第9話

 魔術を乱用して世間を惑わすやつらを捕まえようとしていたら、逆にそいつらに捕まってしまった。

 狭い洋室には外から錠がかけられ、小さな窓には鉄格子がはめられている。テーブルには先程運ばれた大きなポットに紅茶と、人数分のティーカップ。あべこべの扱いの真意はわからず、誰もそれを飲もうとはしなかった。


 きららは瀬戸口のやや斜め後ろに座り、海野と距離をとっている。先程から瀬戸口が海野に対して、というより未だ解けないこの不可解な状態に対して色々解除を試していたが、相変わらずであった。ぺルラはAIシステムを一旦シャットアウトしてはどうかと言う。

「そうすれば僕は、また声を失うのですね」

 海野が寂しそうな表情でそう呟く。

「ええと、いっそ君の現状を全部教えてくれないか」

 それがたとえ仕組まれたものでも、吟味することはできる。

 海野は小さく切り取られた夜空を見つめながら、滔々と話した。



 最初にぼんやりと意識が浮上した時には、すでに呪いの渦中にいた。自分ではどうすることもできない。体の奥から禍々しい何かが機能していて、外から色んな悪意が集まってくる。それは主に声として認識された。そしてその声がひとしきり体内を蹂躙したかと思うと、今度は外のあるものに向かって放たれていく。それが悲しくて悲しくてしょうがなかった。あるものとは綺麗な歌声だ。そう仕組まれているのだろう、歌声を追って目がけて呪いをかける。止めることも、自分の声を出すこともできなかった。ただ意識だけがその状態を嘆いていた。そして君が現れ、僕ごとこの呪いを解除した。体中の毒が抜け、そしてその体もばらされ、やっと終わったと思った。これでもう、誰も傷つけなくてすむ。そう思うと心の底からほっとした。薄れていく意識の中で思い出したのは、塩の匂いと年老いた男の優しい手。そう、僕を作ってくれた人。

 しばらくして、はて、と不思議に思った。まだ僕が僕でいる。いつの間にか体も直っている。君が僕に謝った。何で、謝ることなんてない、むしろ救ってくれてありがとうとお礼が言いたかった。次には体内に色々と機械が取り付けられていった。無垢の人工知能。まだそれに自我はない。僕の意識と機械の機能がじわじわと溶けて一体になるのを感じた。声が出せる。どれだけそれが嬉しかったか。頭の中に警察のデータや世界の知識がなだれ込んでくる。人工の瞳を通して海を見た。昔はどうやって見ていたか、忘れてきている。そして先程の儀式で彼女が僕に息を吹きかけた瞬間、僕はこの機械の体を通して話しかけることを、自分に許した。



「……いいんじゃないか、このままで」

 瀬戸口が絞り出すように言うと、ぺルラが正気を疑うような目で凝視してくる。

「あなた本気で言ってるの? そのすべてがあの女神がかけた魔法でしょう。敵の思惑と一緒に動くわけにはいかない」

「まだ敵だと決まったわけじゃない。もしそうだとしても情報源になるかもしれないだろ」

 冷めていく紅茶と部屋の温度。きららはいつの間にか部屋のドアや壁のあたりをうろうろしている。壁の一角を見て、こちらに振り返った。

「皆さん! とりあえずここから出ませんか。ドアの錠は強固かつ魔術によっても閉ざされているようですが、それなら壁はどうですか、こちら側一面、何やらからくりがあるように見えます」

