第13話 湯浴み
「――嫌よ」
リリアムはきっぱりと断言した。
その響きに込められた意図は明白。
即ち、断固拒否。決して揺らがぬ鉄の意思がその声には込められている。
「頼む」
しかし、意志の
「嫌よ」
「そこをなんとか」
「嫌なものは嫌」
「そう言わずに」
「あんなのと一緒にお風呂に入る私の気持ちにもなってくれる!?」
リリアムはヴィオラへ視線を向けたまま背後を指さす。
その指し示す先には――すっぽんぽんのローザリッタが立っていた。
野盗の討伐を終えた後、三人は村長の屋敷を訪ねた。
詳細な報告をするためというのもあるが、一番は風呂を借りるためだ。三人ともが血、泥、そして吐瀉物にまみれている。とてもではないが、その格好で出立するわけにはいかない。特に血の匂いは、獰猛な肉食獣を引き寄せる危険性がある。
事情を説明すると、村長は快く屋敷の風呂を貸してくれた。
それどころか宴会の準備までしてくれるという。数刻前とは打って変わった現金な対応だったが、外見だけ見れば小娘三人。まさか本当に成敗してしまうとは思いもよらなかっただろう。
ともあれ、血の匂いがしたままでは、せっかくの夕餉も喉を通らない。まずは体の汚れを落とす方が先決。湯が沸いたと知らされ、すぐに脱衣所に移動したが――ローザリッタが服を脱いだ瞬間、リリアムが一転して駄々をこねだしたのだ。
「そりゃ、初めて会った時から大きいと思っていたわよ? でも、まさかあんなとは思わないでしょ!?」
「そんな、人を化け物みたいに……」
あんまりと言えばあんまりな言い草に、ローザリッタはこめかみに一筋の脂汗を浮かべた。
「ある意味化け物よっ、どれだけ着痩せしてたっていうのよ!?」
着痩せも何も、二人が初めて出会った時、ローザリッタは小さい号数の下着を身に着けていたし、旅の道中はずっと具足姿だったのだから体型など分かるはずもない。言いがかりに近い非難ではあるが、リリアムの悲痛な叫びももっともである。
……要するに、反則なのだ。
もともとローザリッタは平均よりも小柄で、顔立ちにも幼さが残る。しかし、首の下から重たげに釣り下がっている乳房は小振りな西瓜ほどもあり、年齢や体格にまったく比例していなかった。
それほどの大きさでありながら型崩れは起こっておらず、むしろ存在感を誇示するかのようにどかんと前に突き出ている。日々の鍛錬によって腰や尻がすらりと引き締まっていることも相まって、視覚的には実態以上に大きく見えるだろう。
しかも、ローザリッタはそれを一切隠さない。胸も股間も丸出しである。異性ならばともかく、同性から見られることに対して僅かな羞恥も抱いていないようだ。日常的に視線に晒される貴人であるが故の鈍磨。
が、発育に劣等感を覚えるリリアムからすれば、見せつけられていると感じてもおかしくはなかった。無論、被害妄想であるが。
「まあ、気持ちはわかるが――」
「わからないでくださいよ」
ローザリッタの突っ込みを無視し、ヴィオラは続ける。
「あたしはお前らの服を洗濯せにゃならん。染みになる前に早急にな。特に、お嬢のやつはちょっと高級品だから、洗い方っていうのがあるんだよ。こればっかりは村の人には任せられん」
ヴィオラの足元に置かれた籐編みの籠には汚れた衣類が押し込まれている。普段の粗野な言動から誤解されがちだが、ヴィオラはれっきとした貴族の館で働く侍女だ。炊事洗濯はお手の物。むしろ専門家である。
「お嬢が湯殿ですっ転んで死んだら困る。誰かについていてほしいが、誰でもいいわけじゃない。お前を見込んでの頼みなんだ。わかってくれ」
「うう……」
露骨に嫌そうな顔をするが、頼られて断れない彼女の人の良さが透けて見える。その逡巡を、ヴィオラは見逃さなかった。
「――隙あり!」
「うきゃあ!?」
間の抜けた悲鳴。いかなる手妻によるものか、リリアムはヴィオラによって一瞬にして服と下着を脱がされ、すっぽんぽんになっていた。その手際は、ローザリッタの動体視力をもってしても見えなかった。
「お見事」
「ふっ、悪童時代に取った杵柄さね」
「どんな悪童よ……!」
得意げな表情でくるくると下着を回すヴィオラを、リリアムは顔を真っ赤にして睨みつけた。片方の腕で胸を、もう片方の腕で股間を隠し、心許なさそうに両膝をこすり合わせる。膝と膝を突き合わせているというのに太腿に空間ができるあたり、彼女がどれだけ痩身か分かろうというものだ。
「返しなさいよ!」
「嫌だね。その格好じゃ表には出られまい。大人しくお嬢と一緒に入ってくれ」
「くっ……!」
「替えの服は後でもってくるからな。それじゃ、後は任せたぞ。さー、洗濯だー!」
本領を発揮できるのが嬉しいのか、ヴィオラはびゅーんと疾風のごとく飛び出していった。脱衣所には全裸の少女二人が取り残される。
