第22話 辻斬り
「絶対、黒よ!」
「いいや、白だ!」
衣服店の中で、ヴィオラとファムがいがみ合っていた。
その手に握られているのは女物の下着。二人とも女なので別におかしくはないのだが、その規格はどちらにも合っていないように思える。片方は余り、またもう片方は足りない。何というか、容積的に。
つまり、それが誰のためのものかと言えば――
「ローザちゃんみたいな天然ぽやぽやな娘が、こういう大人っぽい色を身に着けている。その意外性に男はどきっとするのよ!」
「馬鹿野郎、清純さはお嬢の最大の武器だ。それを失くすなんてとんでもない! だいたいな、色気だったらこの透け編みで補完できる!」
「……いやあの、お二人とも。道場へ行くのでは?」
熱弁を交わす二人に、ローザリッタがうんざりしたような目つきで突っ込んだ。
少し前に遡る。
先日の約束通り、旅籠まで迎えに来たファムに連れられ、ローザリッタとヴィオラはダヴァン流道場へと繰り出していた。
その道中、朝課の鐘が鳴った。市壁の開門の時刻だ。
それに合わせて、街の中がにわかに活気づいてきた。都市は商人や旅人の往来によって運営が成り立っているが、同時にその出入りの時間は厳重に管理されている。門の開閉が商人たちの時計なのだ。
慌ただしくなった商店街を歩いていると、ファムが暖簾をかけはじめる服飾店を見つけた。すると、「そうだ、寄り道していきましょう」といきなりローザリッタの手を引いて、店の中に飛び込んだのである。
そして、一刻余り議論が続いていた。
「心配しなくても、ちゃんと案内するわよぅ。でも、せっかくローザちゃんとお出かけするんですもの。お買い物くらいいいでしょ?」
「こいつの意見に賛同するのは癪だが、あたしもそう思う。何だかんだ言ってシルネオにいた時からぴったりの下着を調達してないじゃないか。せっかく物流の行き届いた都市にいるんだ。今のうちに仕入れておくぞ」
「うぇぇ……」
ローザリッタは露骨に嫌そうな顔をする。
「そんな面倒くさそうな顔するなよ。小さいのを無理やり着け続けるのも体に悪いんだからさ」
「それはわかります。わたしも窮屈ですから、新調するのは構いません。でも、ヴィオラが選ぶと時間がかかるじゃないですか。今みたいにあーでもない、こーでもないって言って」
ましてや、今回はファムもいるので待ち時間二倍である。いや、二倍で済めばいいが、ファムの性格からしてその程度で済むとは考えにくい。
「お嬢がいっつも適当に選ぶからだろ。前回だってそうだ。年頃の娘が着けるような意匠じゃないぞ、あれ」
「誰に見せるわけでもないんですから、意匠なんてどうでもいいじゃないですか。着心地が良くて、規格が合っていればいいんです。というか、なんで二人とも見せること前提で話しているんですか? 下着なんて、おおっぴらに見せるものではないでしょう?」
言っていることは至極真っ当だが、昨夜、平然とうさぎさんになった人間の台詞とはとても思えない。どこか羞恥の基準がずれている。天然と言われる所以か。
「……ねえ、ヴィオラちゃん。ローザちゃんって故郷にいた時からこんな感じ?」
「ああ。色恋のいの字もなかった。根っからの剣術馬鹿だ」
「こんなに可愛いのに、なんてもったいない!」
大袈裟に嘆くファムに、ローザリッタは重苦しい溜め息を吐く。
「恋愛は良いわよ、ローザちゃん。特に略奪愛なんて最高よ?」
「お嬢に不健全なことを吹き込むなよ。とはいえ、姉がわりとしてはもうちょっと関心を持ってほしいところではある」
「……もういいです。勝手に選んでいいですから、外で待っていますね」
諦めたように肩を落として、ローザリッタは店から出た。
こんなに可愛いのに、もったいない。
それは故郷にいる時からさんざん言われてきた言葉だった。年頃の娘が色恋に焦がれることもなく、生傷だらけで剣の修行に明け暮れる。自由恋愛が許される身分ではないにしても、彼女の振る舞いは周囲からすれば異常に映るだろう。
そういう話題は、どうにも居心地が悪い。恋だの愛だのを理解できないわけではない。むしろ、理解できるからこそ、今の自分には過ぎたもののように感じる。
だからこそ、わたしは――
「――浮かない顔だな」
そんな声とともに足元に影が差した。
視線を挙げると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
「デストラさん!」
立っていたのは昨夜、ローザリッタが投げ飛ばした巨漢。デストラだった。
彼は昨日の憤怒が嘘のように、穏やかな笑顔を浮かべている。
「昨日は迷惑をかけた」
デストラは深々と頭を下げた。自分よりも二回り近く年上の男に頭を下げられ、ローザリッタは恐縮する。
「いえ、そんな……わたしのほうこそ無意識に技をかけてしまって、すみませんでした。……あの、もう大丈夫なんですか?」
「ああ。今朝、拘置所から出してもらえたよ。そして、その足で、そなたを探していたのだ」
「わたしを?」
ローザリッタは目を瞬かせた。昨日の件を除けば、デストラとは初対面に近い。彼が自分を探す理由がわからなかった。
