第三章 水の大陸をさまよって

第四十五話 村への帰還(ラビエスの冒険記)

   

 俺――ラビエス・ラ・ブド――が、パラと二人で色々と話をしていると、リッサが目を覚ました。

「ああ、おはよう。パラもラビエスも、元気そうだな……」

 むくりと起き上がりながら言うリッサだが、まだ寝ぼけているような口調だ。

「おはようございます!」

「リッサ、大丈夫か? まだ夢の世界か?」

 パラと俺が声をかけると、彼女は眠そうに目をこすってから、突然ハッとした表情に変わった。目を見開いて、かすように質問をぶつけてきた。

「おい、魔王はどうなった? 倒したのか? 倒したんだよな?」

「まあまあ、そんなに慌てないで。ラビエスさんが説明してくれますから」

 パラが、俺に説明を丸投げする。最後まで意識があったのは俺だけなのだから、まあ、仕方ないか。

「リッサ、よく聞いてくれ。風の魔王は……」

 まずリッサのモコラ召喚で大ダメージを与えたことを告げた後、パラに対する説明と同じ内容を繰り返す。

「そうか! では、本当に私たちは、魔王をめっしたのだな!」

 魔王の最後の言葉――魔の世界へ帰るとか俺たちの世界にはもう現れないとか――は、あえて伝えないことにした。二度と出てこないのであれば、ほろぼしたのと同じかもしれないが、厳密な意味では「討伐した」とは言えないだろう。せっかく魔王討伐に成功したつもりで喜ぶ仲間に、わざわざ真実を告げる必要もないと思ったのだ。

「ああ。最後はポロポロと崩れて、塵となって風に飛ばされたよ」

「そうか。もう、死体すら残っていないのか……」

 しみじみと呟きながら、リッサは、魔王の立っていた辺りに視線を向ける。

 俺が目覚めた時から相変わらず、山頂には濃い霧が立ち込めており、視界が悪くて、激戦の痕跡もよく見えない状態だった。

「この霧では、下手に動き回らないほうがいいかもしれませんね」

 周りを見渡したパラが、そんな意見を口にする。

「パラは、この霧が収まるまで、下山は待つべきだと思うのか?」

「そういう意味ではないですが……」

 リッサに対するパラの返事を聞いて、俺も考えてしまう。

 確かに、難しいところだ。そもそも、待っていれば霧がむという保証もない。

「山頂の風が消えたから霧が出始めたというなら、また風が吹くまで、霧は続きそうだが……」

「でも、風がんだのは、それこそ風の魔王が消えたからじゃないですか?」

 俺の考えを読み取って、パラが続きを口に出した。これに対して、リッサも意見を述べる。

「途中の山道には、魔王健在の頃から、そんなに強風は吹いていなかったな。それでも霧など出ていなかった。ならば、今も山道には霧がなく、視界も開けているのだろうか」

「どうだろう? そう考えるなら、いつまでも待っていても意味がない。さっさと下山しよう、ってことになるが……」

 方針を決めかねる俺だったが、

「とりあえず、マールさんが起きるまでは今のまま待つことにして……。マールさんが起きてきてから、もう一度みんなで話し合いませんか?」

 パラが、話をまとめてくれた。

 三人の視線が、俺の太ももに集まる。正確には、そこを枕にして眠るマールを、一斉に見る形になった。

 ちょうど、そのタイミングで、

「おはよう。みんな、もう魔力も回復したのかしら」

 マールが目を開ける。

 たっぷり眠ったわけではなく、仮眠程度の短い一眠りだったのに、それでも疲れが取れて元気そうだった。


 結局、さっさと山を降りようということになり、俺たちは山道を下り始めた。

 登ってきた時と同じく、山道には霧は出ていない。来る時と違う点は、モンスターが現れないということだった。

「なんだか、拍子抜けですね」

「これも、私たちが魔王を倒した影響なのか?」

 パラとリッサの会話を耳にして、俺も考えてしまう。

 モンスターが出てこなくなっただけでなく、もちろん、あの不穏な気配も消えている。それを考え合わせると、やはり魔王討伐の結果に思えるが……。

 そもそも東の山脈は、今回の事件以前から、普通にモンスターが出没する地域だった。今までは、村の外なので当然だと考えていた。しかし、もしかすると、ここは野外フィールドの一部ではなく、風の魔王をボスとするダンジョン扱いだったのかもしれない。だから、モンスターも一掃されたのかもしれない。

