27
試しに棗は昨日と同じように灰色の猫に手を伸ばしてみた。すると猫は棗予想通りに、昨日と同じように棗の差し出した手に見向きもしなかった。今は雨は降っていない。それに猫はとても居心地の良さそうに、さやかの胸に抱かれている。だから棗の手に興味を示さないのは当たり前のことなのかもしれない。それでも一晩の恩があるだろう。ちょっとくらい僕に媚を売ってもいいはずだ。なのにこいつはそれをしない。
(もちろん、拾ってくれてありがとう、とかお礼も言わないし、甘えた顔もしない)
まったく、誰に似たんだか、本当に生意気なやつだ。
「ふふ。この子は自分を拾ってくれた一ノ瀬くんよりも、さやかのほうがいいってさ。振られちゃって、残念だったね」と棗の隣で亜美がにっこりと笑った。
その亜美の笑顔を合図にして、柚とさやかもにっこりと笑った。(みんなに笑われて、棗はちょっとだけ恥ずかしくなった)
棗は亜美に一度だけ軽く笑ってから、おとなしく自分の手を引っ込めた。
それから雑談の時間になった。
……リビングの窓の外からオレンジ色の光が差し込んでくる。さやかが壁にかかった時計を見て時刻を確認した。「亜美」とさやかは亜美に声をかける。そのさやかの言葉を聞いて「うん」と亜美は返事をする。棗もそのやりとりを見て、事情を察する。二人はもうそろそろ家に帰る時間なのだろう。(もう遅い時間だった)
亜美の家がどこにあるか棗は知っているけれど、さやかの家がどこにあるのか、棗は(もちろん)知らなかった。ここから歩いて、どれくらい時間がかかるのかもわからない。だから帰る時刻がいつになるのか、それは亜美とさやかに任せるしかない事柄だった。
「一ノ瀬くん。お邪魔しました」
「一ノ瀬くん。また今度、猫と遊びに来るね」
そう言って、木下亜美と谷川さやかの二人は玄関から笑顔で手を振って、一ノ瀬家を出て行った。
「うん、また」
「さようなら」
棗と柚は二人にそう言ってさよならの返事を返した。妹の柚は二人が道路に出てからも、少しの間、手を振って、夕焼けの中で、二人にさよならの合図を送り続けていた。
棗は急に静かになったリビングとキッチンで、片付けをしながら、内心すごくほっとしていた。母が帰ってくる前に二人がここからいなくなったからだ。二人と母が出会うことで、なにかあるというわけではないのだけど、こんな場面を母に見られることは、……なんとなく嫌だった。だからと言って、二人の誘いを断るのはもっと嫌だったし、自分の部屋に移動するのも(母から逃げているみたいで)嫌だった。
棗がグラスを洗っている間に、柚は布巾でリビングのテーブルを拭いてくれた。
それから片付けが終わると、柚は灰色の猫を抱き、(いつもより広く感じる)ソファーに座ってテレビをつけた。(番組は夕方のアニメ番組だった)
棗は自分の学校鞄を持って二階に上がった。そして自分の部屋のドアを開けて、勉強机の椅子に座って、その机の上に学校鞄から取り出した一冊の本を置いた。
それは今日、図書室から借りてきた夏目漱石の吾輩は猫である、だった。
棗はそこから猫の名前のヒントを見つけようと考えていた。
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