第五十話 魔の山の現状(ラビエスの冒険記)

   

 俺――ラビエス・ラ・ブド――たちがウイデム山から戻って、十日ほど経った日曜日。

 日曜日の恒例として、俺たちは四人一緒に、教会で朝の礼拝に出席する。

 東の山脈から帰り着いたのが水曜日だったので、そこから数えると、これが二度目の日曜日。つまり、俺やパラが『神』の正体を悟ってから、二度目の礼拝ということになる。

 今日のテーマは、風の神と水の神だった。イスト村の近くには、風の神様が降臨したという伝説のウイデム山があるのだから、風の神様を中心とした説教が多くなるのも理解できるのだが……。

 神父様の説教にしろ、俺たちが歌う賛美歌にしろ、そこで『神』と呼ばれているものは、実は魔王なのだ。その真実を知った上で、神妙な態度で礼拝に参加するというのは、どうも心の中がモヤモヤと落ち着かない。

 パラだって俺と同じく、複雑な心境だろうが、表情にも仕草にも、それは全く現れていなかった。そういえばパラと出会ったばかりの頃、俺は彼女のことを「無邪気な外見とは裏腹に、意外と策士かもしれない」なんて思っていたことがある。まあ、俺も今では、彼女をそこまで演技派とは思っていないが、それでもこの程度のポーカーフェイスは簡単なのだろう。

 俺も、神の真実は隠し続けなければならない。あれだけ魔王を嫌悪していたリッサやマールが真相を知ったら、一体どうなってしまうのか……。考えただけでも、恐ろしいからだ。

 礼拝が終われば『赤レンガ館』の食堂で昼飯だ。こちらは礼拝とは異なり、心から楽しめる。ダークビールと、それに合う料理で、いつものように幸せな時間を過ごしていると……。

「ああ、みなさん! やはり、ここにいましたね!」

 窓口のお姉さんが、俺たちのテーブルにやってきた。

「あら、あなたが来るなんて、珍しいわね。どういうかぜの吹き回しかしら?」

「一緒に飲みたいなら、歓迎するぞ。今日のビールは……」

 しかし彼女は、マールと俺の言葉に対して、首を横に振る。

「結構です。食事なら、冒険者組合の職員仲間と約束がありますので」

「では、何しに来たのだ?」

 リッサの質問に対して、ひとつ深呼吸してから、お姉さんは告げた。

「実は……。冒険者組合から、また、あなたたちに対して依頼があるのです」


「どうぞ、そのまま食べながら聞いてください」

 彼女は説明を始めた。

「九日前の金曜日のことです。教会本部から派遣されてきた宗教調査官が、ウイデム山へ向かいました。みなさんの魔王討伐に関して、調べるためです」

「おお、ようやく来たのか! これで教会も、私たちが魔王を倒したと認めるわけだな!」

 リッサは素直に喜んでいるが、そう単純な話でもないだろう。そもそも、いくら人間の力で調べたところで「俺たちが戦ったモンスターが本当に風の魔王だった」という証拠が出てくるとは思えない。もしかしたら宗教調査官には、俺たちが持ち得ない特殊な調査スキル――元の世界における警察組織の鑑識のような――があるのかもしれない、という淡い期待もあるのだが……。

「まあ、それに関しては調査結果次第なので、後々……」

 窓口のお姉さんは、リッサの発言を軽く受け流しながら、話を続ける。

「宗教調査官はヴィーさんという女性だったのですが、彼女は、護衛の冒険者と共に東の山脈地帯に入っていったわけです。ほら、あそこは、強いモンスターが出没するという噂でしたから」

「しかし、もう東の山脈にはモンスターは出ないぞ。これも、私たちが魔王を滅ぼした影響だろう」

「リッサの言う通りです。行きは結構な強敵が出てきて、それなりに苦戦しましたが……。帰りは、影も形もありませんでした」

 再び口を挟んだリッサを、パラが擁護している。これに対して、窓口のお姉さんは、首を横に振りながら、

「みなさんはそう言いますが、まだ、誰も確かめていませんからねえ。それも今回の調査で、はっきりするでしょうが……。とりあえずは、冒険者と一緒に行かないと危険ですから」

 こうした会話を聞きながら俺は、センのパーティーを見かけた朝のことを思い浮かべていた。

 センとその仲間を護衛として、宗教調査官が山に向かう姿を、確かに俺は目撃した。センが「健康的な色気」と言っていたように、ヴィーという名の宗教調査官は、なかなか魅力的な褐色娘だった……。


