつくまで数秒かかった。

「え?違う違う、お隣さん」

「……はい?」

「最近隣に引っ越してきた、料理のできるお隣さん?」

「Pardon?]

「お隣さん」

「彼氏ではなく」

「むしろ友達ですらないかもしれない」

「……はあっ!?」

 近所迷惑になりそうだったので、慌ててみどりを引きずり込む。

 噂をしていればなんとやら。これでひょっこり現れるなんていやだ。

「それがどうして家飲みで料理作ってるんですか?バイト?」

「いや、無償で料理担当として?」

「意味わからなさすぎです」

「うん、私も意味わからなくなってきた」

「ほんっとに危機感くらい持ってくださいよ、え?」

「私だって危機感くらい持ってます」

「どこが」

「少なくとも二人きりじゃなかったし」

「私が帰った後二人だったでしょうが」

「でもなにもなかったし、たぶん」

「たぶん!?」

 ボリュームが段々大きくなる。

「だって記憶がない」

「うそでしょ?」

「飲んではないから、寝不足だったと思う」

「あーほんとにこれだから社会人経験がない作家先生はまったくもってもー」

「横暴」

「黙れすぐ死にそうな属性キャラ」

「ひどい」

「じゃあ、会社行ってくるんで!続きは今度詳しく聞かせてくださいね」

「なんで」

「そんなの決まってるじゃないですか!私の担当作家が事件に巻き込まれることを未然に阻止するためです」

 一体彼女は人のことをなんだと思ってるんだ。

 保護者か。

「ああ、あと」

 出掛けに彼女はさもなんにもないような態度を装った。

「昨日は、誘ってもらってありがとうございました」

 ぱたんとドアが開いて、閉められた。

 ふう、と一息つくまもなく、インターフォンが鳴る。

「あれ、忘れ物ですか?」

 あれだけカッコいい立ち去りかたをして、すぐに戻ってくる展開は本人としても不本意だろうなあ。

 気にせず対応しようと間髪入れずドアを開けた。

 なんの疑いもなく、みどりがいると思って。

「………………」

「………………あ、どうも………………」

 ばたん。

 がちゃり。

 隣に住んでる料理担当(仮)が猫背ぎみに立っているなんて予想できるか。

「片岡さん、あの」

「昨日はありがとうございましたー! 」

「あの、出てこなくて大丈夫なので、話を」

 いや、記憶がないのに会いたくない。

 なにもないだろうし、第一なにもなくても薄ーい関係の隣人にいきなり料理を作ってもらって家飲みに誘うなんて確かにどうかしている。

 誘ってほいほい了承する方もする方だけど

 まずはそんなみょうちきりんなことをした自分がどうかしている。

「すみません昨日はほんっとにありがとうございました、かかった食費は実費で払いますので!」

 実はあとから、作業費ン万円払えとか言って来たらすぐに引っ越さなければならない。

 沈黙が怖い。

「あ、少しくらいならバイト代的なもの出せますけど、あの、怖いのとかはやです」

「バイト代……」

「やっぱりあとが怖い系の人!」

「あ、ご、誤解です!僕は、その、謝りに、きて……」

 チェーンをかけて、そろりとドアを開ける。

 隙間から銃口がねじ込まれる、なんて展開にはならなかった。

「その、僕、人との接し方が分からなくて、誘われたからってほいほい、女性の一人暮らしの家に、上がり込んでしまって、すみません……」

「いや、謝るのはこちらのほうで」

「いえいえいえいえ、あの、本当に、昨日は、どうかしてて」

「こちらこそ……。あの、朝の時間に、引き留めて大丈夫ですか?仕事とか」

「……今、無職なので」

「……そうでしたか」

 突っ込まなくていいところに話題をぶん投げてしまった。

「……では、また」

「はい、また」

 相手が自室に帰っていったのを見計らい、枝里子はドアを閉めた。

「朝から大変だなあ」

 後ろを振り返ると、昨日の夜から音沙汰がなかったシオンが立っている。

「……ほんっと、珍しい」

「まあ、あいつの動向を探るのは悪いことじゃない」

「どういうこと?」

「あいつ、月影だぞ」

「……はい?」

「必然的に、たぶんあっち側にも、エリーの正体はばれてる」

「……ええええ!!」







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