26

「いや、まだ決めてないよ」と棗は亜美に答える。それから棗はさやかを見て、「谷川さんの家の猫は、なんて名前なの?」と聞いてみた。

「白(はく)よ。真っ白な猫だから」

 棗にそう答えてからさやかは小さく笑い、今は柚の膝の上のところから移動して、さやかの胸にしっかりと抱かれている、まだ名前のない灰色の猫の頭をそっと優しく手のひらで撫でた。それは人間の赤ん坊をあやしている母親のようにも棗の目には見えた。


「柚はなにか考えた? 猫の名前」と棗は柚にそう聞いた。すると、柚は「え?」と驚いた顔をする。


「私が名前を考えてもいいの?」と柚は言う。棗は柚に「別にいいよ」と答えたが(柚が名前を名付けてくれるなら、それでもいいと棗は本気で思っていた。柚は僕の妹なのだから、柚が決める名前は、僕が決めた名前と同じと言ってもいいはずだ)横から亜美が「一ノ瀬くん。それはちょっと違うんじゃないかな?」と文句を言った。

「この猫は一ノ瀬くんが拾った猫でしょ? なら、名前は一ノ瀬くんが決めたほうがいいよ」とちょっと怒った顔をして亜美は言う。それはお昼に猫の名前のことで、棗の数少ない友人の佐伯真に相談したときに、真に言われたこととまったく同じことだった。(……やはり、逃げることはできないようだ。猫の名前は僕が考えなくてはいけないらしい)


「私もそのほうがいいと思うな。柚ちゃんには悪いけど、こういうことは『すごく大切なこと』だと思うの。この子の名前はきちんと、この子を拾った本人である一ノ瀬くんが考えるべきだと思うよ」と谷川さやかが言った。

 女子二人の意見を聞いて、柚はちょっと残念そうな顔をしていたけど、どうやら柚は二人の意見に納得しているようで、残念そうな顔のまま棗の顔をじっと見つめた。(だって、お兄ちゃん。と言っているような顔だった)なので棗は、自分が拾った灰色の猫の名前を、やっぱり自分で決めることにした。


 真にそうしたほうがいいと言われたあとも、実は密かに柚か母が名前を考えていたら、もしくは考えていなくても棗から相談して二人にこいつにぴったりのいい名前を考えてもらったら、それでいいと思っていたのだけど、……それはやめることにする。


 棗はさやかに抱かれている灰色の猫の顔を見る。 

 すると猫もいつもと同じように(生意気な顔で)棗の顔を見返してきた。

 それは、昨日とまるで同じだった。


 体は綺麗になっているけど、こいつの表情は冷たい雨の中にいるときとまるで変わっていなかった。生意気な顔。(澄んだ海のような瞳)そして、……どことなく他人の世話にはらないと言ったような、プライドを感じさせる誇り高い猫の顔をしていた。


 僕のわりかし好きな顔だ。

 その誇り高い猫の顔を見て、なんだか棗は思わず、嬉しくなって笑ってしまいそうになった。(危ない。危ない)

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