第8話

 天使の儀が始まるまで、場内はパーティー会場と化した。瀬戸口はぺルラと分かれ、全力の作り笑いをしながら他の参加者と談笑して情報収集した。何度も参加している常連が多いようで、新しい子を迎えるたびにここに来ているらしい。

「その、わかるのですか。違いというか……」

「初めてだから不安なんだね。何も心配することはない。女神が呼んでくれる魂を、君がわからないはずはないよ」

 ふくよかな男性は、慈愛に満ちた表情で小さな人形の頭を撫でながらそう言った。初めての参加だというと皆優しく、これから訪れるであろう幸福に想いを馳せてうっとりとした表情で何でも教えてくれた。


 天使の儀、魂を呼び入れる女神。

 瀬戸口は参加者と談笑しながらもそれとなく彼女を探していたが、この部屋の中には影も気配もなかった。


 頃合いを見て、そっと部屋を抜け出す。左右に伸びる薄暗く長い廊下には等間隔にランプが灯り、赤い絨毯がぼやぼやと照らされていた。

 この部屋に来た時と反対、左の方へ進む。時々廊下沿いに部屋があり、閉ざされた扉には独特の魔方陣が描かれていたりした。耳をそばだてるも、物音ひとつしない。誰かに見つかったとしても、一緒に来た友人を探していた、またはトイレに行こうとしたら迷った、などと言えば誤魔化せるだろうと踏んだ。


 しばらく歩くと、扉が少し空いている部屋を見つけた。忍び込んでみるが、中は薄暗く静かだった。部屋には誰もおらず、家具も中央に置かれた木製のテーブルと四隅のランプだけ。テーブルの上には浅い水槽が埋め込まれているようで、水面が揺らめいている。水だと思って触れた指先は濡れず、吸い込まれそうに柔らかく脈打つ。


 背後でパタンと扉の閉まる音がした。突如四つのランプが光り交差し、机上に何かを投影し始めた。徐々に鮮明に、舞台上で踊る人間達が映し出される。テレビなどで見かけたことのある顔ぶれだ。

「やぁ、楽しんでる? 僕は舞台衣装なども手掛けていてね。これも、今日の制服も、その一部さ。光集めて羽織れば輝く」

 Zはゆっくりとした歩調で瀬戸口に近づき、肩を軽く叩いた。片手には青いグラスを持っている。酒の中で鉱石が透明な肌を濡らしていた。

「ほら、もうすぐ開きそうじゃないか」

 Zは瀬戸口の額に手を当てて、ゆっくりと撫でた。考えていた言葉や反応を挟む隙もなく相手のペースに飲み込まれそうになる。

「君も飲みたまえ」

 Zはこちらが発する言葉を避けるように、さっと離れてそう言った。そして声には出さず、何かを呟く。その直後に後ろの扉がガチャ、と開いて、ウェイターが澄ました顔をして酒の入ったグラスを持ってきた。Zが持っているのと同じく、氷のような顔をして鉱石が入っている。

「オーダーは頭の中だけでいい」

「何の話ですか」

 やっと話せた台詞は何とも無難な、いかにもこの場で言いそうなもので、否、言わされている可能性もあると思って瀬戸口は強く意識的に息を吐いた。

「私は啓示しているだけだよ」

 Zは口元に冷ややかな笑みを絶やさず答える。

「君は……そう、彼女の友人だろう」

「……」

「天よ、この城に一時の浄化の雷雨を。そして海へ渡る虹を与えたまえ」

 Zが急に窓越し空に向かって声高らかにそう叫ぶと、空に暗雲立ち込めぴかりと閃光走り、ざばぁと激しい雨が降り始めた。

「私の顧客リストに君達はいないんだ。彼女が勝手に送ったのだろうけど、私にはどうしてそんなことをするのか理解できない。この宴、そして儀式を受けようと思っているわけでもない人間を何故に招き入れるのか。友人に見てもらいたいのかな? 神に愛されし我々の喜びを。それならわかるのだけど……」

 Zがぱちんと指を鳴らすと、轟いていた空はさっと静かになった。闇夜に虹が浮かんで白く輝いているのが窓から見えた。

「さぁ、宴を始めよう」



 儀式が始まる。

 いつか見た自分の夢かと見間違う甘美な夜、それはあまりにも映像のようで、何かをきっかけにