62.はじめてのおつかい


 ……鬱蒼と茂った森の中を、二つの人影が移動している。

 周囲を必要以上に警戒しているため、その歩みは非常に遅い。

 

「シュカ、やっぱり冒険者になって初めての依頼で森に行くのは無謀だったんじゃ……」

「そんなことないって、エメラ。街道の《黒妖犬ブラックドッグ》は楽勝だったじゃん!」

「そうだけど……」


 声の主は、エメライトとシュカ。

 シエラの店で得物を調達した次の日、王都近郊の森に来ていたのだった。

 二人は前日に武器の試し振りをしようということで街道を少し歩き、そこに出没する最下級の魔物の黒妖犬を難なく倒すことに成功していた。

 それに気を良くしたシュカが、冒険者登録をした日のうちに『森に生息する《暴走猪ワイルドボア》の素材が欲しい』という依頼を受けたのだが、エメライトはあまり乗り気ではなかった。

 元々心配症な傾向のあるエメライトは、初めての森で、初めての魔物を倒せるかどうか不安だったのである。


ただ、村で一番の力持ちだったシュカと、村で一番の魔力を保有するエメライトの実力は王都でもそこそこ通用するようで、森で時折遭遇する魔物に対しても危なげなく勝利することができていた。

 多少の傷であればエメライトの治癒魔法で回復できるし、シュカの持つシエラ謹製の初級円形盾は安価な素材のわりに非常に頑丈で、二人の連携が崩れることはなかった。


「ほら言ったでしょ、私たちなら大丈夫だって」

「……うん、意外と、大丈夫かも……!」


 幾度目かの戦闘で倒した魔物の魔物核を回収しつつ、シュカとエメライトは徐々に自信を持ち始める。エメライトも最初は遮蔽の多い森林で魔法銃の狙いをつけるのに苦労していたが、徐々に勘を掴んで命中率も上がってきていた。

 この森の下級魔物程度であれば《白狐》の《アイシクル》が一発当たればまず即死させられるので、良い武器を紹介してくれたシエラには感謝しなければ、とエメライトは思わざるをえない。


「そういえば、シエラさんのお店、明日オープンだって」


 エメライトがそう言うと、シュカが頷く。


「そうそう。間違って押しかけちゃったお詫びと感謝もしたいし、何か買ってこっか」

「そう、だね。中央通りの評判の良いお菓子でも――」


 言葉の途中で、エメライトは視線を感じる。人間のものではない、強い攻撃性を感じる視線。

 この森に入ってから最も強いプレッシャーを感じる。


「……シュカ!」

「わかってる!」


 エメライトが呼ぶが早いか、シュカは気配を感じるほうを向き、エメライトとの間に入って盾と斧を構えた。

 緊迫した時間が流れるが、数秒後、すぐにその静寂は破られた。

 重々しい蹄の音が響き、その存在は一瞬で距離を詰め突っ込んできた。


「受け流すよ!」


 自身の力と体重ではそれを受け切れないと悟ったシュカは、両手で盾を持ち斜めに構えた。

 それは木々の間から飛び出してくると、シュカの盾に激突すると進路を逸らされ、しばらく斜めに走ったところで停止する。

 その姿は、このあたりの魔物より一回り大きな体躯に、黒く硬い体毛と泥の鎧を纏った猪――《暴走猪》である。

 暴走猪が停止した瞬間にエメライトが魔法銃から《アイシクル》を放つ。

 シエラが設計した《白狐》から放たれる《アイシクル》の形状は、ちょうどあちらの世界のライフル弾のような先の尖った形状に成形、射出されるようになっている。

その速度はライフルや拳銃のそれには及ばない五百km/h程度ではあるものの、とても生物の対応できる速度ではない。

 それは魔物にとっても同様であり、暴走猪はその一撃をまともに胴体に受ける。

 魔力の通った頑丈な体毛と泥の鎧を貫通して体内まで届きはしたものの、暴走猪は絶命には至らなかったようで、なんとか踏みとどまった。

 さらなる隙を与えては不味いと考えたのか、暴走猪は先ほどよりも速い突進を行う。狙いはもちろんエメライトのほうである。

 あまりのロケットスタートに一瞬反応が遅れたエメライトは焦る。今から左右に跳んでもかわしきれない。


「エメラっ!」


 そこに割って入ったのはシュカ。突進する巨体に横から飛び込み盾ごとぶつかり、自分も跳ね飛ばされたものの暴走猪の軌道をエメライトから逸らすことにもなんとか成功していた。


「ありがとう、シュカ……!」


 エメライトは《白狐》をしっかりと握り直しつつ、考える。

 暴走猪の突進は速く、見る限りでは回頭もそこそこ効く上に軽くサイドステップして木をかわすことさえ可能らしい。

 自分の今の命中精度では、確実に命中させることは難しいだろう。

 どうすればいいか――考えた末に、一つの方法を思い出す。


「《アイシクル》、多重詠唱――!」


 エメライトは意識を集中し、脳内の詠唱領域に複数の魔法を構成する。それぞれは全く同じ内容のものなのだが、脳内の思考を分割して同時に複数のことを考えるかのようなその行為はかなり高度な技術である。

 イヴほどにもなると自然に使える技術ではあるものの、今のエメライトのレベルではいささか荷が重い。

 それでもエメライトはなんとか《アイシクル》の五重詠唱を完了し、魔法銃をまっすぐに構えた。

 狙うのは、こちらに向かってくるコースに入った時。旋回している間は高度な偏差射撃が必要となってしまうためである。

 ただし、自分に向かってきている暴走猪を狙うということは、自分自身の回避を捨てるということだ。

 それでもこの土壇場でその方法を取る決意ができたのは、シュカに対する信頼の賜物であった。

 暴走猪が旋回を終え、狙い通り再度突進コースに入る。

 大切なのは、木々に邪魔されないようギリギリまで引きつけること。

 湧き上がる恐怖を無理やり押さえて、引きつける。

 そして――


「いっ……けぇっ!!」


 エメライトが引き金を引く。

 脳内から出力された魔法が順に《白狐》内に発現し、五発の弾丸が発射されていく。

 一発目。魔法の兆候を予期していた暴走猪はサイドステップで射線から外れ、回避。

 二発目。サイドステップでもかわしきれない場所に飛来し、胴体に命中。

 三発目。右前脚に命中し、根本から脚を一本吹き飛ばす。

 四発目。暴走猪が体勢を崩したことにより命中せず。

 五発目。偶然にも暴走猪の頭部を直撃し、これが決定打となる。


 残った慣性でゴロゴロと転がってくる暴走猪を受け止めるべくシュカがエメライトの前に立つ。しかし、絶命した暴走猪はその手前で爆散し、身体の大部分を魔素へと還していったのだった。


「か、勝った……?」


 未だに魔法銃を構えたまま、エメライトがつぶやく。


「――やった! やったねエメラ!!」


 シュカも同じくしばらく呆然としていたが、喜びを爆発させて大の字に寝転がった。


「あー……疲れた……」

「シュカ、まだ森の中なんだし、素材を回収したらすぐ戻ろう。休むのはそれから……」

「そうだった、そうだった。と、蹄も牙も魔物核も残ってるし、ばっちりだね!」


 こうして、二人の初めての依頼はなんとか無事に達成されたのであった。

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