 その後、何度かリッサが口を出したので話が少し長引いたが、要するに「ウイデム山へ調査に向かったヴィー調査官が戻ってこない」というのが問題らしい。

 事前にヴィー調査官は窓口で、一週間以内に戻ると告げていた。「戻らない場合は教会へ連絡するように」とも言っており、それに対して窓口のお姉さんは、了解しただけでなく「冒険者組合から捜索隊を派遣する」とまで約束したのだった。

「安請け合いしたものだな」

「とんでもございません。大切なお客様ですから、それくらいは当然です」

 リッサの言葉に、お姉さんは立派に返しているが……。うがった見方をすれば、今の『大切なお客様ですから』というのは『教会は、一般の客とは違って、大切なお客様ですから』ということなのだろう。

 まあ、冒険者組合の認識に関しては、どうでもいい。肝心なのは……。

「それで、その捜索隊として、俺たちを送り込みたいわけですね」

 俺は、話を先取りする形で、そう決めつけた。

 そもそも俺たちに仕事を依頼したいという言葉で始まった話の中で、調査官行方不明の経緯を聞かされたのだから、そう考えるのが当然だった。

「はい、そうです。現在このイスト村にいる冒険者の方々の中で、あのウイデム山に――特に最近のウイデム山に――最も詳しいのは、ラビエスさんのパーティーですからね」

 なるほど、理解できる話だ。事情に疎い冒険者を送り込んでも、下手をしたら『ミイラ取りがミイラになる』とか、二重遭難とかの危険がある。それを考慮すれば、俺たちに白羽の矢が立つのも当然だろう。

 窓口のお姉さんのようにリッサの正体を知っている者としては、伯爵家の姫様であるリッサを、危険な仕事には巻き込みたくないはずだが……。今回は、教会という大きな組織の者が関わる事態なだけに、地方領主の姫様云々よりも、そちらが優先されたというところだろうか。

「どうでしょう? この仕事、引き受けてもらえるでしょうか?」


「冒険者組合から名指しで依頼されるなんて……。少し既視感もありますね」

「ああ。しかも、行き先は同じウイデム山だからな」

 パラとリッサが、軽く笑っている。二人とも、前回の一件とは違って、心に余裕があるのだろう。今回は、村全体に関わる一大事というわけでもないし、もう山に手強いモンスターがいないことも承知しているのだから。

 だが、俺たちには無関係な話でもなかった。俺たちが魔王を討伐したという申請があったからこそ、ヴィー調査官はウイデム山へ赴いたのだし、その調査結果を俺たちも待っている。

 申請に対する教会からの返答が来るまでイスト村を離れるわけにもいかないということで、最近の俺たちは、村のダンジョン探索ばかりしているが……。『炎の精霊』フランマ・スピリトゥや風の魔王と戦った後では、正直、少し物足りない感もある。たまには軽い戦闘も悪くないが、そればかり続くと「何か違うな」と思ってしまうのだ。

 窓口のお姉さんが今回持ってきた仕事には、確かに、派手な戦闘は含まれないだろう。だが消えた教会関係者の行方を調べるというのは、不謹慎な言い方になるかもしれないが、いかにも非日常的な『冒険』という感じが強くて、興味深い話だった。

 おそらく俺だけでなく、皆が同じ感覚だと思う。俺は仲間の顔を見回しながら、皆の意思を確認しようと口を開く。

「一応、聞いておくが……」

「ラビエス、その必要はないわ」

 マールの言葉が全てだった。

 全員一致で、俺たちは、この依頼を快諾した。


 翌日。

 俺たちは、再びウイデム山に向かって出発した。月曜日なので、本来ならば俺は治療院の手伝いをする日だが、フィロ先生に事情を説明して、休ませてもらったのだ。

「東の山脈からモンスターが消えたから、ほとんど戦闘もないだろうな」

「それでも油断は禁物ですよ、リッサ。山に登ったまま、戻って来られない人たちがいるのは事実ですから」

 前回と同じく大通りを東に向かって歩きながら、前回とは全く違う雰囲気で言葉を交わす仲間たち。

 パラは『油断』という言葉を使ったが、リッサとしては、むしろ「戦闘がないだろうから物足りない」という気持ちなのではないだろうか。

「まあ、単に山頂での調査が長引いているだけ、という可能性もある。あるいは、ウイデム山には何もなかったから、一応は周辺の山も見てみようということで、予想以上に時間を取られているとか……」

