第四十九話 銀色の池(調査官ヴィーの私的記録)
「一応、聞いておきたいんだが……。ヴィーさん、あんた、攻撃魔法の
私――ヴイー・エスヴィー――に向かって、武闘家センが尋ねてきた。
まだ私たちは、イスト村の通りを歩いている。なるほど、村を出てモンスターと戦うことになる前に、警護対象である私の能力を知っておきたいのだろう。
少しくらいは自分で自分の身を守れるのか、あるいは完全に無力なのか。場合によっては一人を私の付きっきりにしないといけない、くらいは考えているかもしれない。
「当然だ。私にモンスターと戦う
「でも、ヴィー調査官は、いつも杖を持っていますよね? 何か魔法が使えるのでは?」
今度は狩人ニューだ。
「攻撃魔法は使えない。初歩的な回復魔法だけだ」
私の扱える白魔法は、弱回復のレメディラだけなので、回復魔法に関しては嘘ではない。そして、攻撃魔法についても、自分では嘘は言っていないつもりだった。
そもそも。
自分でモンスターと戦えない宗教調査官など、まず存在しない。
宗教調査官というものは、教会に対する異端者を相手にしたり、諜報活動のような仕事に従事したりする。そのため『戦えない』者では、任務を全う出来ないのだ。
私の場合、闇系統の三つの魔法――睡眠魔法ソムヌム・致死魔法レタリス・麻痺魔法トルボル――を、独自の『武器』としていた。また、宗教調査官となるにあたり、素手で戦うための体術の基礎と、杖を活かした棒術の一種を叩き込まれている。
闇の魔法は、一般的な黒魔法とは異なり、上手く効かない場合も多いらしい。私の経験では、だいたい十回のうち一回か二回くらいの頻度で失敗する。だから『攻撃魔法』ではなく『補助魔法』とか『特殊魔法』とかの表現を使うべきだと思うし、私は「攻撃魔法は使えません」と言っても嘘をついた気がしない。
一般的に闇魔法は、特にモンスターには効き目が薄いらしく、成功率は半分以下だという。また、私の体術や棒術も、対人戦闘に特化している。だから、モンスター相手では私が苦労するのも嘘ではないが……。それでも一応、全く戦えないわけでもないのだ。
そんな宗教調査官が、わざわざ冒険者を『護衛』として雇うのは、それこそ、大衆に対するポーズだった。一般人に対して、教会のイメージは、清らかなものでなくてはならない。清廉潔白な教会組織の中に、荒事に長けた部署が存在するなんて、知られてはいけないのだ。だから私も「無力な宗教調査官です」というアピールを続けるのだった。
村を出て、緑の野原を歩き始めて、少し経った頃。
「来るぞ!」
突然、センが叫び声を上げた。仲間の二人も、身構えている。
冒険者はモンスターの出現を本能的に察知できる、という話は、私も聞いたことがあった。これがそうなのだろう。
武闘家のセンは、特に武器を装着することはしない。素手で戦うようだ。
狩人のニューは、背中に括りつけてあった弓矢を準備している。他に、腰には小型の猟銃のような武器もぶら下げているのだが、とりあえず今回は使わないらしい。
戦闘準備を見ていて一番面白いのは、戦士ステンパーだった。彼は、腰に備え付けていた金属製の小槌を両手で握った。片手で持てるくらいのサイズなのに、敢えて両手を使ったのだ。そして、
「ふんっ!」
気合を込めて、その場で一振り。すると、たちまち小槌は膨れ上がり、巨大なハンマーに生まれ変わった。物理的にはありえないサイズ変化なので、魔法武器の一種なのだろう。これはこれで興味深い。それに、今の掛け声が、初めて聞いたステンパーの声だった気がする。
「……やはりゴブリンですね」
ニューの呟きを耳にして、彼の視線の先に目を向けると、三匹のゴブリンの姿があった。
続いて、弓が放たれる音が四つ。ニューの素早い四連射が、敵モンスターに襲いかかったのだ。しかも、どれも的確に命中している。
一匹のゴブリンは右目を射抜かれ、もう一匹は左目。最後の一匹は、首の真ん中と心臓の辺りに、矢が突き刺さっていた。特に、首と胸を貫かれたゴブリンは、それだけで絶命したらしく、倒れたままピクリとも動かない。
「残りは、一匹ずつ!」
センの言葉は、ステンパーに対する指示だったのだろう。二人は、ほぼ同時に駆け出した。センは一匹のゴブリンを素手で撲殺し、もう一匹をステンパーがハンマーで圧殺する。