「……屈辱だわ」
忌々しそうにリリアムは呟いた。
†††
「おお、これはなかなか!」
湯殿に足を踏み入れたローザリッタが感嘆の声を上げる。
貴人であるローザリッタの館と比べるとさすがに手狭ではあるが、庶民の邸宅の設備としては標準以上の広さだろう。なかなか立派な湯殿だった。二人一緒に入っても十分余裕がある。
興味津々とばかりに顔を輝かせるローザリッタとは反対に、リリアムの表情はどんよりと暗い。さっさと終わらせよう、と顔にありありと書いてある。
「リリアム、お背中流しますよ!」
「……一人で洗えるわよ」
近寄るんじゃねえ、このでか乳が。そんなに見せつけたいのか――と暗に言っているのだが、ローザリッタは気にも留めない。
「だめですよ。できているようで、意外と背中は洗えていないものなんです。身の穢れは心の穢れ。心身の不浄は刃筋の不定です。剣術遣いたるもの、しっかり汚れは落とさないと」
ローザリッタが言っているのは剣術遣いの心得だ。
太刀遣いにおいて最も重要なものは刀線、刃筋、刃並である。太刀という武器は、この三つが正しく合致していなければ物体を断ち斬ることはできない。これらが噛み合っていないまま切り込むと平打ちの力が生じ、軌道が反れたり刀身が曲がったりしてしまう。どれだけ熟達しようと関係ない。太刀という武器を使う限り、これは避けようもない構造上の命題なのだ。
なので、剣術遣いは戦いの最中に太刀を折ってしまわないように、常に身だしなみに気を遣う。無論、験担ぎ以上の効果はない。しかし、人事を尽くしたという自信がいざ実戦に臨む精神状態に作用すると考えれば、あながち無駄とも言い切れない。
「それはそうだけど……お嬢様育ちにできるのかしら?」
「お任せください。ヴィオラとはよく洗いっこしているんです。ささ」
皮肉げな口振りのリリアムにローザリッタは自信満々な笑みを返し、腰掛けに座らせた。自身も背後にまわって、膝をつく。
ローザリッタは用意されていた桶の中に木綿の手拭いを浸した。
桶の中身は、アワノミという植物の果皮を浸け込んで洗浄成分を抽出した液だ。
植物油と海草灰から作られる固形石鹸も存在するが、山国であるレスニア王国では非常に高価だった。農村部においては、動物脂と木灰から作られる軟石鹸や植物から抽出した天然洗浄剤が主流なのである。
「ふふふん」
洗いっこしているという発言は真実なのだろう。ローザリッタは鼻歌を交えながら器用に手拭いを擦り合せて、もこもこと泡を生み出していく。
十分に泡立つと、それを手ですくって自身の体に塗りたくっていき――そのままリリアムの背中に抱きついた。二つのたわわな双丘がむにゅりと餅のように押しつぶされる。
「ちょ、ちょっと! なに、その洗い方!?」
唐突に押し付けられた二つの柔らかい感触に驚き、目を白黒させながらリリアムが振り返る。
「え? ヴィオラとはいつもこうして洗いっこするんですけど……」
きょとんとした表情に、リリアムが怪訝そうな表情を浮かべる。
「え……なに、あなたたちってそういう趣味なの……?」
「違いますよ。ヴィオラがわたしのためにしてくれているんです」
ローザリッタはくるりと背中を向けた。
「自分じゃ見えませんが、ヴィオラが言うには、わたしの背中はとても綺麗なんだそうです。だから、布でこすって傷つけたくないんですって」
染みも
彼女の体をよく観察すれば、積み重ねた修練でできた傷痕があちこちにあるのが確認できるだろう。しかし、背中には傷ひとつない。それはあらゆる試練から逃げなかったことの証左。彼女の意思の強さの顕れだ。
その気高さはリリアムにも伝わった。ヴィオラが容易に傷つけたくないと思うのも理解できなくはない。
――が。
「別に私にする必要はないわ。普通に布でこすってくれていいから」
「え、でも……」
「普通でいいって言ってんの」
「……はあい」
言われるがまま、ローザリッタはリリアムの背中を普通に流す。
手を動かしながら、本当に細い背中だなと思った。脂肪がほとんどなく、背骨や肋骨がうっすらと浮き出ている。食欲は三人の中で一番なのに。
こんな儚い躰でありながら戦場では無類の強さを誇るのだ。討ち取った数でいえばローザリッタが一番だっただろうが、リリアムの策や後詰がなければ、討伐そのものがもっと中途半端な結果に終わってしまったかもしれない。その落差に改めて衝撃を覚える。
「……無様を見せたわね」
「え?」
リリアムの躰に気を取られていたローザリッタは、一瞬、その言葉の意味がわからなかった。
「さっきのことよ」
真摯な声音から察する。ローザリッタの目の前で嘔吐したことだろう。
「いえ、そんな、無様だなんて……」
