第12話 初陣

 馬蹄ばていの音が近づいてくる。

 既に配置についていたローザリッタとヴィオラは小さく頷き合うと、腰の太刀かたなに手を伸ばした。二尺三寸の刀身が雲間から覗く夕日に照らされ、朱銀に輝く。


 間もなくして、野盗たちが細道の向こうからぞろぞろと姿を現した。素早く目視で数えたところ、総数は十五。予測通り、二十人には届かないようだ。


(頭巾の男が……いない?)

 現れた集団の中に、腕が立つとかいう頭巾の男らしき姿はなかった。それとも、慌てて駆けつけたから顔を隠すのことができなかったのだろうか。


「貴様ら、何者じゃあ!」

 野盗たちの大半が薄汚れた野良着を纏ったな出で立ちだが、一人だけ馬に乗っている髭面の男だけは装いが違った。修繕の跡が見られるものの、きちんとした具足を身に着けている。この集団の頭目なのだろう。


「ここは儂らの縄張りじゃ、勝手な真似は許さんぞ!」

「一足遅かったな! この村の米は、あたしたち野薔薇ハイデンローザ野盗団が貰っていくぜ!」


 いかにもな名乗りを上げるヴィオラに、ローザリッタが心底嫌そうな顔を向けた。


「なんですか、それ」

「あたしら、臨時野盗団の団名」

「わたしの響きが入っていてすごく嫌なんですけど……」

「雰囲気だよ、雰囲気」


 緊張感のまるでない二人に、頭目は憤怒の相をありありと浮かべる。


「この儂を愚弄するか、小娘どもめ!」

 頭目が馬上で野太刀を抜いた。

 それを合図に、手下たちが一斉に武器を構え出す。

 太刀。剣。短槍。手斧――統一性の欠片もないが共通項だけはある。即ち、人を殺傷するには十分すぎる得物たち。


 ローザリッタの体に緊張が走った。真剣を用いた稽古の経験はある。白刃を向けられるのは初めてではない。だが、それでも――明確な殺意と共に向けられるのは初めてだった。


 しかも、一対一ではない。

 三対十五。現状だけ見れば、二対十五。

 それら全てがローザリッタに突きつけられていると思うと、物々しさに胸が締め付けられそうになる。


(落ち着け――)

 乱れそうになる呼吸を、悟られないようにゆっくりと整える。


(わたしは十年間、鍛えてきた。あの日から、寝る間を惜しんで稽古を積んできた。わたしならやれる。やれるんだ――!)


「かかれ――!?」

 頭目が号令をかけた、その時だ。

 ひゅっと風を切る音とともに犬散らしが頭目の顔面に直撃した。容器である卵の殻は呆気なく砕かれ、周囲に粉塵が巻く。リリアムの投擲だ。


「な、なんじゃ、これは! 目が! 目がぁぁ!」

 粉塵を直に受けた頭目の両瞼は真っ赤に腫れあがっていた。

 馬はあまりの臭気に驚いて、戦慄わななき声をあげてのけぞる。目を覆うために手綱を離していた頭目はそのまま落馬し、頭から地面に落ちた。

 さらに――


「ぎゃあああ!」

 思わず蹲ったところを、蹄でしたたかに踏みつけられる。すぐに馬はいずこかに走り去っていったが、当たり所が悪かったのか、頭目はぴくりとも動かない。


「お、お頭ぁ!」

 予想外の事態に手下たちはどよめいた。中には背を向けて、頭目の無事を確かめようとする者もいる。


 あまりの無防備さにローザリッタは驚愕した。

 剣を構えた敵を前にした者の所作ではない。戦場に臨む心構えがなさすぎる。

 だが、それが逆に躊躇いを生んだ。背中から斬っていいのだろうか。簡単に殺せてしまうがいいのだろうか、と。


 二の足を踏むローザリッタを置き去りにするように、ヴィオラが地面を蹴る。

 瞬く間に接敵し、野盗の一人を背中からばっさりと斬りつけた。血飛沫が舞い、周囲にざっと鉄錆の匂いが漂う。


「……一番手柄、もらったぞ?」

 ちらり、と向けられたヴィオラの挑発的な視線。

 ローザリッタは内心で自分の頬を打ちたい気分だった。心構えがなっていないのは、果たしてどちらだったのか。弱ければ死ぬ。隙を見せれば殺される。自分がいま立っているのはそういう場所なのだ。


 だが、目が覚めたのはローザリッタだけではない。

 仲間の血を見て動揺が消えたのか、血相を変えて手下たちが散開する。囲い込んで各個撃破するつもりだ。


「――来い!」

 喚きながら殺到する野盗たちを、ローザリッタは八双に構えて迎え撃つ。

 一人目が太刀で襲い掛かってきた。技も型もない、ただ力に任せた大振り。動き出しが丸見えで、ローザリッタにはかすりもしない。

 剣速はなかなかだったが動きに無駄が多い分、消耗も激しい。二度、三度と躱すうちに向こうの動きは鈍くなり――その隙を突くように、ローザリッタが袈裟に斬りつける。


 ――その感触を、ローザリッタは生涯忘れないだろう。

 肩口に切っ先が食い込んだ瞬間、手首にずしりとした反動が返ってきた。質量のある肉の塊を打った確かな手応え。それ波打つように体の奥にまで伝わってくる。それとは裏腹に、氷に当てがった火箸のごとく皮と肉の繊維をやすやすと切断していく奇妙な感覚。