 ちょうどマールも、似たようなことを考えたらしく、

「ひょっとすると、ウイデム山は、それ自体がダンジョンだったのかもしれないわね。その割には宝箱が一個もないから、特殊なダンジョンだったことになるけど……」

「ああ、その可能性もあるな」

 彼女の発言に、俺は同意の言葉を口にする。

 そうだ。

 東の山脈全体ではなく、このウイデム山だけがダンジョンだったという考え方も可能だろう。

 ならば、ウイデム山の個別の登山ルートが終わって、他の山々へ向かう道と合流した後は、普通にモンスターが出現するのだろうか……。


 途中で暗くなってきたので、俺たちは、近くで少し広くなっている場所を探して、テントを設営した。

 その中で一泊して、翌朝。

 村を出てから五日目、魔王を倒して下山を始めてから二日目だ。

 しばらく歩くと、ウイデム山ルートは終わり、他の山道と合流したが、相変わらずモンスターは出てこない。

「これは……。東の山脈全体が、風の魔王のダンジョンだったのかな」

 俺の発言を耳にして、リッサと共に前を歩くパラが、軽く振り向いた。

「もしかすると、ダンジョン云々ではなくて、この東の大陸の、大陸全土からモンスターが消えたのかもしれませんね」

「まさか!」

 驚いて叫んだマールに対して、パラが説明する。

「だって、魔王が言っていましたよね。『この大陸を支配する風の魔王』って」

「あっ!」

 言われてみれば。

 確かに、あの魔王は、そんな言葉を口にしていた。あの時、俺は『この大陸のモンスターを統べるという意味だろう』と思ったものだった。

「なるほど、大元締だった魔王が消えたことで、モンスターも現れなくなったという可能性か……。ありうる話だな」

 俺がパラに賛成の意思を示した途端、

「ならば、大手柄ではないか!」

 リッサが大喜びで、パラに抱きついた。まるで、欲しくてたまらなかった玩具オモチャを買ってもらった子供のような、はしゃぎっぷりだ。

「もう、リッサったら……」

 まんざらでもなさそうな顔のパラ。

 そんな二人を、俺とマールは微笑ましく見守っていた。


 しかし、山を完全に降りて、緑の平野を歩き始めたところで。

「おい、これって……」

「来るわ!」

 俺とマールは、モンスターの気配を感じて、武器を構えた。魔王との戦いで手に入れた風魔剣ウインデモン・ソードは、暫定的に俺が持ったままだったので、今は俺も近接戦闘が出来る状態になっている。

 やがて、前方から近づく二匹のゴブリンが見えてきた。ランスゴブリンでも騎士ナイトゴブリンでもない、ただの普通のゴブリンだ。

「残念だな……。せっかく、大手柄だと思ったのに!」

 悔しそうな声で叫ぶと同時に、リッサが走り出した。

「ちょっと、リッサ!」

 慌ててパラが制止しようとするが、間に合わない。おそらくパラも、俺やマールと同じく、まずは遠距離から攻撃しようと考えていたのだろう。

 俺たちが唖然としている間に、

「ラゴスバット・クロー! ラゴスバット・クロー! ラゴスバット・クロー!」

 リッサは二匹のゴブリンに、鉤爪の連打を叩き込んでいる。

 まるで八つ当たりのような大暴れだ。

 今の俺たちにとって、普通のゴブリンは、はるかに格下の敵。おそらく一匹やられたら、残りは逃げ出すはずだった。

 しかしリッサの猛攻は、ゴブリンに逃走の暇を与えない。二匹まとめて叩き殺してしまった。


 結局、戦闘は、この一度だけだった。

 俺たちは、その日の夕方、イスト村に戻ることが出来た。

 ウイデム山の頂上まで、行く時は三日かかったが、帰りは二日で済んだことになる。山道でモンスターが出没しなかったのも理由の一つだが、それだけではないだろう。

 往路では、パラが『氷の壁』を壊すところで魔力を使い果たしたので、一日目は早めに切り上げることになった。翌日も、パラが回復して目を覚ますまで出発できないので、あまり進めなかった。二日間を合わせて、実質一日分くらいの行動量だったのだ。

 それを考えると、帰路が二日というのは妥当ではないだろうか。


 村に入ると、俺たちが東の山脈に向かう前とは、明らかに雰囲気が異なっていた。

 村全体に漂っていた不穏な空気は、当然のように消えているし、通りを歩く人々の表情も明るい。

「私たち、何やら噂されてないか?」

「それは当たり前でしょう。私たちが何しに山へ登ったのか、みんなが知っているんですよ」

 リッサとパラが声を弾ませて、そんな言葉を交わしているように。

 すれ違う村人たちが、俺たちの方をチラチラ見ながら、ひそひそと何やら話していた。悪い噂をしているという感じではないが、こういうのは慣れておらず、俺は少しくすぐったい気分だ。

