2.かわるせかい


 ……小鳥のさえずり。

 

 ……雑踏。

 

 ……人々の話し声。

 

 様々な音を聞きつつ、少女は目を覚ます。

 

 寝ていたのはベンチだったようだ。

 少し身体が痛くなっているのを感じつつ、木組みのベンチから身体を起こし両手を上に伸ばす。

 

 (……記憶が曖昧だ)


 自分の愛したネットゲーム《エレビオニア・オンライン》がサービスを終了し、サーバーダウンするところに立ち会ったところで記憶が途切れている。

 エレビオニアには自宅のベッドからログインしていたので、ログアウトした後の景色が違うことに激しく動揺する。

 

 見える景色はといえば、古風な木組みの家々と、石畳を鳴らして道を行き交う人々。


 なにか、エレビオニアが終わったあとにファンタジー系のゲームを起動してしまったのだろうか?

 感覚没入型ゲームはその性質上事故防止のためかなり厳重なシステムが組まれており、間違えて起動したりといったことはなかなかないはずなのだが。

 

「……うーん……、っ!?」


 よくわからない、と思いつつ声を出して驚く。この自分の声は、長らく自分の愛用した某人気声優のボイスセットである。

 そして視界を下に下ろすと、そこにあるのは見慣れたスカート。そして色白で細い脚。

 額に一筋、冷たい汗が流れる。

 よく見れば、両手にもスカートと同じ白い手袋を着けている。

 

 ……これは、先ほどまでと同じ自分の、つまりシエラの装備である。

 

「な、なにが起こって……? いや、ちょっと、まずは落ち着いて……」


 胸に手を当てて深呼吸。

 その当てた手に返ってくる感触が柔らかいことに落ち着くどころではない。

 それでもなんとか深呼吸を続け、眉間を揉む。

 

「とりあえずログアウト……」


 右手の指を三本揃えて視界の右から滑らせて、メニューを呼び出す。

 そもそもメニューが呼び出せたことに安心しつつ、ログアウトボタンを探す。

 メニューUIの右端にあるはずのログアウトボタンは――存在しなかった。

 

「……は、ないか……」


 本当はシエラはすでにある予感に気付いている。それを認めたくないがために、確認作業をしているのだ。

 先ほどから全身に汗がにじんでいるじっとりとした感覚。

 視界の端に揺れる、あまりにも情報量の多い自然な白銀の髪。

 どこかから漂ってくる料理を作っているらしい香ばしい香り。


 ――あまりにも自然すぎる。

 あまりにも現実感がありすぎる。

 

 そもそも、《エレビオニア・オンライン》は感覚没入型とはいっても、現在のVR技術では完璧に感覚を再現できているわけではない。

 匂いはプリセットされている画一的なものを組み合わせているだけだし、触覚は現実と比べるとかなり鈍い。

 視覚情報も、あくまでゲームの延長線上なのでリアルになってもあくまでパターン化されたものという感じが拭えなかった。

 

 それが、この現実感である。

 空気の香りに混じって野菜と肉の焼ける複雑な香りが漂い、胸に当てた手は布の感触と柔らかさ、そしてほのかなぬくもりを感じている。

 景色はもう言わずもがなである。自然に流れる髪の毛、それぞれ微妙に模様の違う小鳥が上空を飛び、人々の歩いた影響でほのかに土埃が舞う。

 

「な、なんと……これは……」


 シエラは思考が停止してしまい、比喩ではなく両手で頭を抱えた。

 あまりにもわけのわからない状況すぎて、冷静に考えるということができなくなっていた。

 

 

 そんな姿が目に止まったのか、一人の男性が歩いてくる。


「君、大丈夫かい?」

「……えっ?」


 シエラに声をかけた男性は、短い茶髪頭の鎧姿で、腰に剣を帯びている。

 笑顔で話しかけてくるその人相からは、人の良さがにじみ出ていた。

 話しかけられたことに驚きすぎて、シエラは椅子の上で跳ねてしまう。

 

「ぼくは衛兵のマーカス。お嬢さん、ご両親と離れちゃったのかな?」


 どうやら、衛兵マーカスはシエラを両親とはぐれて途方に暮れる子供と認識したらしい。


「えっ、あ、その――だ、大丈夫っ!!」


 気が動転したシエラは、かろうじてそれだけ返すと、跳ね起きて逃げるように走り出した。

 

「あ、ちょっと、おーい……! ……なんだったんだろうか」


 マーカスが呼びかけるも、想像以上の速度で少女は走り去り、人混みにまぎれてしまった。

 

 

 シエラが大人も追いつけないような速度で走れたのは、その身につけた装備のためだ。

 自身で作成したその装備群は、身体能力の補助、耐久性の上昇、スタミナの上昇等様々な効果が付与されている。

 その能力を遺憾なく発揮し、シエラはついに誰からも声をかけられることなく街の外まで走りきったのであった。

 

 草原に腰を下ろし、乱れた息を整えながら思考を再開する。

 

 まず、この状況はあまりにも異様。

 これだけ鮮明な現実感は、感覚没入技術はおろか、夢ですら見たことがない。よってその両者の可能性は否定。

 ではここは現実世界かといえば、そんなはずはない。

 シエラの生きていた世界は2052年。間違っても鎧姿の人間が剣を提げて石畳の街を歩いているような世界ではない。

 ……つまり、答えはおそらく一つ。

 

「異世界……ってやつ……?」


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