 切っ先が右脇腹へ抜けると、筋繊維の応力で傷口がぱっくりと開き、。それを覆い隠すように血が間欠泉のように噴き出し、ローザリッタの頬に赤い斑点模様を作った。


 初めて人を斬った感慨に浸る暇はない。横から飛び掛かってきた二人目の攻撃を受け流し、翻って太刀を頸に打ち込む。


「ぎゃあ!」

 血の筋を断たれてよろめき倒れる男の脇を走り抜け、手斧を振りかぶった三人目の胸へ向かって石火の突きを放つ。切っ先は肋骨を抜け、心臓を貫通し、勢い余って背中から飛び出した。


 息絶えた三人目は手斧を取り落す。

 突き刺さったままの刀身から心臓の最後の痙攣が伝わってきた。その生々しさ、おぞましさにローザリッタは思わず眉根を寄せる。


 左側面から、四人目。

 すかさず対応しようとしたローザリッタの体が、がくり、と止まった。

 ――太刀が抜けない。


 太刀の両側面には樋という溝が彫られるのが一般的だ。

 樋を掘ることで刀身全体の軽量化を図り、かつ断面を「工」の形状にすることで強靭性を高める。これらは刀剣の構造上の問題である左右への衝撃に対する脆弱さを解消するための、苦肉の策と言えるだろう。

 だが、実はそれらは副産物に過ぎない。

 樋を掘る最大の理由は、だ。


 動物の筋肉は強い衝撃を受けると収縮する働きを持つ。これが刃物による攻撃の場合、切断された筋繊維の断面が蛸の吸盤のように刀身に吸着するのだ。その摩擦の抵抗力は凄まじく、ややもすれば抜くことができなくなる。

 だが、樋が彫ってあれば摩擦を軽減することができる。


 とはいえ、それでも確実ではない。あくまで減じるのが限界だ。

 知識としては知っていた。知っていたが、まさかこれほどの吸着力とは思っていなかった。こんな経験は、それこそ人を斬ったことがなければわからない。


 四人目がすぐそばまで迫っていた。

 まずい、と内心で毒づく。このままでは迎撃が間に合わない。どうする。一度太刀から手を離して回避するか。それとも一か八か、三人目の屍を盾にするか。


「――おおっと!」

 横から入ってきたヴィオラが、四人目を一刀のもとに斬り伏せた。


「ヴィオラ!」

「これで借りは返したからな!」

 にやり、と獰猛な笑みを浮かべる。


「そういう時はすぐに得物を離せ。戦場じゃ武器離れができない奴から死ぬぞ」

「はい!」


 ローザリッタは柄から手を離し、代わりに小太刀を抜いた。

 射程で勝ると踏んだのか、短槍を構えた五人目が躊躇なく間合いを詰めてくる。

 侮るなかれ。刀身が短くなった分、剣速は増す。ローザリッタはあっさりと短槍の穂先を切り落とし、そのまま五人目の懐に飛び込むと小手を打つ。


 手首から先を斬り落とされた五人目が絶叫を挙げるより先に、ローザリッタは足元に転がっていた野太刀を蹴り上げて、中空で掴む。

 そして、それをそのまま首筋に叩き込んだ。五人目は生暖かい血をまき散らしながら、錐揉むように倒れ伏す。


 二人の快進撃は続いた。

 六、七、八、九――あっという間に死体の山が積み重なっていく。


 ここにきて、ようやく野盗たちは自分たちが刃を向けた相手の強さを理解する。

 彼らが無法者に落ちぶれた理由は様々あるが、要約すれば楽だからだ。汗水垂らして地道に畑を耕すよりも、その収穫を奪った方が遥かに効率的なことに気づいてしまった者たち。一度味を占めてしまえば、もう元には戻れない。


 しかし、彼女たちはその真逆。

 血の滲むような鍛錬、耐え難い努力を何年、何十年と続けてきた者たちだ。実力は言うまでもなく、土壇場の根性も胆力も、刹那的な生き方を選んだ彼らとは比較にならない。いや、比較するのもおこがましい。


 勝てないと恐れをなして、残った三人が逃げよう背を向けた。

 だが――


「残念。予測済みよ」

 リリアムが回り込み、逃げ道を塞いだ。

 雲耀の抜刀術が閃き、一瞬のうちに三人を斬り伏せる。


(なんて、速さ――!)