 そうした視線にさらされながら、俺たちは中央広場まで辿り着く。今回の一件は、冒険者組合イスト村支部から正式に依頼されたものだったので、まずは組合に報告する義務があった。それに窓口まで行けば、いつものお姉さんから、村の状態がどうなったのか詳しく教えてもらえるだろう。

 そう考えて『赤レンガ館』へ入っていくと……。

「おお! 帰ってきたぞ!」

「英雄たちのご帰還だ!」

 たむろしていた冒険者たちが、俺たちの周りに、わーっと集まってきた。

 俺には面識のない者ばかりのようだが、マールたち三人は違うらしい。何人かの女性冒険者から話しかけられている。

「やったわね!」

「どうだった? あの雲の下には、何があったの?」

 そういえば、出発前にパラが「女子寮の食堂で、今まで話したこともない冒険者たちから声をかけられた」と言っていた。なるほど、この騒動で、パラやリッサにも知り合いが増えたのかもしれない。

 そんなことを考えていると、俺にも声をかけてくる者が現れた。

「よう、ネクス村の英雄! 今度は、俺たちのイスト村まで救ってくれたな!」

 青い皮鎧を着た、モヒカン刈りの大男。武闘家のセンだ。グラスを手にしており、どうやら彼は、食堂ホールで飲んでいたらしい。時間的には、早めの夕食といったところだろうか。

「ああ、センか。いや、村を救ったなんて言われると、大げさなのだが……」

「でも、ラビエスたちが東の山脈に赴いて、二、三日したら、あの黒い雲が消えたわけだからなあ。あんたたちの手柄って考えるのが、普通だろ?」

 どうやら、窓口まで行かずとも、冒険者たちの口から、色々と聞き出せそうだ。

 とりあえず『二、三日したら』という言葉から考えて、山を覆っていた黒雲は、やはり俺たちが風の魔王を倒したことで消滅したようだ。ならば……。

「村の中の嫌な気配が消えたのも、暗雲の消失と同時か?」

「ああ、もちろんだ。消える少し前に、いったん『気配』が強くなったから、あの時は俺たちの心配も強くなったものだが……」

 おそらく魔王の姿が変わった時の出来事だろう。魔王が人間ヒトの姿を捨てて、異形の正体を現した時、山頂の『魔』の気配は凄いことになったが……。その影響が、この村にも及んだに違いない。

「……結局、あれも消えてなくなったからなあ。それもこれも全部、ラビエスたちが山頂まで行って、あの黒い雲を風魔法で吹き飛ばしてくれたからだろ?」

「……え?」

 一瞬、俺は意味がわからず、呆けたような表情を見せてしまった。

 黒い雲を風魔法で吹き飛ばす……?

 そんな話になっているとは。

「……みんな、そう噂しているのですよ」

 センの後ろにいた男が、補足の言葉と共に、会話に参加してきた。中性的な顔立ちの優男やさおとこであり、装備を見た感じでは、狩人をやっている冒険者のようだ。頭の上の羽根つき帽子から足を覆う狩人靴ブーツまで、装備一式を淡い緑色で統一している。

「ああ、こいつの言う通りだ。まあ『みんな』は少し大げさかもしれないが、少なくとも、ここの冒険者たちの間じゃあ、そういう話になってるぞ」

 センの親しげな口ぶりから考えて、緑色の狩人は、センの仲間なのだろう。

「待て待て。その『噂』とやらを、詳しく聞かせてくれないか?」

「なんだ、噂は事実じゃないっていうのか?」

「噂の根拠の一つが、風魔法の一時的なトラブルです」

 緑の狩人が、詳しく教えてくれた。

 山の暗雲が消えるのとほぼ同時に、冒険者たちの風系統の魔法が使えなくなったらしい。風魔法を攻撃手段としていた白魔法士たちは思いっきり焦ったが、幸い、そうした異常事態は数時間で収まった。今では、また普通に風の魔法を使えているという。

「だからさ。俺たちは考えたわけだ。たぶん、あんたたちが風魔法を使い過ぎたのだろう、ってな」

「風の神様が、他の冒険者に力を貸せなくなるくらい、ラビエスさんたちが風魔法を使いまくったのではないか……。そういう話になっているわけです」

 二人の話を聞いて、

「なるほど、そういう理屈か……」

 俺は、思わず考え込んでしまった。


 この世界の魔法が、実は神様ではなく魔王から力を借りて発動される術である以上、風の魔王が消えれば風系統の魔法が使えなくなるのも、当然の話だ。だから、使えなくなったこと自体に、俺は驚いたりはしない。