 頭に浮かんだ可能性を述べながら、いざ口に出すと、自分でも「ちょっと違うかな?」と思ってしまう。

 そもそも、少しくらい調査に時間がかかるのを見越した上で「一週間で戻る」と言っていたのだろう。しかも、冒険者組合の方でも「さらに時間を費やしているかも」と考えて『一週間』を勝手に延長したのだ。厳密に『一週間』ならば、もっと早く俺たちに捜索の話を持ち込んだに違いない……。

 そうやって考えていると、

「ラビエスまで、そんなこと言い出すなんて……。少し気が緩んでいるのではないかしら? ウイデム山は神様降臨の伝説がある神聖な地であると同時に、風の魔王が復活の儀式をおこなっていた魔の山でもあるわ。何が起きても不思議ではないのよ」

 マールの言葉で、俺は気が引き締まる思いがした。

 彼女とリッサは知らないが、その『神様降臨』も、本当は魔王降臨なのだ。だからウイデム山は「神聖な地でありながら魔の山」どころか、もう完全に真っ黒な『魔の山』ということになる。マールの言う通り『何が起きても不思議ではない』のだ。

 ちらっとパラを見ると、一瞬、目が合う。おそらく、俺と似たようなことを考えているに違いない。


 村の外に出ると、山道に入る前の草原地帯で、一度だけ戦闘があった。

 出現したのは五匹の緑ウィスプだが、見た瞬間、リッサは残念そうな声を上げる。

「つまらん。ウィスプ系では、私が活躍する機会もないではないか」

「物理攻撃は、あまり効果ないですからね。まあ、リッサには、ゴブリンが出てきた時に頑張ってもらいましょう」

 リッサを慰めるパラの傍らで、

「今回は前回とは違って、山道のモンスターのために魔力を温存する必要もないだろうけど……。これくらいなら、私一人で十分だわ」

 マールが、炎魔剣フレイム・デモン・ソードを振るう。その斬撃と炎だけで、緑ウィスプは逃げ出してしまった。


「まだ全然、溶けていないのですね」

 山を登り始めて少しの辺りで、パラが、何やら思うところありそうな口調で呟く。

 下山の際にはわざわざ記さなかったが、あの『氷の壁』の残骸が、道の両側に鎮座する形で残っているのだった。

「風の魔王の話では、これ、水の魔王が作った障壁らしいからなあ。自然に『溶ける』ような代物シロモノとは違うのだろう」

「そうね。水の魔王が自分で撤去しない限り、ずっと残りそうだわ」

 俺とマールの意見に、パラやリッサも納得したように頷いていた。

 ふと、俺は考えてしまう。もしも水の魔王を討伐したら、水の魔王の意思とは無関係に、これも消えるのかもしれない、と。

 もちろん、いくら風の魔王を倒したとはいえ、水の魔王まで倒せるなんて想像するのは、思い上がりだろう。だが水の魔王が――かつての風の魔王のように――この東の大陸をうろついている以上「次に戦う魔王は、水の魔王なのではないか」という考えも、頭に浮かんでしまうのだった。

 なお当然のように、こうした思索は、俺の胸の内だけに留めて……。

 さらに進むと、道が分岐する。ウイデム山ルートに入り、夕方になるまで歩いたところで、一日目は終了。マールとリッサが交代で背負ってきたテントで、俺たちは一泊した。


 翌日、ウイデム山の頂上に辿り着いた。

「ここは……。以前と、少し違いますね」

「ああ。前は、もっと濃い霧だったからな」

 パラの言葉に俺が返したように、魔王討伐の直後に濃霧が立ち込めていた山頂は、その『濃霧』がなくなっていた。いや、まだ完全に霧が消えたわけではなく、もやもやとしていて視界は悪いのだが、以前と比べたら、かなり見やすくなっている。一応は山頂の中央まで見える程度だ。

「何かしら、あれ?」

 マールが、その中央の辺りを指差した。

 確かに、何かが光っているようだ。

 あんなもの、前回来た時にはなかったはず。少なくとも、俺たちが魔王を倒す前には、それらしきものは存在していなかった。あの時、三本の風魔剣ウインデモン・ソードは刺さっていたが、そのうち二本は風の魔王と共に消滅し、残りの一本は今、俺の装備――使う機会もないので単なる飾り――になっている。