「……凄いな」
私は、感嘆の声を上げていた。
文章で記すと少し長くなったが、ゴブリンを目視してから始末するまで、本当に短い時間の出来事だったのだ。いくら相手が低レベルのモンスターとはいえ、賞賛すべき出来事だろう。こういう場合は、感じた以上に大げさに褒めておいた方が良い、と私は思う。
「どうだい、俺たちの手際は?」
センが誇らしげに尋ねてきたので、
「ああ、なかなかのものだ。これならば、何の心配もなく、調査現場まで辿り着けそうだ。私は、良い護衛を雇ったのだな」
とりあえず私は、そう言っておいた。
少し歩くと、もう山脈地帯だった。結局、野原での戦闘は一度きりで、私たちは山を登り始めた。
「この山脈には、ゴブリンなどとは比べ物にならないような、高レベルのモンスターが出ると聞いているが……。大丈夫なのだろうな?」
事前に聞いていた知識から、私がそう言うと、センは微妙な表情を見せた。
「ああ、そうだな」
センは、仲間と顔を見合わせる。
何だろう? まさか、自信がないのだろうか? いや、先ほどの戦闘後の態度を見る限り、それは考えにくいのだが……。
「実は……」
言い出しにくい話のようで、リーダーのセンに代わって、ニューが切り出した。
「……もう、この辺りの山にはモンスターなんて出ない、という可能性もあるのです」
「どういうことだ?」
聞き返した私に対して、ニューが詳しく説明する。
「これはラビエスさんたちから聞いた話なのですが……」
ラビエスたち――魔王討伐を主張するパーティー――も確かに、東の山脈を登る際には、強力なモンスターと遭遇した。しかし下山する時は、一匹も現れなかったのだという。それこそ、山頂にいた風の魔王を倒した影響だと、彼らは解釈したらしい。
「信じがたい話だな。魔王討伐の信憑性を高めるための、嘘ではないのか?」
私が感想を述べると、センとニューが、それを二人がかりで否定する。
「いや、それはないだろう。ラビエスたちは、すぐバレるような嘘を口にするような連中じゃねえからな」
「魔王かどうかは別として、実際に山を支配していたボス・モンスターを倒したのは、本当なのではないでしょうか」
「そういやあ、ラビエス本人は『魔王を自称するモンスターを倒した』って言ってたな。あいつの仲間の女が、頑なに『魔王を討伐した!』と言い張ってただけで」
「それはリッサさんですよ。ちゃんと名前を言わないと……。ラビエスさんのパーティーは、彼以外は皆女性なのですから。『仲間の女』では、三人のうち誰だか、わからないでしょう」
ここで私は、広場でニューから聞いた話を思い出す。そのリッサというのが、ラゴスバット伯爵家の人間のはずだった。ならば、魔王討伐を主張しているのも、冒険者そのものというより、ラゴスバット伯爵家ということになる。やはり、今回の申請の裏には、伯爵家が関与しているのか……。
「なあ、ヴィーさん」
私の思考を遮るかのように、センが私に呼びかけてきた。
「何だ?」
「悪く思わないでくれよ」
「何の話だ?」
「東の山脈のモンスターが消えたのを、今まで黙ってたことさ。別に、隠してたつもりはないんだ。俺たちだって、この目で確かめたわけじゃないから……」
「ああ、そういう意味か。気にしないでくれ」
今回の護衛任務は、東の山脈に高レベルのモンスターが出現するからこそ発生した依頼だ……。彼は、そう思っているのだろう。そう考えるならば、そのモンスターが出ないということは、何もせずに依頼料だけもらえるような、詐欺みたいな仕事だということだ。その点に罪悪感があるらしい。
「東の山脈だけではない。平原地帯に現れるような、先ほどのゴブリンだって、私一人ではどうしようもないのだ。なにしろ私は、戦えないのだからな」
一応、彼の気持ちを和らげる意味で、そう言っておく。実際には、あの程度のモンスターならば、私でも何とか対処できると思うのだが。
山を登り始めて、しばらく経ったところで、私たちは奇妙な物体に出くわした。
「何だ、これは?」
「ああ、例の『氷の壁』の残骸だな」
自然に飛び出した私の言葉に、センが答えた。