 問題は、それが一時的な現象だったこと。また使えるようになった、ということだ。

 単純に「風の魔王が復活した」とは思いたくないし、そもそも『復活』というのは魔王の最後の言葉とは少し矛盾する。だから俺は、いくつかの可能性を考えてみた。


 まず最初に頭に浮かんだのが「魔王自体は消えても、構築されたシステムそのものは残っているのではないか」という可能性だ。

 神様であれ魔王であれ、呪文詠唱という俺たちの祈りに応じて力を貸す際に、いちいち直接その詠唱を耳にしていたとは思えない。全世界の魔法士を相手に、そんな「オペレーターが一人しかいないコールセンター」みたいな役割を出来るはずもないからだ。ならば、俺たちの呪文詠唱に従って自動的に力を貸し与えるような『システム』が存在していたに違いない。だから魔王自体が消えても大丈夫なのではないか、と俺は考えたのだ。

 その場合、一時的に使えなくなった理由についても想像してみた。

 いくら『システム』は残存しても大元が消えた以上、多少の混乱があって、それで短時間の障害が発生したのではないか……。そう考えるのは、無理な解釈だろうか?


 第二の可能性として「風の魔王が死んだので、代わりに風の神様が現れた」というのを考えてみた。

 風の魔王と対峙した山頂では、俺は単純に「この世界に神はいない。俺たちが神として崇めていたものは、実は魔王だった」と解釈してしまった。しかし冷静に考えれば、それはそれで矛盾する。魔法には、風・土・水・火・光・闇の六系統があるのに対して、知られている魔王は『四大魔王』つまり四人しかいないからだ。四人のうちの誰かが名前の示す系統とは別に光や闇も受け持っていると考えるよりは、光の神様や闇の神様が存在するという解釈の方が自然だろう。

 ならば、その二系統だけではなく、ちゃんと風・土・水・火に相当する神様もいるのではないか。ただ魔王よりも力が劣るために、魔王健在のうちは、神様が俺たちに影響を及ぼせなかったのではないか。風の魔王が消えたことで、ようやく風の神様が、俺たちに力を貸せるようになったのではないか……。

 この仮説ならば、魔法の供給主が魔王から神様に切り替わる間だけ風系統が使用不能だったという説明も出来るし、今は神様由来の魔法となって安定しているとも考えられるだろう。


 第三の可能性は「今も昔も魔法士に力を貸すのは魔王だが、魔王の旅路の間だけ、その『力を貸す』ことが出来なくなっていた」という可能性だ。

 風の魔王は、最後に「魔の世界へ帰る」と言っていた。魔の世界というのは、俺たち人間の世界とは、物理的にも空間的にも離れた世界に違いない。だから魔王が二つの世界を移動する間は、魔法士たちの呪文詠唱という祈りも届かず、風魔法が発動しなくなったのではないか。そして魔王が向こうで落ち着いてから、回復したのではないか。

 一応、魔王自身の言葉を基にした推測だ。だが、魔王は「もう、この世界に影響を及ぼすことは出来ない」とも言っていたはず。「風の魔王が、この世界とは無関係になる」という意味に受け取るならば「魔法士たちが、今まで通り風の魔王に力を借りて、風系統の魔法を発動させる」というのは、少し矛盾するようにも思えるのだが……。


「おい、ラビエス。本当のところは、違うのかい?」

 黙って考え込んでいた俺は、センに揺さぶられて、思考を中断することになった。

「ああ、そうだなあ……」

 適当な言葉を口にしながら、俺は、パラに視線を向けた。

 俺と同じく世界の真実を知ったはずのパラが、この風魔法の異変についてどう考えるのか……。少し興味があったからだ。

 パラは、マールやリッサと一緒に、女性冒険者たちに囲まれている。一瞬、パラがこちらを向いて、俺と目が合った。

 こちらの風魔法に関する話が聞こえていたのか、あるいは、向こうでも同じような話を聞かされたのか。どちらにせよ、おそらく俺と似たようなことを考えて、彼女も俺のことを気にしたのだろう。

「おいおい、ラビエス。女たちに色目を使ってる場合じゃないだろう? 詳しい話を教えろよ」

 微妙に誤解したセンが、俺の肩を掴みながら、話をかす。

 さすがに魔王云々の真実を告げるわけにもいかないので、どう説明したらいいのか……。

 俺が少し答えに詰まった、ちょうどその時。

 まるで、センの質問に返事するかのように。

 リッサの声が、その場に響き渡った。

「私たちは、風の魔王を退治したのだ!」

   

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