10.やどめし


 風呂上がりに、脱衣所備え付けの自販機から入手した牛乳を飲んで、シエラは心が癒やされていくのを感じる。

 なぜ身内しかいないのに自販機なのか、なぜ自販機がレトロな風貌なのか、そんな些細なことは気にならない爽快感である。

 

「さて、と。……とりあえずはこれを着ておくしかないか……」


 下着の代わりに旧スクを取り出して、足を通す。

 着てみるとサイズはぴったりで、若干締め付けを感じるものの動きやすいので許容範囲である。

 しかし、素材にエンドコンテンツ系のカエル系魔物の皮を使っているらしく、上質ではあるものの普通の布とは違った怪しい光沢があるこの衣装は自分にとっても多少目に毒だ。

 さっさと上に服を着て、下着(にした水着)のことは忘れることにする。

 

「ふーむ、ひとまず下着の調達は急務なようじゃな……。まあ、街に行けば手に入るじゃろうが」


 はあ、とため息をひとつつくと同時に、お腹が鳴る。

 そういえば、宿の夕飯を食べずにこちらへ来てしまった。

 アルカンシェルにも一時的な能力向上用の料理や食料は大量に備蓄してあるが、今はそれよりも、美味しいと評判の現地の宿の食事がどういったものなのかが気になっていた。

 

「……よし、まだ夕飯の時間には間に合いそうじゃな。今日は向こうで食事を摂るとしよう」


 シエラは期待に胸を踊らせながら、リコールを詠唱したのだった。

 

 

 今度は浮遊感もなく、景色がスムーズに宿の内装に移り変わった。

 魔力の繋がりを感じていたとはいえ、実際に上手くいくかどうか、少し緊張していたのである。


「……そういえば、この街のホームポイントも変えておかねばな……。この部屋にいつまでも泊まっているとも限らぬし」


 とはいえ今は困るものでもないので、ひとまず放置。

 それよりも空腹に耐えかねて、部屋から出て食堂に降りていく。

 

「やあ。夕飯かな?」

「うむ、頼む。なにか酒も貰えるか」

「……酒……?」


 当然のように酒を要求するシエラに、訝しげな目を向ける店主。

 どう見ても12、13歳ほどの見た目にしか見えないシエラに疑念を持つのは当たり前である。

 

「ええと、この国での飲酒は18歳からだけど……」

「……ん? あ、そうか……」


 シエラのプレイヤーは成人済、シエラ自身の設定も1014歳(自称)の長命吸血鬼なので自身が子供だと思われていることに全く気付いていなかったのである。

 他の人間から見ると「何を言っているんだ」という事案なのだが、シエラ自身の認識がそうなのだから仕方がない。

 

「あー、ではまあ茶でいい、頼む」

「かしこまりました。と、そういえば名乗ってなかったね。ぼくはヘラルド。ここ《マウンテンハイク》の店主をやってるよ」

「わしはシエラ。シエラ・ナハト・ツェーラじゃ。よろしくな」


 多少シエラには高いカウンターの椅子によじのぼって座りつつ答える。店主ヘラルドはなにやら微笑ましそうな様子である。

 それほど待たずに、裏から夕食と黒茶のグラスが運ばれてくる。

 

「黒茶というのはこのあたりの名産のようじゃな」

「そうだよ、この街の周辺には黒茶畑が多いね。他の地方の黒茶より味が深くて人気があるんだ」


 ちびりとグラスの黒茶を飲む。よく冷えた黒茶が心地よい。

 街を歩いているときも、黒茶の喫茶店や茶葉を売っている店をところどころで見かけたので、名産品なのだろうと思っていたが、やはりその通りだったようだ。

 

