三日目 大奮発ですよ!!!

 化粧坂けわいざかは、鎌倉駅から北西の方角におよそ二十分程歩くと着く。源氏山げんじやまの程近くにその道はあった。

 緑が多く、鳥の鳴き声があちらこちらから聞こえる。とても神聖で綺麗な場所だ。平安時代のさむらい達も、もしかしたらこの道を通っていたのかもしれない。

 いや、道というよりも……崖だ。


「私は……、修行僧かっ!!!」


 でかい岩を乗り越えながら、そう吐き捨てた。


 確かに、光明寺こうみょうじに比べれば大分だいぶ近くなった。

 なったけど、道までもが昔のままだとは思わなかった。

 いや、むしろ道ではない。でかい岩も、木の根っこも好き放題に顔を出し、斜度しゃど三十度はある山肌の事を、私は道とは呼ばない。


 鎌倉には、切通きりとおしと言われる場所がいくつかある。

 かつて通行するために、山をけずって道を作ったんだとか。中でもこの化粧坂は、一番おもむきのあるものらしかった。


 確かにおもむきはある。だけど一番、通行には向かない。


 息を切らして崖を登り終えると、二つの看板が見えた。葛原岡くずはらおか神社と銭洗弁財天宇賀福ぜにあらいべんざいてんうがふく神社とある。

 今日は他に観光スポットも教えてもらっていなかったから、その二つの神社を見ていく事にした。

 せっかく登った坂をすぐに下りたくなかったので、先に葛原岡神社へと向かう。

 神社は小さなもので、社務所しゃむしょと鳥居と本殿ほんでん、それから小さな池があるだけだった。


 縁結えんむすびの神社だ。

 それが一目で分かったのは、これ見よがしにハート型の絵馬がたくさんぶら下がっているからである。

 普段は無神論者の私だったが、十円玉を賽銭さいせん箱に放り投げ、手を合わせておいた。

 不束者ふつつかものではあるが、手が空いたすきにでも、神様には是非私の願いも叶えて頂きたい。かれこれ二年は待っているので、どうぞよろしく。




 葛原岡神社を後にし、坂を下ると、そこには銭洗弁財天がある。坂道(こちらは"道"である)の途中に、山肌に穴を掘って鳥居が立っていた。名前からも分かるように、こちらは金運を上げる神社のようだった。奥殿おくでんは洞窟の中にあって、そこにお金を洗うための水汲みずくみ場がある。

 恋愛運も金運も一気に上げる事が出来るとは、ウハウハである。私は嬉々として、財布から百円玉を取り出した。

 洞窟に入って百円玉をざるに乗せ、お清めの水を掛ける。熱波のこの季節には、冷えた水は心地よかった。

 百円玉を財布に戻し、代わりにこまかな小銭を取り出す。金運上昇の願いを込めて、近くの賽銭箱に四十三円を放り込んでおいた。





 ********





「ねぇ、那雲なぐもさん。どうしたんですか?」

「……」


 今日の戦果を報告したところ、那雲さんは急にへそを曲げた。

 拝殿はいでんの床に座り込み、ひざを抱えている。袈裟けさすそが広がって、辛子からし色の着物が映えた。

 なんともみやびな体育座りである。……あるいは和菓子の饅頭まんじゅうみたいだ。


「私は、他の神社の参拝をしろとは言っていません」

「……えぇ~」


 どうやら、私が恋愛と金運アップの祈願きがんをしたのがお気に召さなかったらしい。

 そうは言っても、恋と金は女の必需品である。おろそかには出来ない。


「うちにはお賽銭もしてくれないのに」


 ぼそりとつぶやかれた言葉に、ぎくりとした。


 ……ばれてたのか。


「します! しますよ、お賽銭!!」


 慌てて財布を取り出し、小銭入れをのぞく。中には、五百円玉と百円玉が一枚ずつ入っていた。

 一瞬だけ逡巡しゅんじゅんしたが、私は金運アップのご利益の付いた百円玉を取り出した。

 致し方ない、背に腹は代えられない。


「ほら、百円玉! 大奮発ですよ!!」


 えい、と賽銭箱に放ると、カラカラと重い硬貨がころがる音がした。

 それに少し気を良くしたのか、那雲さんがちらりとこちらを向く。賽銭箱を覗き込み、落ちた百円玉の存在を確認すると、途端に機嫌が良くなった。


 そんな様子を見て、私はどっと疲れを覚えた。毎度ここまで歩いて来るだけでも、相応に体力を消耗する。


「おや、元気がないですね?」

「えぇ、まぁ……。疲れてるので……」


 今回のチョイスのせいで、と言外ごんがいに含ませてみるが、やはり那雲さんは気付かないようだった。


「そういう時は、笑えば何とかなるものですよ。いやー、愉快、愉快!」


 そう言って、はっはっはと笑う。

 私は、何言ってんだこいつ、と思いながらも、テキトーに愛想笑いを返しておいた。


「何かもうちょっと、心癒されるとか、元気になれるところに行きたいですね」

「では、東慶寺とうけいじ浄智寺じょうちじ如何いかがでしょう?」


 そう言って、手を差し出される。私はリュックからノートとボールペンを取り出した。

 那雲さんはノートの中心に黒丸を書くと、北鎌倉と記す。黒丸の右近くに東慶寺、さらにもう少し過ぎたところに浄智寺と書き加えた。

 相変わらず、字は汚い。


「どちらもオススメの癒しスポットです。北鎌倉駅を下りてすぐですよ」

ですね?」

「はい」


 私は那雲さんを信じなかった。


 お礼を言ってノートを返してもらおうとすると、那雲さんは急に殺人現場を目撃してしまったばりの表情をしてみせる。

 そしてまたノートを引ったくられ、何やらかを書き足して返してきた。

 見ると東慶寺の下に、饅頭に楊枝ようじが二本刺さったようなラクガキが追加されている。


「運が良ければ見られますよ」


 那雲さんはその饅頭を指差し、にこにこして言った。

 ……一体、この寺には何が住みついているのだろうか。

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