2019.8.23
その男は偉大なるミュージシャンだった。
幼少期をイギリスで過ごし、学生時代は人気者でどんな高貴な家の出の青年すら彼の人気には及ばなかった。
彼は憧れの人物が居た。
ヴラド・ツェペシュ。ジル・ド・レイ。吸血鬼伝説の元になった二人だった。
その残酷さと狂気の物語に彼は夢中になった。
「物語を書こう」
そう彼は思った。
「然し、俺は小説が書けない。詩と曲は書ける。歌は娘に歌わせれば良い」
彼の結婚した彼女とは娘が居た。可愛らしい娘で歌声はカナリヤの囀りの様だった。
彼は田舎の館で暮らしていた。彼女を妻としてではなく、娘の年の離れた姉として迎え入れた。
田舎暮らしの独身の彼は、酷く地元の興味をそそった。療養に来た令嬢がお忍びで彼の館を訪れる事もあった。
適当なバンドマンを集め、歌はヒットし、莫大な金が舞い込んだ。
それも暫くの事だった。
元妻は再婚の為に館を離れ、バンドマン達は多額の借金を彼に返済させようとし、最愛の娘は嫁に行く頃合いだった。
彼は遺書を書いた。誰にも見せる気のない遺書を。
幾枚かに綴られた遺書に飲みかけのウイスキーを掛けて、彼は館に火を放った。
火が揺らめいた。彼はこれで良かったのだと己に言い聞かせた。
夜の夢こそまこと 江戸崎えご @edozaki_ego
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