第5話 放浪の少女剣士
喧騒漂う目抜き通りを、ローザリッタはヴィオラを連れて歩く。
二人とも道着、あるいは侍女服の上から外套を一枚羽織っている。寒いからではなく、正体を隠すためだ。いわゆるお忍びである。
「今日も参拝客が多いこって。役人連中の努力の賜物だな」
ヴィオラが皮肉気に言った。
昼下がりシルネオの街は、国家最強の剣士の威光をあやかりに来た旅人でごった返している。
都市とは名ばかりの田舎町を
領主たるマルクスは自身の来歴を利用した経済戦略に難色を示していたが、人が行き交えば物が行き交う。物が行きかえば商いが盛んになり、商いが盛んになれば職を得られる人も増える――と担当官吏の説得に根負けして了承してしまった。自身の栄光よりも領民の生活を選んだとも取れる。そのあたりの大らかさと善良さが、領民から慕われる理由かもしれない。
ただし、マルクスは剣術を見世物にすることだけは頑なに許さなかった。
ベルイマン古流が男爵家一門にしか教授を許されない家伝であり、技術の漏洩を懸念しているということもあるが――それ以上に、由緒ある武家において剣は民、ひいては国を守るためのものであって、それ以外の用途で使うことを快く思わないからだ。
なので、観光の目玉と呼べるものと言えば――
「街が潤うのは良いことですけど、我が家が観光名所になるのはいかがなものかと思いますが……」
――国家最強の剣士が、実際に暮らしている館くらいしかないのだ。
警備の保安上、観光客が中に足を踏み入れることはできないので、せいぜい正門くらいしか見物できるものはない。それでも有り難がって拝んでいくあたり、実父の名士ぶりが知れる。
二人が目指しているのは鍛冶町だ。
どの街にも鍛治町はあるものだが、シルネオの鍛冶町はベルイマン男爵のお膝元というだけあって特に栄えており、鍛冶師も研ぎ師も優秀な人材が揃っている。
「お」
鍛冶町に続く裏通りに入る直前、ヴィオラが何かに気づいたような声を出す。
「お嬢、せっかく街に降りたんだ。下着を新調していこうぜ。今朝、合ってないって言ってたろ?」
ヴィオラが指さしたのは少し先に構えている女性物の衣料店だ。別の地方から仕入れたであろう、ここいらでは馴染みのない染物が店先に並べられている。
「また今度で」
見向きもしないローザリッタに、ヴィオラは諭すように言う。
「あのな、仕立て屋だってすぐに来るわけじゃないんだ。面倒臭がって体型に合わないのを着け続けると、歳取ってから後悔するぞ」
「ちょっときついくらいですし、どうせまたすぐ大きくなりますから。いま買ったところでもったいないだけです」
「……そんな台詞、あたしも言ってみてぇなあ」
主人の庶民的なの物言いにヴィオラは呆れるような、それでいて妬むような声をあげる。
彼女は今年で二十二。女としてほぼ成熟し終えた年齢だ。日々の生活の中での体型変化はあるだろうが、成長期のような劇的な変化は見込めない。
「そんなに羨ましいものですかね。わたしからすればただの重しでしかないのですが。これがなければ、もっと高く跳べるのに……」
ローザリッタは小首を傾げながら、そっと胸元に手を添えた。厚ぼったい外套の上からでもはっきりわかるほどの膨らみが、そこにはある。
「持ってるやつは言うことが違うね」
「なんですか、それ。だいたいヴィオラは自分で言うほど小さくないでしょ。均衡のとれた綺麗な体つきだと、一人の女として思いますよ」
「そりゃあ、そこそこあるけどさ。中途半端なんだよ。おまけに、あたしは
ヴィオラは自身の頭上のあたりで手のひらを水平に揺らした。それが行き来する場所は、ローザリッタよりも頭一つほど高い。思わず、唇を尖らせる。
「わたしはそっちのほうが羨ましいです。わたしももう少し背丈が伸びれば、それに比例して腕も伸びますから、間合いの取り合いに苦労しなくて済みます。それに筋力だってもっとつきますし」
「何でも剣術基準かよ。背が小さいほうが可愛いじゃんか」
「可愛いだけで勝てれば苦労しませんよ」
贅沢な悩みだ、と互いに思う。そんな軽口を叩き合いながら歩く姿は、仲のいい姉妹に見えなくもない。
歩きながら、ローザリッタは間深く被った頭巾の隙間から行き交う人々――旅人や隊商を護衛してきた傭兵や流浪の剣客などの姿を観察する。
(……いいな)
ローザリッタはぼんやりとそう思う。
彼らはどこから来たのだろう。旅の道中でどんなことがあったのだろう。そして、どんな好敵手たちと戦ってきたのだろう。
武の道に生きるのは簡単なことではない。士官先が見つからず、何年も貧しい生活をしなければならないかもしれないし、実戦で四肢を欠損したり、志半ばで落命してしまうことだって珍しくない。
それでもローザリッタは羨ましかった。更なる強さを求める彼女にとって、実戦は何よりも必要な経験だ。狭い世界に押し込められては、そんな機会に巡り合おうはずがない。彼らを見ていると、自分に与えられなかった玩具を自慢げに見せつけられるようで、ひどく心が痛む。
――いや、まだだ。
灯篭切りさえ果たせば、自分も武者修行の旅を許される。この街から旅立つことを許される。
――わたしは強くなる。誰よりも、何よりも。あらゆる理不尽を斬り伏せるだけの強さを手に入れなければならない。
こんなところで、躓いてはいられるものか。
ローザリッタは弱い心を振り切るように歩幅を広めた。
†††
鉄を打つ音が響く、鍛冶町の一角。
辿り着いた工房で老齢の研ぎ師が平伏して二人を出迎えた。
