第23話 夜廻り
「……ふうん。私がいない間に、そんなことがあったのね」
興味なさそうにリリアムが言った。
あの後、駆けつけた警吏によってシニスの遺体は運搬された。
デストラは同門と言うことで事情聴取のために警吏に同行することになり、道場の方も自分の相手をしている暇はないだろうと考えたローザリッタは、一度ファムと別れて旅籠に戻ることにした。
そして、そのまま日が暮れて、〈青い野熊亭〉に行く時間となったのだが――
「リリアムはどう思いますか?」
「辻斬りねぇ……その可能性もなくはないと思うけど、無作為に選んだ標的が、よりにもよってこの街で一番の腕利きだった、とは考えにくいわね。襲われたところでむざむざ殺されるとも思えないし」
リリアムの意見に、ローザリッタも同意する。
手を合わせることはなかったが、シニスの佇まいには長年の研鑽を積んだ剣士の風格があった。刃物を手にした素人では傷を負わせることは不可能だろうし、仮に犯人が剣術を修めていたのだとしても、シニスはダヴァン流において両翼とまで謳われるほどの人物だ。早々後れを取るとは思えない。犯人の目的があくまで人を斬ることだけなら、もっと弱い相手を狙うだろう。
「私は始めからシニスさんに狙いを定めていたと思うわ。彼を斃せたのだから、犯人の腕前も相当なものでしょう。実力と動機を鑑みれば、デストラさんが濃厚だと思うけど、犯行が行われた時間帯に拘置されていたのは警吏も私たちも保証できるし、違うでしょうけどね」
「……誰であろうと許せません」
ローザリッタの双眸は静かな怒りを湛えていた。
長年に渡って剣術を学び、念願の指南役まで上り詰めた。彼の人生はこれからだという時に――その全てを奪われた。
どれほどの無念だろう。どれほどの絶望だろう。彼の身に降りかかった理不尽を想像するだけで、ローザリッタの胸中には義憤の炎が燃え上がる。
それをリリアムは冷めた目で見つめた。
「あなたが熱くなってどうするの。私たちにどうこうできる問題でもないでしょ」
「それはそうかもしれませんけど……リリアム、ちょっと冷たくないですか?」
リリアムの淡白な反応に、ローザリッタは反感を抱いた。
「冷静と言ってちょうだい。実際、私には無関係だし」
「シニスさんを倒すほどの腕前ですよ? リリアムの仇という線もなくはないんじゃないですか?」
「……遺体、切り刻まれていたんでしょ?」
ローザリッタはシニスの死体を脳裏に思い浮かべ、頷いた。
全身に残された膨大な数の裂傷。一つ一つは浅かったが、出血死は免れなかっただろう。あれだけの傷が残るとなるとよほどの接戦か、あるいは絶命した後に執拗に斬りつけたか、だ。
「あいつなら一刀で倒す。そう何度も斬りつけるような真似はしないわ」
「だからって……」
「あなたこそ落ち着きなさい。そりゃ、私だって思うところはあるわよ。でもね、この街にはこの街の法律があり、それに携わる人たちがいる。部外者が自分勝手な正義感で行動したら、かえって事態をややこしくするわ。今は、警吏に任せるのが最善よ」
リリアムの正論を前に、ローザリッタは何も言い返せなかった。
自分勝手な正義感。確かにそうだったからだ。自分はシニスの肉親でも友人でもない。出会ったのは昨日で、しかも店員と客の関係だ。知っている人が殺された。ただそれだけで、自分は冷静さを失っている。
未熟だ、とローザリッタは内心で己をなじった。
「そんな辛そうな顔しないでよ。私が苛めているみたいじゃない」
リリアムがしかめっ面になるのを見て、ローザリッタが慌てて手を振った。
「あ、ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
「だったら、今は割り切って笑顔でいなさい。客商売なんだから」
「はい。――あの、ところで」
「なによ」
「……結局、ここで働くんですね」
ローザリッタが苦笑を浮かべながら言うと、リリアムは途端にどんよりとした。
彼女の姿は昨日同様、うさぎさんである。
「やっぱり五割増しに勝る求人はなかったわ……とはいえ、昨日ほど人手がいるとは思えないけどね」
夕刻だというのに〈青い野熊亭〉の客足は少なかった。
さもあらん。シニス殺害の報は瞬く間にアコース中に響き渡った。
この街のどこかに辻斬りが、それも、この街で一番の剛の者を斬り殺した腕前の犯罪者がが潜んでいると知って、積極的に夜間に行動しようという者は少ない。
例外があるとすれば――
「「でゅふふ……」」
「くっ、こいつら命知らずね……!」
肥満と痩せぎすな男たちから粘っこい視線を浴びて、忌々し気に呻くリリアム。
彼女は知らない。汚物を見るような冷ややかな視線が、むしろ彼らのような人種にとってはご褒美だということを。
