第11話 作戦会議
老人の言葉通り、雨は日暮れ前には止んでいた。
散り散りになった雲の隙間から、うっすらとした茜色が見える。
「ひゃっはー! 燃えろー!」
村の広場で火を焚いていたヴィオラが無邪気にはしゃいでいた。
薪、藁、布――燃えそうなものを一切合財投げ入れ、炎の勢いに比例するように黒い煙がもくもくと立ち昇る。
黒煙は一つではなかった。村のあちこちから同様の煙が発生している。一見すると火事に見えるが――
「こうやって、あちこちで煙を焚けば、別の野盗がこの村を焼き討ちしたと思うでしょう。連中、押っ取り刀で駆けつけるはずよ」
「そこを迎え撃つわけですね」
黒煙を眺めるリリアムの隣で、ローザリッタが入念に太刀の目釘を改めていた。
この太刀もまた、鎧と同じように蔵から勝手に持ち出したものだ。どんな銘かは知らないが、王国最強の剣士の蔵。なまくらでないことだけは確かだろう。
結局、老人は――この村の長は、リリアムの提案を呑んだ。
三人が野盗を退治できれば良し、失敗しても彼女たちに責任を全て押し付ければ自分たちは必要以上に奪われずに済む。協力して抵抗するという意思は微塵も感じられなかったが、責める気にはなれなかった。
「でも、意外でした」
「……なにが?」
「リリアムなら止めると思いました」
目的のためにしか剣術を遣わない。そう公言し、ローザリッタとの手合わせさえ受けなかった彼女だ。自ら厄介事に首を突っ込むとは思いもしなかった。
「普段なら、目を瞑って立ち去るわ。騒動にいちいち関わっていたら、命がいくつあっても足りないもの。……ただ、今回は気になることがあってね」
「気になること?」
「村長が野盗の中に、相当腕の立つ剣術遣いがいるって言っていたでしょ。ひょっとしたら、そいつが私の探している男かもしれない」
リリアムの探し人――彼女の母の仇。
強さを求め続ける剣術遣い。ローザリッタと似て非なる、目的のない剣士。その強さを何かに活かすことなく、ひたすらに次の高みを、次の階梯だけを目指す者。
「現任訓練の話、覚えてる?」
「稽古は実戦のために、実戦は稽古のためにある……という話ですね」
「そ。より強くなるためには実戦が必要不可欠。けれど、人間の集まりには必ず法や道徳が敷かれている。命の遣り取りなんて手軽にできるものじゃないのよ。戦でもない限りね。あなただって、いくら強くなるためとはいえ、誰彼構わず斬りかかるような真似はしないでしょ?」
「もちろんです」
むしろ、そういった理不尽から人々を守りたいのがローザリッタの在り方だ。
戦いそのものは否定しない。名誉のため、大事なものを守るため、人間は戦う。非戦主義が尊ばれるほど、この世界は人間には優しくない。
「そう言い切れるのは、あなたにとって強くなることが目的を達成するための手段に過ぎないからよ。誰かを守るために強くなりたいあなたは、目的の性質上、法や道徳を犯せない。けれど、単に強くなることが目的だったら、法や道徳なんて捨ててしまったほうが合理的でしょ。一回でも多く斬り合わなくちゃならないんだから。だから、あいつが悪に堕ちていたとしても否定できないわけ」
言い換えれば、リリアムの追う仇は必ずしも悪とは限らないということか。
仇敵という概念は個人的なもので、必ずしも反社会的な存在と等価というわけではない。リリアムの実家が剣術道場ということも鑑みれば、跡継ぎの問題などの遺恨が元になっている可能性だってある。
「だから、ここに残ったのは個人の都合のほうが大きくて、あなたのためとは言い切れないのが本音なの。ごめんなさいね」
「……いえ。実戦を経験している方が一人でも多く側にいてくれるのは、初陣の身としてはとても心強いです」
それはローザリッタの本心だった。
野犬の群れに遭遇した時の対処も、今回の奇策も、リリアムがいなければ成し得なかった。経験の差というものを嫌というほど痛感する。
「……でも」
「でも?」
「いつか、リリアムの事情も話してくれると嬉しいです」
勇気を振り絞るように、ローザリッタは言った。
