第10話 シュレーディンガーの猫

 窓の無い部屋…ただ白い正方形の部屋。

 飾り気のない…どころか何も無い。

 あるのは部屋の真ん中に、うつ伏せに倒れた女性の死体だけ…。

 容姿から判断するに20代半ばから30代前半、やせ形長身。

 所持品から即、身元に繋がるような物は今の所見つかっていない。

 歯の治療痕から身元はすぐに割れるだろう…。


 現在、鑑識3名と私の部下が、この部屋にいる。

 あぁ…もうひとり、この部屋の住人に話を聞きたいところなのだが…この住人は「ニャー」としか喋れない。

 部屋の隅で、カシカシと耳の裏を掻いて大あくびをしている。

 ご主人様の遺体には興味がないらしい。


「さてっ」

 私は猫を抱き上げ遺体の周りをゆっくりと一周する。

「警部補、これは他殺ですね」

「だろうな…背中をめった刺しにされているのはよく見えてるよ…」

 まったくコレが他殺体でなければ、なんだと言うのだろう…もっともらしい顔で頷く部下のケツを蹴り上げたい気持ちになる。

 白いタイトスーツだよな…ってくらい血で紅く染まっているのだ。

 着衣の乱れは無く、抵抗した、あるいは逃げようと暴れた痕跡も無い。

 そこが奇妙なのだ。

 一刺しで絶命したわけじゃないだろうに…死んでから刺したのだろうか、その可能性も視野に入れておこう。

 怨恨であれば、そういうこともあるだろう、かなり強い恨みを買っていたのかもしれない。

 これほどの美人であれば、ストーカーの線も充分に考えられる。


「警部補、この部屋からは指紋が採取できないかもしれません…床、壁からは今の所…」

 鑑識が言いかけたところで私は指を立てて、その先のセリフを制した。

 なんとなく予想していた、この部屋からは証拠はでないと…。

 それほどに生活感の欠片もない部屋。


 全てを拒むような『白』


 黒猫が私の腕でゴロゴロと喉を鳴らす。

「お前が犯人じゃないのか?」


 他に該当者は考えられない…。


 そう…窓の無い部屋…この部屋には何も無い。

 ドアすら無い…。


 鑑識は遺体を調べたり…壁に床にアルミパウダーをポンポン叩きかける…。

 何度目だ…。

 ここからは何も出ないよ…解ってるだろう…。


 我々は、どこから入ったのだ?

 いつからこうしているのだ?


 ついさっきのような気もするし…もう10年もいるような気もする…。


 みんな気づいてるんだ。

 誰も口を開かないだけ…怖いだけ…閉ざされた部屋で、永遠に…遺体と戯れる。


 黒猫の首輪がキラリと光る『SD』と彫ってある…名前だろうか。


 事実は現実の隣に在りながら…その姿を認識するまで現実足り得ない。

 そう…この殺人事件という事実は、今はまだ現実ではないのだ。


 みんな解っている…みんな、もう気づいている…。

 この事実を知らないのは、俺たちを知らないお前らだけ…。


 黒い猫が「ニャー」と鳴く…聴こえているかい箱の外のお前たち…。

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