「辻斬り騒動が片付くまでは、この衣装で釣るのも限界がありそうねぇ」
店の中を
客が少ないうえ、ローザリッタが仕事に慣れてきたこともあってか、すっかり暇を持て余している。
「でも、よそのお店も大打撃でしょうし、むしろ、この状況でこれだけお客を引き込めている〈青い野熊亭〉の一人勝ちかしら?」
「第二、第三の被害者が出れば、営業自粛も勧告されるかもね」
「やーん、それは困るぅ」
「……昨日会ったばっかりの人間の死に怒り心頭なローザもどうかと思うけど、常連客が亡くなったのにいつも通りのファムさんも、それはそれで不謹慎よね」
リリアムは呆れるように溜め息を吐くと、ファムが真顔になった。
「――落ち込んだってシニスさんは戻ってこないもの。私たちにできることなんて何もない。リリアムちゃんの言う通り、警吏を信じて吉報を待つしかないの。だから、いつも通りに生活するのが一番よ」
「看板娘殿の言葉にも一理あるな」
そこに、野太い声が混ざった。
扉を開けて入店してきたのはデストラだ。
ただし、その装束は物々しい。硬革鎧に籠手。腰には大小の太刀。さながら傭兵のような出で立ちだ。
「今朝は道場に案内できずに、すまなかった」
三人のところまで歩み寄ると、デストラは頭を垂れた。
「いえ、仕方ありませんよ。それで、シニスさんの遺体は……?」
「既に家族のもとに帰った。今は通夜が行われている」
「……じゃあ、どうしてこんなところに? それに、その格好は?」
「ああ、これから夜回りを行うのでな」
「夜回り?」
「シニスの敵討ちだ。警吏には許可を取っている。あのシニスを屠ったのだ、相当な手練れと見て間違いない。警吏としては、一人でも腕の立つ人間が欲しいところだろうからな」
治安を預かる警吏たちも決して無力ではないが、相手はこの街一番の遣い手を斃した猛者だ。シニスの殺害事件に関して不在証明ができているデストラは、彼らからすれば心強い援軍だろう。
「……もうアコースにはいないんじゃないかしら? 街の中で殺傷事件があれば、市壁の検問も念入りになるだろうし、そうなる前に逃げるんじゃない?」
「確かに」
ファムの指摘に、ローザリッタは頷いた。
夜間は市壁も閉門しているので郊外への逃走はおおよそ不可能だが、遺体の発見は朝方。開門と同時に出立した可能性は否定できない。
「看板娘殿の言うことももっともだ。だが、俺はまだアコースの内側に潜んでいると踏んでいる」
「……根拠は?」
「シニスだ。酒に酔っていたとはいえ、あのシニスが易々と後れを取るとは、どうしても考えられないのだ。もしかすれば、シニスを排して次の指南役を狙った同門の仕業かもしれん」
「だとしたら……」
デストラは重々しく頷いた。
「次に狙われるのは、俺の可能性がある」
「わたしもお手伝いします!」
気色ばむローザリッタの前に、デストラは平手を掲げた。
「それには及ばん。いかにそなたが強いとはいえ、友の仇を任せるつもりはない。これは俺だけの役目だ」
「ですが……」
言い募ろうとしたローザリッタの肩をリリアムが叩き、静かに首を振った。彼女にはデストラの気持ちが痛いほどわかるのだろう。
「シニスには、もう昨日の非礼を詫びることさえできん。残された俺にできるのは、この手で奴の無念を晴らすことだけだ」
思いつめた表情でデストラは拳を握った。
「デストラさん……」
「すべてが片付いた折には客として、ここにこようと思う。――では」
静かに一礼すると、デストラは店から去って行く。
その背には悲壮感が漂っていた。
「……素敵な友情ね」
ファムがぽつりと呟いた。
「自分が死ぬかもしれないのに。友のためとはいえ、自分の命を危険に晒すなんてなかなかできることじゃないわ」
ローザリッタも頷き、悔しそうに俯いた。
「はい。だからこそ、二人が最後に交わした言葉が罵倒だったことが悔やまれます。無事でいてくれるといいのですが……」
「ええ、本当にね。さ、私たちは私たちにできることをしましょう」
にこやかに笑うと、ファムはローザリッタの肩を優しく包んだ。
――その白い手の感触がどこか火照っているように感じたのは、果たして、彼女の思い違いだったのだろうか。
†††
その日の夜。
ローザリッタはそっと布団から抜け出した。
ああは言ったものの、ローザリッタの胸中は決して穏やかではいられなかった。知り合いが被害に遭うかもしれないと思うと、気が気でなかった。
ヴィオラとリリアムが寝息を立てているのを確認すると、ローザリッタは壁に立てかけておいた太刀を手に取った。そのまま足音を消して部屋から出ようとしたところで――
「――
投げかけられた声に、びくり、ローザリッタは肩を震わせた。
