60.かわき

 ツェーラ鍛治錬金術具店正式オープン前日。

 シエラは店の内装を確認しながら、ある衝動を感じていた。

 何かが足りていないような、空腹や喉の渇きにも近い感覚。

 加えて若干気怠く、普段よりも身体が重く感じるのである。


 こちらの世界に来てからというもの、高レベルに起因する高性能な身体を手に入れたシエラはいつでも快調で、身体の不調を感じたことはほとんどなかった。

 その身体が突如、何をしても満たされない初めての感覚に襲われているというのはシエラにとってなかなかの異常事態である。

 食事と睡眠は十分すぎるほど摂取している。

 性的欲求……は多少感じなくもないが、おそらく違う。

 

 そのまま数時間ぼんやりしながら首を捻っていたシエラは、ようやくその衝動の正体に気付く。

 ――血。血が欲しい。

 新鮮な人間の血が吸いたいという、吸血衝動。


「……まさか、わしにもそんなものが備わっていたとはな。もうこちらへ来て数ヶ月経つと言うのに気付かぬとは……」


 《エレビオニア・オンライン》において吸血鬼系種族全般が備えていた種族特徴の一つが《吸血衝動》である。

 敵味方問わず、吸血鬼系種族は吸血行動をとることができる(敵を吸血する場合は吸血攻撃を命中させて有効なダメージを与える必要がある)。

 そして一定時間、吸血した相手の能力値をある割合で上乗せすることができる代わりに、効果時間が切れると自身のステータスに大幅な下方修正が加わるというものであった。

(ちなみに非人間種族にはこのような「条件を満たすと強力だが条件を満たさないと非常に弱い」という種族特徴を持つものが少なくない)


 吸血鬼系種族としては最高峰のランクとなる真祖系吸血鬼種族《オリジン・オブ・デイライトウォーカー》のシエラといえども、その能力とは無縁ではない。むしろ、真祖というだけあってその能力は非常に強力なものとなっており、血が足りている間は長期間絶大なバフがかかる代わりに、一度その状態を抜けると全能力値に下方修正が掛かり、《倦怠》のバッドステータスを受けてしまう。

 それでもエレビオニア時代であれば、倦怠状態はHPと魔力の自然回復力が半減する程度で放っておいてもたいした影響はなかったのだが、現実となれば話は別である。


 なんとかして吸血衝動を満たさねば……と考え、脳内に候補リストを思い浮かべる。

 吸血行動の対象にできるのは、吸血鬼種族以外の、血液を持つ種族と非常に幅広い。

 吸血鬼ということを明かしていないので、こちら側の人々は除外。この時点で対象はアルカンシェルに限られてしまう。


「わしの配下NPCはほとんど吸血鬼じゃからNG、他のメンバーが作ったNPCであれば人間種もある程度いる……か。地下迷宮の魔物どもも協力的らしいし一応候補に……しかしこの世界で魔物から血を吸うのは悪影響はないのかのう……?」


 色々と考えつつも、結局顔を思い浮かべるのは――


「まあ、リサエラに頼めればそれが最も丸い、か。……多少気恥ずかしいが、頼んでみるとするか……」


 そう言って、謎の恥ずかしさを抱きつつも、リコールを唱えたのであった。



 自室に転移したシエラは、リサエラを探して歩きだした。とはいえ、部屋の前で待機していたエルマに尋ねることで居場所はすぐにわかったのだが。

 そのリサエラはといえば城の庭園にいるらしい。城の中腹部にある庭園は、大きな花壇で様々な素材用の植物を栽培している場所だが、リサエラは何か用事でもあるのだろうか。

 そう思いつつ歩き、庭園の入り口にたどり着く。

 庭園の入り口は全面ガラス製の美しいドアになっており、色とりどりの庭園が見えるようになっている。

 その景色の中に、リサエラはいた。

 しゃがみこみ、何かに餌をあげているらしい。

 その動物は、青く、半透明な身体の猫。リサエラが手に乗せた白い木の実を美味しそうに食べている。

 そういえば、とシエラは思い至る。リサエラがこちらに飛ばされてきたときに保護することになった幻獣というのがあの猫のことだろう、と。

 第一、リサエラが現在契約している他の幻獣というのはもっとものものしい、いかにも戦闘能力の高そうな者がほとんどなので間違いない。

 周りを見れば、リサエラは他にもいくつかの幻獣を実体化させて庭園を散歩させているようだ。この庭園に植えてある植物は素材としても上等な物が多く、発する魔力も多いため魔力の身体を持つ幻獣には心地よい空間なのだろう。

 その絵になる光景に、つきまとう倦怠感を忘れて見入ってしまう。


「……邪魔をするのも悪いし、時間を改めるかの」


 そう考えたシエラはそっとドアから離れようとするが、その瞬間、顔を上げたリサエラときっちり目が合う。

 果たして、いつから気付かれていただろうか。気まずい気持ちになりつつも、シエラは観念してドアを開ける。


「やあ、リサエラに幻獣たちよ」


 そう言いつつ軽く手をあげると、立ち上がったリサエラが深くお辞儀をするのと同時に集まってきた幻獣たちも合わせて頭を下げ、服従の姿勢を取った。

 その様子はあまりにも整然としており、いつのまにそんな芸を仕込んだのだ、と聞きそうになってしまう。


「おかえりなさいませ、シエラ様。私に御用でしょうか?」

「ん、ああ、まあ用というか、そのー……」


 血を吸わせてくれ、と突然言い出すのがなぜか恥ずかしくなり、言葉を濁すシエラ。

 ――その様子は、リサエラ主観にはこう映った。


(やや紅潮した頬、逸らした目線、何か言い難いことを話そうか迷う唇――全てが可憐すぎます、シエラ様。素晴らしすぎる……私には全てわかりました。どんなことであろうと私は受け入れて――おっと鼻血が)


 高速で無限に展開された妄想と垂れかけた鼻血を意志力で止め、リサエラは微笑む。この間わずかゼロコンマゼロ五秒。

 ゲーム時代、《アルカンシェル》は変人揃いだと評判になっていたが、その中において唯一の常識人がリサエラだという評価は内外でも異論のないところであった。

 だが、実際にはリサエラはシエラのこととなると感情が暴走しており、それを鉄仮面で自身の中に収めているだけなのだ。《アルカンシェル》の人間はやはり腐っても《アルカンシェル》の人間なのである。


「こんな時間ですし、まずはお夕食にしましょうか、シエラ様。お話はその後でもよろしいでしょうか?」

「う、うむ。それで良い。頼む」


 ほっとした様子のシエラと、 ただ微笑むリサエラ。

 両者の思考はまだ互いに伝わっていないのであった。


 

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