なるほど、確かに『氷の壁』なのだろう。分厚い氷の塊が、壁のような形でデンと居座っている。ただし、ちょうど山道を中心とした一帯だけは、くり抜かれていた。まるで、門に扉をつけ忘れた、不用心な外塀のようだ。
「最初は、これで道も塞がれていたのですよ。なかなか破れない障壁で……。それで、ラビエスさんのパーティーに白羽の矢が立ったのです。彼のところには、パラさんが――『火事っ
ニューが補足説明をする。問題のラビエスのパーティーには、かつて森で大規模な火事を起こした、火力自慢の黒魔法士がいるそうだ。
「それでも、まだこれだけ残っているということは……。これは、普通の氷ではないようだな」
「そうです。それを魔法で破ったのです。凄いと思いませんか?」
「ああ、そうだな」
適当に頷いておく。とりあえず私の中で、ラゴスバット家の仲間に関する情報が、また一つ増えた。
氷の残骸の地点までは一本道だったが、それを越えて少し歩いたところで、道は分岐した。だが親切に標識が設置されていたため、私たちは迷うことなく、ウイデム山への登山ルートに入ることが出来た。
そうして、モンスターの一匹も現れない山道をひたすら進むうちに、日が暮れてきた。
「そろそろ、休むとするか?」
「そうですね。今日は、ここまでにしましょう」
センとニューが、そんな言葉を交わしている。冒険者としての判断なのだろう。
二人は「それでいいか?」という目を私に向けてきた。一応、雇い主の側である私に確認を取りたいようだ。
「ああ、そうしよう」
私が頷くと、戦士ステンパーが背負ってきた荷物を降ろし、彼らは三人でテントの設営を始めた。
「いつもは俺たち三人で使うテントだから、ちょっと手狭かもしれないが……。まあ、我慢してくれ」
すまなそうな顔で、私に告げるセン。
「ああ、構わない。冒険者と旅をするというのは、そういうことなのだろう? それくらい、私も理解している」
そう。
彼ら冒険者は、テントで男女同衾することを厭わない。別に乱れた関係というわけではなく、冒険者同士は「そうした環境でも安易に男女の関係になったりしない」という話だ。それが冒険者の常識なのだという。
一方、私は、教会組織に勤める聖職者だ。狭いテントで男たちの中に女が一人というのは、危険だと思ってしまう。そういう価値観の世界で生きている。
しかし。
私は普通の『女』ではない。抵抗感はあるが、大丈夫だという自信もあった。
テント設営後、軽く夕食も済ませて、男たちに続いてテントに入った私は……。
「では、おやすみ」
そう言って目を閉じたが、男三人が眠るまでは寝たふりをする。
そして。
彼らの寝息やイビキが聞こえてきて、三人が寝入ったところで、小声で呪文を唱える。
「ソムヌス・ヌビブス……」
私の得意呪文の一つ、睡眠魔法ソムヌムだ。
闇系統の魔法の通例通り、時々は失敗する魔法であるが、眠っている相手にかけた場合は、百パーセント成功する。眠りが深くなるとみえて、しばらくは絶対に目が覚めないようになるし、睡眠時間そのものも長くなる。
いわば二重の眠りだ。
これで、彼らが夜中に起きてくる心配もない。
「今度こそ、おやすみ」
安心して、私は眠りについた。
翌日。
当然のように、私は三人より早く目が覚めて、彼らが起きるのを待った。
「悪いな。すっかり寝坊しちまった」
「いつもは、こんなことないのですが……」
私の魔法のせいとも知らずに、センたちは、朝が遅くなったことを謝ってくる。
「まあ、少しくらいなら構わない。だが、貴様たちがそう思うなら、さっさと朝食を済ませて、早く出発したいところだ」
そう言って私は彼らを急かし、二日目の登山が始まった。
少し歩いたところで、私たちはウイデム山の頂上に到着した。
「こんな場所なのですね」
「知らなかったなあ」
そんな言葉を、ニューとセンが口にしている。彼らも初めて来たようだ。
私としては「それなりにイメージと合致する」という感じだった。
とにかく広い場所だ。魔王を倒したという話から「戦いを繰り広げるだけのスペースがあるはず」と思っていたが、その通りだ。
しかし、予想外の点もあった。それは、視界の悪さだ。山頂には霧が立ち込めていたのだ。
本当に、こんな場所で、魔王――あるいは魔王を自称するモンスター――のような強敵と戦ったのだろうか?