 乱戦の最中だというのに、ローザリッタはリリアムの剣技に見惚れた。

 最小、最短、最速のベルイマンの太刀筋はしばしば風に例えられるが、リリアムの太刀筋はさながら稲妻だ。輝きは一瞬だが、岩をも砕く威力を宿している。

 しかも、よりも一段と速い。単純な身体運用の効率化だけではなく、別の何かが作用しているようにも思える。


「――っ!」

 背後に鋭い殺気を感じ、ローザリッタはすかさず振り向きざまに太刀を薙ぐ。


 ぎん、と甲高い音。

 思わず驚愕する。誰も躱せなかった神速の一刀を受け止められた。


――!)


 受け止めたのは、顔を深々と頭巾で覆った偉丈夫だった。

 さっき目視で数えた時はいなかった。まさか、あの状況で隠れていたのか。


「……急ぎ駆けつけてみれば、このざまとはな。俺の忠告を聞いていれば、こんなことにはなっていなかったのだが」


 言葉とは裏腹に、一切の憂いを感じさせない口調。

 交差した太刀を引くに引けなかった。鍔迫り合いながら、互いに次の手を探っている。これは剣術遣いの駆け引き。これまで斬り捨てた野盗とは次元が違う。


「……お仲間は壊滅しましたよ。まだ続けますか?」

「知っている。見ていたからな。実に天晴だ。寡兵よく衆を制すとは、まさにこのことよ!」

「くっ!」


 どん、とローザリッタが突き飛ばされた。

 ローザリッタはたたらを踏んで後退する。いくら鍛えていようと女、それも十六の小娘だ。体格差からくるだけはどうしようもない。


 だが、頭巾の男も深追いはしなかった。二間の距離を挟んで、互いに正眼に剣を構えて睨み合う。


「一つ尋ねる。お主、何流だ?」

「……悪党に名乗る流名は持ち合わせていません」

「風の如き剣速。羽のような体捌き――当ててやろう、?」


 ローザリッタは沈黙する。

 それを肯定と受け取ったのか、男が歯を剥き出しにして笑った。


「ははっ、ようやく――ようやくだ! 天は俺に機会を与えたもうた!」


 男は太刀を下ろすと、頭巾をかなぐり捨てた。

 明かされたのは、ざんばらの黒髪に鷹のように鋭い眼光、額に走る刀傷が印象的な壮年の顔だった。


「この顔を覚えておけ。――


 次に男がとった行動は、ローザリッタの予想を超えるものだった。

 背を向け、逃走を測ったのだ。


「なっ……逃げるのですか!?」

「今宵は騒がしい。それに消耗したお前と戦って意味がないからな――」


 瞠目するローザリッタを置き去りにして、男は夕闇の中に消えていった。


「お嬢!」

「ローザ!」


 呆然と立ちすくむローザリッタに、ヴィオラとリリアムが駆け寄ってくる。


「……ごめんなさい。逃がしてしまいました」

「しょうがないわ。乱戦だったもの。それでも、そいつ以外は討ち取った。大戦果じゃない」

「そうだ。いくら強くても、あいつ一人じゃ、どうしようもないものな」


 逃げおおせた最後の一人は腕は立つが、たった一人で略奪行為ができるとも思えない。野盗団は事実上、壊滅したと見て間違いないだろう。


「ところで、あいつはお前の仇だったのか?」

「遠目から見たけど、違ったわ。骨折り損ね」


 肩をすくめてはいるが、リリアムはどこかほっとした様子だった。まるで、仇敵が野盗に堕ちていないことを喜んでいるかのように。


「とにかく、これでひと段落ね。初陣、見事だったわ」

「あ、そっか……」


 やや呆けた顔で、ローザリッタは呟いた。

 ――終わったんだ。


 周囲を見渡すと、あちこちに野盗たちの骸が転がっている。死屍累々という言葉が相応しい凄惨な有様だった。


 凄惨さでいえば、ローザリッタも負けていない。

 全身は返り血で真っ赤に染まり、途中から拾って使っていた野太刀には、糸巻の柄にまで染み込むほどに血糊が滴っている。


 生暖かい風が血の匂いを運んだ。それに触発されるように脳裏に一人目を斬った時の感触が蘇る。刀身から伝わってくる肉を断つ心地。心臓の断末魔。命を奪ったという、厳然たる事実。


「う……」

 得も言われぬ不快感に襲われたローザリッタはその場に蹲り、喉を震わせた。胃の中のものが地面にまき散らされる。


「情けない……覚悟していたはずなのに……」

 目じりに涙を浮かべ、震え声で呟く。その顔は死人のように青ざめている。


「……無理もないさ。どれだけ覚悟を決めようと、こればっかりはな」

 優し気な表情でヴィオラがローザリッタの背中をさすった。


「その通りよ」

 リリアムも膝をついて、手拭いでローザの口元を拭う。


「覚悟を決めたからって、何も感じなくなるわけじゃない。むしろ、何も感じなくなるほうがおかしいの。大事なのは切り替え。あなたは立派だわ。恥じることじゃない」

「リリアム……」

「白状するとね。私も、もう限界なのよ」

「……え?」


「――おぇ」

 ローザリッタの目の前で、リリアムも盛大に吐いた。

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