「行ってみよう。まだ視界は良くないから、みんな、足元に注意しながら……」

 俺の言葉に従って、四人全員で、謎の光に近づいていく。

 はっきり見える距離まで来たところで、

「これって……。水たまりでしょうか?」

「湖というほどの広さではないが……。池という程度か?」

 パラとリッサが、そんな言葉を交わしている。

 謎の光の正体は、鏡面のようにキラキラと輝く水面だった。ただし普通の水面ではない。銀色の『水面』だ。

 銀色の液体……。俺の頭の中で真っ先に浮かんだのは、水銀だった。こちらの世界では見たことないが、元の世界では「常温で液体状態の金属」として有名なやつだ。

 子供の頃、社会科で公害について学ぶ中で、水銀中毒という概念を知った。だから家で誤って体温計――当時の水銀式体温計――を割ってしまった時には、猛毒が溢れ出すと思って、大慌てだったことを覚えている。

 もしかしたら、この銀色の液体も、水銀のように毒性のある金属なのだろうか……?

 俺がそんなことを考えている横で、リッサが呪文を唱えていた。

「レスピーチェ・インフィルミターテム!」

 おいおい、リッサは何をしているのだ?

「あら、解析魔法って、無生物にも効くの?」

 俺の疑問を代弁するかのように、リッサに問いかけるマール。

 しかしリッサは、首を横に振って、

「いや、そんなことはない。ただ、これが液体状のモンスターである可能性も考えたのだが……。どうやら、その心配はないようだ」

 ああ、なるほど。調査官の一行いっこうは『液体状のモンスター』に食われてしまったのではないか、という想定か。

 とりあえず、それが事実ではなくてよかった。だが、こんな怪しげなものが山頂にある以上、行方不明の一件と無関係とも思えない。

「この銀色を、調べてみるしかないな……」

 俺の呟きに対して、

「でも解析魔法が使えないなら、物理的に手を突っ込んでみるしかないかしら。この底に、何か沈んでいるかもしれないし……」

「いや、マールさん。それは危険ですよ」

「私もそう思う。棒か何かを使うのはどうだ?」

 女たちが意見を述べてくれている。

「リッサの提案を採用しよう」

 そう言ってみたが、周りを見回しても、手頃な棒などない。この視界では『周り』といっても近くしかわからないが、こんな木も草も生えていない場所では、どうせ探しても何もないだろう。

「……これを使うか」

 腰に下げていた風魔剣ウインデモン・ソードを手に取ると、

「それを使うなんて、とんでもない! ラビエスさん、それは貴重なレアアイテムじゃないですか! もしも、これが腐食性の液体なら……」

「一番安物の武器は、私の軽片手剣ライトソードだけど……。これ、ずっと使ってきたから、愛着あるのよねえ」

「残念ながら私も、もう杖は持ち歩いてないからなあ。あれならくしたとしても、また買えばいいだけだから惜しくはないのに……」

 また女たちが騒ぎ出す。

 どうせ、話し合ったところで結論なんて出ないだろうに……。

 こういう場合は、男の俺が、バシッと決めるべきだろう。

「わかった、わかった。でも風魔剣ウインデモン・ソードは、魔王が使っていた武器だぞ? 少しくらいの腐食には、耐えられるんじゃないか?」

「何、その無茶苦茶な理屈」

 マールは笑うが、

「そういえば、そうですね。それ、魔力を込めれば、刀身が風に包まれるはずですから……。害のある液体だとしても、ある程度はガードしてくれそうです」

 パラは、肯定的な意見を出してくれた。

 しかし。

 もしも腐食性やら毒性やらのある液体だった場合、風をまとう武器をけたら、その液体が飛び散って危険だと思うのだが……。

 まあ、いいか。ほんの一瞬、ほんの先っぽだけ。それだったら、大きく飛び散ることもなく、きっと大丈夫だろう。

 そう考えて、俺は宣言する。

「では、やるぞ」

 風魔剣ウインデモン・ソードに魔力を注ぎ込んで、小声で「先っぽだけだから」と呟きながら、銀色の水面に近づける。ゆっくり、恐る恐る、そうっと……。

 そう、俺は、慎重におこなったつもりだった。

 ところが。

 風魔剣ウインデモン・ソードの切っ先が、水面に触れた瞬間。

「ラビエス!」

 悲鳴のような、マールの叫び。

 ぐうっと引き摺り込まれる感覚と共に、俺は、白い光に包まれたのだった。

   

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