「聞いた話の通り、視界は悪いですね」
「そういやあ、ラビエスが言ってたな。戦いの後で、急に霧が出てきた、って。それこそ、数歩先が見えなくなるくらいだった、って……」
ニューとセンも、この霧について話をしている。だが『数歩先が見えない』は大げさだろう。もちろん、ずっと濃霧が続いているわけでもないだろうから、たまたま今はマシな状態なのかもしれない。
ともかく。
「では、私は調査を始める」
「はいよ、ヴィーさん。それで俺たちは、何をすればいいんだ?」
センの質問に、少し私は考え込んでしまう。
予定としては、調査に集中する私がモンスターに襲われることのないように、周囲を警戒してもらうはずだった。それこそが護衛の仕事だ。しかし、途中の山道にモンスターが出ない以上、山頂でもモンスターが出現するとは思えない。
ならば……。
「一応、敵が現れる可能性も想定して、周りに気を配っておいてくれ。ついでに、何か私の調査対象になりそうなものがないか、探してくれると助かる」
護衛という名目に沿った指示を出しながら、彼らに私の仕事を手伝わせることにする。
「了解しました。二重の意味で、怪しいものがないかどうか、目を配ればいいのですね」
そう言って、地面に視線を向けるニュー。
私自身も、激闘の痕跡を探して、それが「相手は魔王である」あるいは「魔王ではない」と断定できる証拠になるかどうか、調べないといけないのだが……。
視界に入ってくる一番目立つ存在は、こちらに向かって手を振るステンパーの姿だった。いつのまにか彼は、私やセンやニューから少し離れて、山頂の中心近辺まで行き、そこを調べていたようだ。
「おっ、ステンパーが何か見つけたようだぞ。こっちへ来いと言っている」
センが、無口なステンパーの挙動を通訳する。
早速、そちらへ足を運ぶと……。
霧に隠れて気づかなかったが、中央部には池のようなものがあった。ちょっとした家くらいの広さで、水面らしきものがキラキラと輝いている。
「何だい、こりゃあ?」
「さあ。初めて見ますね」
センとニューも不思議がっていた。
宗教調査官として、普通の村人や冒険者の知らない物もたくさん見てきた私だが、こんな『池』は見たことがない。『池』ならば水が溜まっているはずだが、目の前にあるものは、普通の水ではない。こんな銀色の水なんて、ありえないからだ。
その『池』の表面は、水面というより鏡面のように光っている。だが、わずかに波打っているので、鏡のような固体ではなく、液体に違いないのは明らかだった。
冗談のような口調で、センが呟く。
「銀色の水で出来た、水たまりか。とりあえず、少し掬ってみるかい? 飲んでみるとか、泳いでみるとか、そんな選択肢は……ないよな?」
「馬鹿を言うな」
彼の言葉を一喝した私は、銀色の『池』の表面に、杖を伸ばした。直接自分の手で触れるのは危険だから、まずは杖を浸してみようというのだ。自分の手の延長として、銀色の水の感触も、少しはわかるだろうと思ったのだが……。
「……!」
杖の先端が『池』の銀面に触れた途端。
私は、恐ろしいほどの勢いで、体が引っ張られるのを感じた。
「おい、ヴィーさん!」
私が『池』に引きずり込まれそうなのを見て、素早くセンが、私に手を差し伸べる。いや、センだけではない。男たち三人がかりで、後ろから私に手を回すが、私を止めることは出来なかった。逆に、私に接触したことで、彼らも私と運命を共にすることになった。
そして。
私たちは『池』に落ちて、その瞬間、眩しい光に包まれた。
だが、これによって、私は『池』の正体を理解できた気がする。『池』の中のはずなのに、水中とは明らかに違う感覚だったからだ。それも、私には馴染みのある感覚だ。宗教都市カトラクからイスト村へ来る時にも経験した感覚……。
つまり。
ウイデム山の頂上にあった銀色の『池』は、巨大な転移装置だったのだ!
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