 さて、と楽しみにしていた夕飯に手を付ける。

 主食は麦飯、副菜は野菜サラダ、主菜は何かの肉のステーキのようだ。

 シンプルながらも漂ってくる香りもよく、限界まで膨れ上がった空腹感をことさらに刺激する。


 食べ物も、異世界であるにしてはシエラの見覚えのある雰囲気の食材ばかりで助かった。

 米粒の大きさや野菜の種類など、少しずつシエラの知っているものとは違った感じがあるが、誤差の範囲だろう。

 

「それでは、いただきます、と。……おぉ、うまい……!」


 肉を一切れ口にした瞬間に、シエラは驚いてしまう。

 シエラの知るどんな肉よりも芳醇で深みのある味の肉汁が口の中に広がっていく。

 肉自体も柔らかく、頭の中が幸せで満たされていくようである。

 

 顔を蕩けさせている少女を見て、ヘラルドが頬を緩める。

 

「お口に合ったようでなによりだ。そいつは近くの山に生息するクロイノシシの肉なんだ。新鮮な肉が手に入ってよかったよ」

「いや、これは本当に美味い。私の知るどんな肉より上等じゃな……」


 そもそもシエラは生活費のほとんどをオタク趣味――ひいては《エレビオニア・オンライン》に注いでいたので、いい食事というのはほとんど食べてこなかったのではあるが、それを差し引いてもこの肉は上質であった。

 麦飯もサラダも素材の味を活かした作りで、気付けばぺろりと平らげてしまっていた。

 

「いい食べっぷりだなあ、シエラちゃん。てっきりどこかの貴族のお嬢さんなのかなと思ってたから、ちょっと緊張してたんだけど」

「……ん? 貴族?」


 ヘラルドの言葉に、首をかしげるシエラ。

 

「だって、上等な服を着た美しい白銀の髪で美人のお嬢さんが一人で宿に入ってきたんだもん、常連の間で『あの娘は誰だ』、って話題になってたよ」


 そう言ったヘラルドが脇を見ると、テーブルで酒杯を揺らしていた集団が目をそらす。

 どうやらシエラの知らぬ間に噂になっていたらしい。

 

「それでぼくもどういった人物なのかなーと想像してて、まあたぶん貴族のお嬢さんが社会勉強として一人でお泊りとかかな、と思ってたんだけど……なんか違ってるぽいね」


 言葉の最中にヘラルドが自分の言葉を否定したのは、シエラの呆けた顔がどう見ても演技でもなんでもなかったからである。


「ん、いや、わしは全くそういう者ではない。地方を巡っておる錬金術師なんじゃが……まあ見た目ではわからんか」

「へえ、その歳で錬金術師かあ……! 人は見かけによらないもんだねえ」


 その反応はおおよそ衛兵マーカスと同じものだ。自分の歳を名乗っていないとはいえ、シエラはやはり子供のような年齢にしか見えないらしい。

 これはまっとうな手段ではこの国の酒は飲めそうにない……。

 

「まあ、そう思われても無理もない。ほれ、こういうのを作っておる」


 そう言ってシエラが取り出したのは、銀色のイヤリング。

 台座には紅色の澄んだ宝石が八面体にカットされ、収まっている。

 

「込めたのは攻撃速度増加じゃな。まああまり増加量自体は高くないが……」


 これはシエラが7年前に作ったものだ。

 7年前、(ゲーム内で)転職をして、メイン職業をビギナーアルケミストとしたときに作ったアクセサリーである。

 実際には初めて作成したアイテムは職人NPCに納品してなくなっているので、初めての品というわけでもなく特に思い入れがあるわけでもないのだが。

 今使っている強力な装備品では常識から外れているとめんどくさいことになってもいけないので、ちょうど持っていた記念品を見せたのである。

 

「アクセサリーかあ、ぼくはちょっとわからないんだけど……おーい!」


 ヘラルドが、隣のテーブルに声を掛ける。先ほどからシエラに興味深そうな視線を飛ばしていた一団である。

 4人の男女(それぞれ男女2人ずつの構成である)は呼びかけを聞いて、待ってましたとばかりにわいわいと寄ってきた。

 

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