「そなたにどうしても礼が言いたくてな。旅籠をいくつか回ったところで、昨日、店にいた銀髪のお嬢さんを見つけて、彼女から行き先を聞いた」
「……お礼?」
意外そうに、ローザリッタは返す。
「……そなたに投げられなければ、俺は取り返しのつかないことをしていたかもしれん」
沈痛な面持ちでデストラは語り出した。
「シニスとは幼少の頃より腕を競い合ってきた間柄だった。当流を極め、いずれは師の跡を継いで指南役を担おう。そして、その時が来たなら正々堂々、剣にて決着をつけよう。そう誓い合った。だから、賂の噂を聞いた時、俺は我を忘れた。裏切られた気がしたのだ」
真剣を持ち出したことからも、デストラの落胆の度合いは窺い知れよう。ローザリッタが止めなければ、どちらかが血を流していたかもしれない。
「……だが」
デストラは一転、晴れやかな笑顔を浮かべる。
「そなたに投げられたことで頭が冷えた。拘置所でずっと考えていたよ。確たる証拠もないままに流言に踊らされ、友を疑った俺には、もともと指南役など相応しくないのかもしれない、とな。そなたはそれに気づかせてくれた。ありがとう」
「デストラさん……」
「また一から修行のやり直しだ。だが、今は素直にシニスを祝福しようと思う」
「ええ。それがいいと思います」
優し気な笑みを浮かべながら、ローザリッタは言った。
確かに先日の彼は感情的すぎた。
しかし、こうして自分の非を素直に認められる、確かな度量も持っている。武術家にとって、この素直さはとても重要なことだった。
シニスの不正の真偽は知る由もない。しかし、こんなデストラが相手だったからこそ、彼は自身の敗北を危惧して、疑われるような行動を取ったのかもしれない。ローザリッタはそう思った。
「わたしたち、これからダヴァン流道場を見に行くのですが、デストラさんも顔を出されますか?」
「せっかくの申し出だが、今回の件でしばらくは道場に出入り禁止になるだろう。下手をすれば破門かも知れんな。いずれにしても、沙汰があるまでは自宅で謹慎していようと思う」
「そんな……」
何か言い募ろうとするローザリッタに、デストラは首を振った。
「そなたが気に病むことではないさ。俺自身の未熟さが招いたことだ。だが、近くまで案内するのは構わんだろう」
「ありがとうございます」
「――あ。デストラさんじゃない」
議論が一段落したのか、店先から顔を出したファムが談話している二人を見つけ、ヴィオラとともに寄ってくる。
「看板娘殿も昨日は迷惑をかけたな」
「ふふ、お酒の席での諍いは飲食店の宿命ですもの。大したことないわ。でも、次はお金落としてくださいね」
現金な物言いに、デストラは苦笑を浮かべる。
「あ、そうだ。やっぱり殿方に意見を聞くのが一番じゃないかしら!」
「おー、そうだな。ここで白黒はっきりつけよう」
「文字通りね!」
「……は?」
何のことかわからずに疑問符を浮かべるデストラ。ローザリッタは呆れたように、デストラの袖を引っ張った。
「気にしなくていいです。さ、デストラさん。道場に行きましょう」
「? うむ……」
「ちょっとぉ、案内役は私なんですけどぉ!」
無視して歩き始める二人に、ファムがむくれた。
「む。あれは……」
四人が歩き出してすぐのことだ。デストラが何か見つけたように声を上げた。その視線の先。路地裏へと続く細道の前に人だかりができている。不穏などよめきから察するに、人気店の行列というわけではなさそうだ。
「一体どうしたのだ?」
デストラは人垣を作っている一人を捕まえて尋ねる。
「人死にだよ。どうやら辻斬りにらしい」
「……それは穏やかではありませんね」
ローザリッタは眉を顰めた。
「馬鹿だねぇ。何があったか知らないが、都市で辻斬りしたって自分の首を絞めるようなもんだけどな」
ヴィオラが呆れたように言う。
警吏による治安が行き届いた都市において、領主は市民の武装を快く思わない。そのため帯刀制限を課されている場合が多いが、数々の危険が潜む辺境においてはその限りではなかった。シルネオやアコースのような辺境都市は、槍や弓矢などの殺傷性の高いもの以外であれば携帯を認める場合が多い。
ただし、それは届け出ありきだ。
辻斬りと言うからには刀剣による殺傷事件なのだろう。ならば、届け出を遡れば犯人は特定できる。
「おい、あんた。もしかして、知っているやつなんじゃないか?」
「……俺か?」
野次馬の一人がデストラに声を掛けた。
「あんたと同じ道着を着ているらしい」
「なんだと!?」
その言葉にデストラは血相を変える。
「どいてくれ!」
デストラは群衆の中を掻き分けて奥へ進んだ。
やや遅れて三人もわずかな隙間を縫って、どうにか騒ぎの中心部へ到達。人だかりの中心に転がったそれを見て、思わずローザリッタは絶句した。
黒々とした血だまりの中。
全身を切り刻まれ、息絶えたシニスの姿があった。
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