第4話 案山子


 案山子(かかし)…。

 人を真似て田んぼに突き刺す人形。

 稲などの農作物に鴉などの鳥を寄せ付けないように地面に突き刺して使用される。


 カメラマンとして、農村の風景を撮影したくなって、都心から遠く離れた田舎へ…もっと自然な風景が撮りたい…さらに田舎へ…山を幾つ超えただろう。

 僕は、夕焼けを吸い込むような美しいオレンジに染められた棚田に出会った。

「美しい…」

 息を飲む…そんな風景に出会えるとは…オレンジというのか朱色というのか…これをフィルムに撮り込めるのか、僕は夢中でシャッターを切った。

 時間にすれば、そのマジックアワーは数分に過ぎない。

 だけど、シャッターを押している時間は無限のようで…それでいて刹那の瞬きのようで…。


 山肌を降りる頃には日は落ち…村のあぜ道をブラブラと歩く…。

 宿など無いだろうな…そうは思っていた。

 車で眠ろうかとも思ったのだが、どうしても…というか自然にというか…僕は村の棚田を横目に月明かりの下を歩く。

 空に月はひとつ…視線を棚田に移すと、棚田の数だけ月が水面に浮かぶ…沈む…。

 ポツリ…ポツリと民家か納屋かという建物があるのだが…灯りは在るものの人の気配がしない…。

 窓の開いている小さな民家が目に止まった。

「すいません…夜分に申し訳ありません…」

 東京なら、まだ夜分に…などと思わない時間、田舎とは時の流れが違うと肌で感じる…。

 僕の故郷も、地方の田舎町だが、これほどではない。

 自販機のひとつも見当たらないような農村だ。

 ガタガタッと木の引き戸が開いて…お爺さんが顔を出した。

「はい…」

「あの申し訳ありませんが…あ~言いにくいのですが…一晩だけ、泊めて頂けませんか」

 なぜ…こんな図々しいお願いが出来たのか、自分でも不思議だった。

 正直に言えば車に戻って、翌日に満足いくまで撮ればいいだけなのに…。

「あ~…アンタさん…何処から来なさったね…」

「東京です…写真家をやっておりまして…」

「写真…何を撮りに来なさったんで…」

「いや…風景写真を専門に撮っておりまして、自然を撮りながら、ここまで来たのですが、棚田の美しさに惹かれてしまいまして…」

「撮りなさったのか…棚田を…」

「えぇ…素晴らしい美しさでした」

「そうじゃろうな…」

「この世のものとは思えないほどの…妖しい魅力に惹きつけられたんです、明日も撮りたくて…」

「ええよ…何も、もてなしできんけど…泊まるだけなら好きにしたらええ」

 僕は、家にあがらせてもらった。

 電気も来てるのか?…ってくらいの昔づくりの民家。

 実際、灯りは月と囲炉裏の炎だけ…。

「この村は、何という名前の村なんですか?」

「ん~夜見扉よみとと言うんじゃ…」

「夜に見る扉ですか…不思議な響きですね」

「昔のデンデラらしいの~」

「デンデラ?」

「姥捨て山じゃ…捨てられても、すぐ死ぬわけではないしの…自然と集団になって村ができたんじゃろう…」

「姥捨て山…ですか…」

「さぁ…ワシは眠るから…好きに寝転ぶといい…」

「あぁ…ありがとうございます」


 といっても…こんな早い時間に眠れるわけでもなく…ポケットボトルの安いウイスキーをグイッと喉に流し込んで、窓から棚田を眺めていた…。

 月明かりに案山子が黒く浮かび上がり…棚田は美しさは消え失せて不気味さを携えて、僕の視界へ入り込む。


 ゾクリと背筋が寒くなったのは…案山子と目が合った気がしたから…。

 案山子に目玉など無かったのだが…。

 焚火の傍で身体を丸めて眠る…。

 泊めてもらってなんだが…毛布の一枚もだしてくれないのかと少しムッとした。

 翌朝…目が覚めると…老人の姿は無く、僕は棚田のほうへ歩いて行った。

 棚田には朝日が反射して、キラキラと目に沁みるような光が差し込む。

 棚田に何本か刺さっている案山子…なぜだか見られているような気がする。

 目は無いはずなのに…。

 棚田の写真を撮り、村を見て回る。

 バス亭も無く…店も無い…どうやって暮らしているのだろう…。

 村の集会場らしい場所を見つけ、立ち寄ると、村人が10数名、お茶を飲みながら井戸端会議…優雅なものだ…。

「あ~すいません…」

 集会場へ顔を出すと、昨夜の老人が

「あ~…今、アンタの話をしとったんじゃよ…丁度いい…」

「そうなんですか」

「あ~…丁度いい…案山子づくりをしとったんじゃ…見ていきなせぇ…」

「あ~ぜひ………」

 僕は皆が囲んでいる案山子を見て言葉を失った。

 藁のうえに横たわる半裸の老婆…。

 マネキン…人形じゃないぞ…。

 それを人の亡骸だと認識すると、途端に死臭が鼻を突く。

「おぅえぇえぇ…エホッ」

 思わず僕は、えずく…昨夜から何も口にしていなかったため何も吐きはしなかったが…胃液だけが口に上がってくる…。

「人が死ぬとの…こうやって案山子にして、あの世へ送るんじゃよ…鳥葬での~、風習での…案山子にすると…鳥たちが農作物を荒らさんのじゃ…腸はらわたや目玉から食うてくれるしの…青臭い植物より美味いのじゃろかの…」

 僕は腰を抜かしながら…這うように外へ出た…。

 昼になっていた…日が登ると、棚田の案山子を僕の目にクッキリと映し出す。

 老若男女…大小様々な案山子が一斉に僕を見ているような気がする…。

 目は無いのだ…すでに鴉がほじくりだしている。

 黒く空いた穴が…僕を吸い込むようだ…。

 僕は震える膝を叩きながらヨロヨロと走り…車に戻った…。

 車のドアをロックして…急発進させる。

 何処をどう走ったのか覚えてない…息が落ち着くころには夜になっていた。

 村からは大分離れただろう…。

 僕は高速のサービスエリアまで、安心することができなかった。

 あの村人達が追ってきているようで…。

 サービスエリアで、止めたはずのタバコを買って大きく吸い込む。

 他人の息遣いが、僕を安心させる…。

 30分ほど休んで、僕は東京へ戻った。

 あの時のフィルムは現像していない…。

 してはいけない気がする。


 あの村は…日本の悲しき風習を現代に残しているだけ…悪気も、疑問もない。

 きっと日本には、まだ…あんな風に語られない風習を残す村が在るのだろう…。


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