「領主様のご令嬢が、こんなところへわざわざお越しになられるとは思いもよりませんでした」
「自分で歩いたほうが速いですから」
「どうやら、お急ぎのご様子。まずは、太刀を拝見させていただきましょう」
老研ぎ師は渡された太刀を受け取ると、顔の皺が一気に深まった。師範代と同じ反応。その分では、太刀の正体も理解しているだろう。
「……何をお斬りになられました?」
「石灯篭を」
「なるほど。印可の試しでございますな」
「ご存知でしたか」
ローザリッタは意外そうな顔をする。
「ええ。男爵家所縁の御方が数年に一度、こういった破損の太刀をお預けになられます。聞けば皆、印可の試しに臨まれたとか」
その言葉を聞いてローザリッタの表情が和らいだ。歴代の印可を授かった者たちも自分と同じように躓いていたのだと知って、少しだけほっとする。
「この破損具合。優先的に取り掛からせていただいたとしても、六日は頂くことになりますが……」
「構いません。お願いします」
「は。誠心誠意、務めさせていただきます」
老研ぎ師は再度、平伏して答えた。
試練の猶予期間は七日。研ぎに六日費やせば、そのほとんどの期間、太刀が手元にないことになる。
だが、古銭刀を使っても無理だったのだ。師範代が仄めかした通り、灯篭斬りを果たすためには太刀の質以外の何かが必要と見るのが妥当。それを探すのに全力を費やすべきなのだろう。
しかし、ローザリッタにはまったく心当たりがなかった。道すがら絶えず思考していたが、きっかけさえ掴めない。気分は暗澹としたままだ。
すると――
「お邪魔するわ」
凛とした声。
店先の暖簾をくぐって、旅装束を纏った小柄な少女が現れた。
年齢はローザリッタと同じくらいか。左右で結わえられた長い銀髪。整った目鼻立ちの小さな顔。透けるように白い肌。それに反して煌々と輝く、切れ長の真紅色の双眸。
体格は華奢の一言で、首や腰などは折れそうなほど儚い。まるで精巧に作られた人形のような妖しい美貌の持ち主だ。
(――綺麗)
その美しさに、ローザリッタは瞬く間に目を奪われた。
外見のことではない。何気ない足運びだけでも鮮烈に伝わってくる合理を極めた身体運用に、だ。
腰帯には何もない。だが、ローザリッタは直感した。彼女は剣術遣いだ。武器を帯びていないのは都市の内部では武装が制限されるからだろう。
(すごい……!)
ローザリッタの胸に沸き起こったのは強い憧憬の念だった。
彼女には同年代の友人というものがいない。貴族としての横の繋がりで、家同士の知り合いは何人もいるが、彼女たちとはあまりにも価値観が違い過ぎた。
だが、目の前の少女はどうだ。
自分と大して変わらない年齢でありながら、旅をしているではないか。自分の理想の姿そのものではないか!
彼女のことを知りたい。言葉を交わしてみたい。
ローザリッタは胸の中で、純粋で抗いがたい好奇心が芽生えるのを感じた。
そんなローザリッタには目もくれず、白銀の少女は老研ぎ師の前に立つと、懐から四つ折りの紙を取り出した。
「人を探しているのだけど。こういう人相の男が太刀を研ぎに来ていないかしら」
差し出したのはどうやら人相書きのようだった。
「……人探しなら、鍛冶町ではなく、もっと人の多いところに行ったらいかがですかな?」
「いえ、ここでいいのよ。この人、剣術遣いだから。この街に立ち寄ったのなら、間違いなく太刀を研ぎに来るわ」
老研ぎ師は受け取った人相書きを眺め、眉根を寄せて記憶を探ったものの、最終的には首を横に振った。
「生憎ですが、見覚えはありませんな」
「……そう」
少女の肩が落胆したように下がる。
「……ここもはずれか。一番の目星だったのだけど」
伏目がちに何事か呟く。
「――いいえ。諦めるにはまだ早いわね。あなたの言う通り、別のところを回ってみましょう。お邪魔したわね」
(行っちゃう……!)
踵を返した少女に、ローザリッタは慌てて駆け寄った。
「あ、あの!」
「……何かしら」
「た、旅の人とお見受けします。あの、よろしければ、道中のお話を聞かせてもらえませんか?」
少女は怪訝そうな視線を向ける。
「……どうして?」
「えっと、その……わたしもいつか旅に出たいと思っておりまして、その参考にさせていただけたらなって……」
しどろもどろに言葉を紡ぐ。
ローザリッタはあまり人見知りをする性格ではないが、それでも予期せず現れた理想の体現者を前に緊張せずにはいられなかった。
「……悪いけど、私は吟遊詩人ではないわ。先を急いでいるの。他を当たってちょうだいな」
けんもほろろとはこのことか。旅の少女はローザリッタの肩を押しのけ、店を後にしようとする。
「旅の御方、無礼ですぞ。その方は――」
言いつのろうとした老研ぎ師に向けて、ローザリッタは唇に指をあてた。
ここで立場を明かすのは彼女の望むところではなかった。権力や立場を利用して従えさせるやり方は好まない。第一、彼女自身がそれに反抗している真っ最中だ。
「そこをなんとか! あなたじゃないと駄目なんです!」
「しつこいわね。先を急いでいるって――」
言いかけて、ぐう、と音が鳴った。
少女のほっそりとした腹の奥から。響き渡る槌の音を掻き消すほどに、はっきりとした腹の虫。
「……言っているじゃない」
頬を朱色に染めながら、気まずそうに少女は視線を反らした。
ローザリッタの次の言葉は決まった。
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