まだ二人の関係性は浅い。出会って数日。過ごした時間はもっと短い。リリアムが事情を語らないのと同様に、ローザリッタにも打ち明けられないものもある。
けれど、もっと時間が経って。お互いのことを知って。友達と呼べるような関係性になることができたのなら――話してみたい、話してくれたら嬉しいとローザリッタは思うのだ。
「……そうね。いつか、話せる時が来たらいいわね」
リリアムは優し気な微笑を浮かべた。
もしかしたら、彼女も同じことを考えているのかもしれない。
「それよりも……あなたが待ちに待った実戦よ。覚悟はできているでしょうね?」
「はい」
ローザリッタも神妙な顔つきで頷いた。
太刀の寝刃も合わせてあるし、目釘の具合も確かめている。具足も留め具もあらためた。物理面の準備は万端だ。
あとは――
「……もう、後戻りはできないわよ」
リリアムの静かな言葉は、ローザリッタの唯一の不備――心の所在を突いていた。
ローザリッタは今日、人を斬る。人を殺す。誰かの命を奪う。
真剣を用いた戦闘において殺さないことは殺すことよりも難しいし、そうしなければ村を守れないのは事実だ。相手の命を気遣うような余裕は、これが初陣となるローザリッタにはないだろう。
だが、どれだけ免罪符があろうと、正しい行いであろうと、人が人を殺めることはとても罪深いことだ。
それでも、その手を血で穢す覚悟はあるか、と真紅の視線は問うていた。
「覚悟はできています」
ローザリッタは真摯に答える。
武者修行に出た時点から、いや、もっと前。剣を執ると決めた日から、自分の手を血で穢すと決めていた。血で穢れることがなんだというのか。大切なものを失った時の絶望のほうが、もっと――。
「それは結構――ね!」
刹那、リリアムの右手が霞んだ。
それが、そうと認識できる人間など王国内にどれだけいるだろう。気配も素振りもなく、リリアムは太刀を抜いた。
それ自体は剣術遣いならできて当然の所作。されど、それが稲妻を思わせる速度ともなれば話は別だ。
抜刀術。
文字通り、太刀を鞘から抜く技法である。互いに納刀した状態で、相手よりも先に攻撃をしかけるため。あるいは、既に抜刀している相手の優勢を崩すために編み出された攻性防御術。
常人であれば斬りつけられるまで、下手をすれば死してなお彼女が太刀を抜いたことに気づかない。それほどまでにリリアムの抜刀速度は異常だった。
――だが。
驚くべきことに、鞘鳴りは二つ重なって聞こえた。
「……やるじゃない」
リリアムが満足そうな笑みを浮かべる。
ローザリッタの首元に切っ先。そして――リリアムの首元にも切っ先。互いの柔肌に触れるか触れないかの距離で、二つの白刃が凍ったように動きを止めている。
リリアムが動いた瞬間、ローザリッタもまた動いていた。
「……いきなり何をするんです」
抜刀の態勢のままローザリッタは尋ねる。動揺した様子はなかった。
「この程度に反応できないようなら、実戦はまだ早いってこと。でも、安心した。ちゃんと動けるようね」
「寸止めできなかったらどうするんですか」
「私はできるし、あなたもできるでしょ」
「それは、まあ」
互いに不敵な笑みを交わすと、どちらからともなく太刀を鞘に納めた。
「さ。そろそろ作戦会議をするわよ。ヴィオラさーん、もう火付けはいいからー!」
「おー!」
呼びかけられ、ヴィオラが小走りに駆け寄ってくる。
「野盗の真似事なんてめったにできないからな。張り切り過ぎちまった」
ヴィオラはさっきまでとは打って変わって上機嫌だった。野盗というよりは、放火魔のような様相であったが。
「そういや、あたし侍女服のままじゃん。これじゃ野盗に見えないよな。やっぱり、野盗らしい格好とかしたほうがいいかな?」
「野盗らしい格好って……どんな?」
「ほら、あれだよ。絵物語でよくあるじゃんか。全身ぴっちりの。思うんだけど、あれって素材は何なんだろうな。水馬の皮? それとも蜘蛛糸か?」
「知らないわよ。というか、それ、野盗じゃなくて義賊でしょ。似ても似つかないわよ。あと、あんな格好するの、私はごめんだから」