 瀬戸口は立ち上がり、きららが指さしている壁を見た。確かに反対側より素材が違う気がする。手で触れると、たちまち一面に魔法陣が浮かび上がった。

「移動の陣?」

 ぺルラが後ろから覗き込む。

「この部屋に連れていけって指定したの、彼女だよな」

「ええ、あの場にZはいなかったし」

 瀬戸口は綿密に描かれた布陣をなぞり、解読していった。それだけでこれが彼女によるものだということが指先から伝わってくる。

『……私も取り返したい一人なの』

 彼女の言葉が脳内にこだまする。


 魔法陣にいくつかの操作を加えると、壁がすっと滑るように動き出した。可動式の壁は大きな部屋を二分していたらしく、中央まで移動してその動きを止めた。狭い部屋のドアの向かい、小さな窓があった壁にドアが現れた。内側から鍵を開け、ひんやりとした暗い廊下に出た。そこは反対側の廊下とは違って、コンクリートむき出しで灯りもなかった。窓一つないので月光すら届かない。片方は行き止まり。廊下の先は空間が把握できないほどの暗闇だ。今までいた部屋のオレンジ色の電灯だけが廊下に漏れて、一切の闇を照らしている。

「こっちには何が?」

 一瞬立ちすくんでいると、きららが廊下を進みドアを見つけた。暗くてよく見えていなかったが、それは大きな部屋のもう半分に繋がるものらしかった。ぺルラがドアを確かめる。海野が近づくと、きららは気まずそうにそっと避けたように見えた。

「ここも魔術で閉めてあるみたい」

「任せろ」

 壁に施されたものと同種なので、時間もかからず開く。


 部屋の電気はついていた。目に飛び込んできたのは、宝の山といったところか。博物館よろしく様々なものが飾られていた。輝く装飾品や、古めかしい分厚い本、丸い鏡、織物の絨毯、艶のある食器類。それらは普遍的な価値というより、ずいぶん個人的に大切なものに見えた。本棚にあったファイルを取り出し眺めるとそれはどうやら顧客リストで、瀬戸口は眼前の調度品と見比べて思い至った。

「これは皆が捧げたトリガーだ」

 そしてこの城のどこかに、彼女の奪われたトリガーもあるはずだ。


ペルラが証拠写真を撮って本部に応援要請をしている間に、瀬戸口はきららに顧客リストを渡した。

「きらら、今日の客人達のトリガーを読み上げてくれ」

「儀式で呼ばれていた名前ですね? ではいきます」

ファイルを受け取るなり一気に一度捲り、大量のリストから名前を拾って明記されたトリガーを読み上げていく。そういう機能的な動作をする時だけ、きららの瞳は表情を沈めて黄色く瞬く。逆にその顔がほとんど見られないほど、いつもは人間の少女を代表すべく可愛らしさに特化している。


瀬戸口は今日の客人達のトリガーを片っ端から集めて、部屋の片隅にあった台車に乗せていった。望んで捧げたものだろうが、目を覚ましてもらおう。催眠や幻覚幻聴を誘発するきっかけは、個々に異なる。だいたい自分の大事な、思い入れのあるものを相手に渡すことによって、相手のコントロール化におかれてそういったものに容易にかかりやすくなる。集団的にそれを行うのは混乱を招くと禁じられていた。個人的ならよいのかなど、まだグレーゾーンなところも多いが、この組織化されている規模、そしてあの一連の騒動を考えれば令状はとれるだろう。

「じゃあ三人はこれを儀式の間に持っていって、あそこの魔術を解いてくれ」

「ちょっと、あなたは?」

ペルラが怪訝そうな顔をして瀬戸口を引き留める。

「俺は女神様のトリガーを取り返してくる。じゃないと、あの場を解いても、またさっきみたいに戻されてしまうだけだ」

「場所は?」

「あの奥、な気がする」

瀬戸口は暗い廊下の先を指差した。前後もわからない暗闇が蠢いて、呼ばれている気がした。ペルラはため息を短く吐いて、ではそちらは任せる、と言った。

「でも本当に彼女がトリガーを奪われてしょうがなくやっている、こちらの味方だと?」

「じゃないとこんな部屋に俺達を閉じ込めないだろ、全部意図通りだ」

「わかった。但し応援が来るまでよ。その後は考慮できないから」

瀬戸口は礼を言って、部屋から出た。ペルラ達は反対のドアから明るい廊下へ。

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