「宿の人に頼んでも夜間外出は十中八九、止められるぜ」
「かといって、勝手に閂を外したら大迷惑でしょうね」
むくり、と起き上がる二つの影。言わずもがな、ヴィオラとリリアムだ。
暗がりでよく見えなかったが、「呆れ」という名の視線が突き刺さっているのはローザリッタにも感じ取れた。
「……起きてたんですね」
「こうなるだろうと思ってな」
「警吏だって見回りを強化しているはずだし、夜中にうろうろしていたら、あなたが疑われるわよ」
言いつつ、布団から出たリリアムが窓を開ける。
月明かりが差し込み、部屋の中を青白く照らした。三人の部屋は二階にあるので夜風がよく通り、解かれた三人の髪が優雅になびく。
「つーか、お前、その格好で行く気だったのか?」
寝巻のままのローザリッタを見て、ヴィオラが眉を顰めた。
「だって、着替えたら音を立てちゃうと思って……」
「元服の日の朝を思い出すな……やめてくれ。いや、本当に。アコースにまでお嬢の痴態が轟くことになったら、お館様に合わせる顔がない」
「失礼な! 今回はちゃんと下着付けてます! ほら!」
ローザリッタは寝巻を捲り上げ、新調したばかりの下着に覆われた胸元を晒した。
「そういう問題じゃねぇよ……」
「なんでこんな夜更けにへこまなきゃならないの、私……」
ヴィオラとリリアムは揃って肩を落とす。
「だいたい、真剣なんか持ち歩いていたら間違いなくお縄でしょうが」
「じゃ、じゃあ、木刀にします。これなら大丈夫でしょ?」
ローザリッタは寝巻の帯から太刀を外すと、荷物の中から木刀を取り出した。
練習用という先入観があるが、木刀は立派な凶器である。
刃がない故に太刀筋が制限されず、基礎的な動作である打、突、払いを含めた様々な攻撃動作に対応する柔軟性を持ち、しかも、硬い材質を用いれば骨を砕くほどの威力を備える。肉を断つことができないだけで、熟達の剣士が振るう木刀は真剣にも劣らない働きをすることが可能だ。
「ま、そんなところだろうな。ほら、着替えるぞ」
「え?」
「あたしも行く。どうせ当てもないんだ。目と耳は多いほうが良いだろ?」
「ヴィオラ……ありがとう」
「よせやい。何年来の付き合いだよ」
ヴィオラは照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
それから、二人はそそくさと身支度を始める。
旅装束に袖を通し、髪を結い、予備の靴を履く。準備にはさほど時間はかからなかった。あとは宿の人に気づかれずに、どうやって外に出るかだが――
「ここから跳んでいけば?」
リリアムの提案に、二人は目を見開く。
確かに、〈空渡り〉を使えば窓から外に出ることは可能だろう。それどころか、屋根から屋根へ飛び移ることで、地面を走るよりはるかに高速で移動できる。
しかし、どうしてそれをリリアムが知っているのか。
「あの時、見たから。多分、連続でもできるんじゃないかなって」
「ああ、そういえば……」
先日の、無名の剣士との一騎打ちの時のことだ。
彼の蝦蟇を思わせる飛び斬りに対して、ローザリッタは〈空渡り〉を使うことで高度で競り勝った。秘奥はみだりに使うことは許されないが、そうしなければ勝てない強敵だったことも事実である。リリアムを責めてもしょうがないだろう。
「……そうですね。それが良さそうです」
ローザリッタは窓枠に足をかけた。
「では、留守を頼みます」
そう言って、ローザリッタは音もなく跳んだ。ヴィオラもそれに続く。
「――風の如き剣速。羽の如き体捌き、か。あいつが焦がれるわけよね」
屋根から屋根へと軽々跳び渡り、みるみる小さくなっていく二つの人影を見送りながら、忌々しそうにリリアムは呟いた。
ローザリッタやヴィオラに恨みがあるわけではない。
あくまで彼女が憎悪するのは仇敵のみである。
しかし――彼女の復讐劇の一因が、ベルイマン古流にあることは紛れもない事実であり、複雑な気持ちになるのは否定できなかった。
このことを知れば、ローザリッタはどう思うだろう?
怒るだろうか。悲しむだろうか。知り合ったばかりの人間の死にさえ、感情的になり過ぎる彼女に、己が胸中を晒すことはできなかった。今はまだ。
「……寒っ」
リリアムは肩を震わせた。春の夜風はまだまだ冷たい。彼女の全身が暖かい布団への回帰を命じている。
「とはいえ、二人を放っておいて寝ちゃうのもね……まったく、夕方からの仕事でよかったわ。明日は昼間まで寝ていられる――って、あら?」
リリアムは窓を閉めようとしたその時だ。
眼下に見知った人影を見つけた。その形は――
「ファムさん……?」
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