「だよな。ああいうのは、胸が大きくないと格好つかないしな」
「そこで蒸し返すの……? ふん、さっきまで消沈していたのに、ずいぶんご機嫌じゃない?」
リリアムは不機嫌そうにねめつけられ、ヴィオラは肩をすくめた。
「まさか。今でも反対だよ。野盗の討伐なんて、落命の危険が高い割に何の名誉もない。お嬢の処女を捧げるには役不足だ。でも、お嬢は意見を曲げないだろ。だったら、もう腹くくるしかないさ。気持ちを切り替えられないままじゃ、本番では致命的な隙を生むからな」
「一緒に戦ってくれるのは感謝します。ですが……」
言いつつ、ローザリッタは不満げに眉を
「何ですか、処女を捧げるって。ヴィオラはわたしがむざむざ負けると思っているんですか?」
「え?」
「え?」
互いに首を傾げる。二人の会話は、意図する部分が噛み合っていない。
「言うだろ。人を殺したことがない戦士を童貞とか、処女とか」
「……ああ、そういう意味ですか。紛らわしい。初陣と言ってくださいよ」
思い違いをしていたのか、頬を赤く染めるローザリッタにヴィオラがにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「何が紛らわしいんだ? 恥ずかしがらずに、お姉さんに言ってみ?」
「誰がお姉さんですか。言いません」
「今から斬り合いだって言うのに、いやらしい妄想しているなんて知れたら、お館様はがっかりだろうなぁ」
「してませんってば!?」
「はいはい。猥談は勝ってからにしましょう。作戦を説明するわよ」
リリアムは呆れ顔で手を打って、話を仕切り直す。
作戦はこうだ。
村長から預かった米や金目の物を積んだ荷車を村の入り口に置いておき、そこでローザリッタとヴィオラが野盗たちを待ち構える。
リリアムは草陰に潜み、待機。交戦に入る直前にリリアムが犬散らしを投げ、先頭の出鼻を挫く。
その隙を突いてローザリッタとヴィオラが斬り込み、リリアムが退路を断つようにして背後から挟撃――というものだ。
「ちょっと単純すぎやしないか」
「寡兵でできる策なんて、こんなものでしょう」
不満げなヴィオラに、リリアムは指を二本立てた。
「私たちに与えられた優位性は二つ。一つ目は、向こうの戦力の把握と、攻めてくるおおよその時間を制御できていること。余裕を持っていれば、各々最大限の力量を発揮できる。二つ目は、こちら側の戦力が相手に知られていないこと。向こうはもともと少人数。斥候を出して各個撃破されててしまえば戦力が下がるし、対策を練っている間に自分たちの取り分を持ち逃げされては困る。だから、確実に総力戦で来るでしょう。向こうは私たちの実態を知らないから伏兵を警戒するでしょうけど、逆にこちらは警戒しなくていい。これらを最大限に活かしましょう」
ローザリッタは頷いた。地の利、人の和をもって寡よく衆を制す。リリアムの采配はさながら戦場で軍配を振るう軍師のようだった。
「例の剣術遣いと遭遇したら、まず生き延びることを考えて。私が駆けつけるまで耐えるのよ。いいわね?」
「……倒してしまった場合は?」
母の仇討ちの役を奪っていいのか、という配慮。
「ご心配なく。あなたたちのどちらかに倒されるようなら、人違いだから」
リリアムは恐ろしいことをさらりと言ってのけた。その言が真実だとすれば、彼女の仇はローザリッタとヴィオラよりも確実に強いということだ。しかし、それは今考えるべきことではない。頭の隅に追いやる。
「ヴィオラさんはローザリッタを可能な限り支援してあげてね」
「任せろ。野犬で不覚を取ったからな。その借りはちゃんと返すさ」
「借りを増やさないでくださいね」
「言ってろ。お嬢こそ、いやらしいことを考えて不覚をとるなよ」
「まだ引きずります、それ!?」
軽口の応酬が飛び交う。三人に気負った様子はない。命の遣り取りを目前にした精神状態としては上々といえるだろう。
「じゃあ、そろそろ配置について。――野盗狩りと行きましょう」
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