わたしも吐いちゃいましたし、とローザリッタは苦笑で返す。
「人を斬ったのは初めてじゃないわ。でも、血の匂い、肉を裂く感触には未だに慣れていない。だから、斬り合いをした後は必ずこうなるの。きっと生理的に無理なんでしょうね」
類稀なる力量を備えながら、リリアムが剣を抜きたがらない理由。それは、人を殺すという嫌悪から来る拒絶感だったのだ。
「けれど、私が間違っているとは思わないわ。慣れちゃいけない。慣れるべきではないのよ、人を斬る感触なんて」
「……それでも、仇を討つんですね」
「ええ。それだけは、曲げられないわ」
リリアムは頷く。人を斬ることに嫌悪感を覚える彼女が、それを堪えてまで仇を討とうとする相手。どれほどの因縁があるのか、ローザリッタには想像もつかない。
「……それはそれとして、初めての実戦はどうだった? 手応えはあったかしら?」
「はい。稽古では学ぶことができないものがたくさんありました。太刀があんなに抜けなくなるとは思いもしませんでしたよ」
ローザリッタは三人目の野盗に突きを放った時のことを話した。
「……ふうん、それは危なかったわね」
「
「樋があると、太刀が遅くなるのよ。太刀を振ったら、ひゅって音がするでしょ。あれは樋に風を受けている――つまり、空気抵抗が発生しているからなの。それを嫌う剣術遣いは樋を彫らないって言うわね」
「樋がないほうが速く振れると?」
「ええ。でも、刺突を使えばますます抜けなくなるから難しいところね」
ローザリッタの脳裏に閃くものがあった。
「もしかして、リリアムが速いのは空気抵抗がないからですか?」
「だ、誰が空気抵抗がないくらい真っ平だっていうのよ!」
リリアムが顔を真っ赤にして胸元を庇った。
「……抜刀術の話ですよ?」
「え、ああ……そうね……」
「リリアムの抜刀術は正直、かなりの速さです。それは樋のない太刀を使っているからではありませんか?」
「残念だけど、私の太刀にも樋はあるわよ。斬るだけの戦闘ってほぼほぼないし」
「むぅ。そうですか……」
だとすれば、あの雲耀の抜刀はいかにして成されるのか。ベルイマンの太刀技の真髄は――表向きではあるが――剣速の妙にある。リリアムの抜刀術はそれに匹敵する、いや、野盗を切り捨てた時の抜き打ちを鑑みれば上回る速さだ。抜刀術だけで勝負が決まるわけではないが、それでも負けているようで悔しい。
道具の差ではないところを見ると、やはり技術的な部分だろうか。しかし、互いに十六歳。積み上げた修練の量にそこまで差があるとも考えにくい。
だとすれば、先天的な才能――環境、適性、素質のいずれかの違いか。
自分とリリアムの違いは何だろう。ローザリッタは暫し、黙考する。
まず、環境。
技能を伸ばす土台があるかどうか。王国最強の剣士を父に持ち、その
次に、適性。
精神的に向いているかどうか。環境や素質に恵まれようと、それを極める明確な意思なくして成長はしない。意思の強さで言えばローザリッタは、それこそ石をも断つ頑固さだ。母の仇を討つというリリアムにも負けないだろう。よって互角。
最後に、素質。
肉体的に向いているかどうか。その技能の習得における肉体的資源を有しているかどうかだが、二人の体格を比較しても筋肉の総量にさほど限界値に差はないだろう。むしろ、ローザリッタの方が明確に肉の厚みがある。筋肉が速度を生み出すというのなら、彼女の剣速が勝っていなければ辻褄が合わない。
――いや、待て。一つだけ明確な違いがあった。
「……やっぱり、この差なのでしょうか」
にゅるり、と脇の下から腕を滑り込ませ、ローザリッタはリリアムの胸に触れた。
「にょわあああ!?」
リリアムが猫のような悲鳴を上げる。掴むというよりはぴたりと添えると言ったとほうが的確と思えるほど、その膨らみはあまりにもささやかだった。
しばしば触れてきたが、二人の顕著な違いはやはり胸囲の差である。
胸があるのとないのでは、やはり運動機能に差が出るのだろう。それは単純に重さによるものではなく、それがある位置が問題なのだ。
糸で吊った重しを想像するとわかりやすいかもしれない。糸で吊った重しを手に持って左右に素早く動かすと、手の動きよりも遅れて重しが動き出す。
人体においても同じ力が働く。体が動けば末端である乳房は遅れて引っ張られる。その誤差によって生じる運動力量の消耗が速度差として表れているのではないか。そう仮定すれば、痩身のリリアムのほうが剣速があるのも頷ける。
ああ、なんて――
「羨ましい……」
「ぶっ殺すわよ!?」
思わず零れた本音に、リリアムの堪忍袋が音を立てて千切れ飛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます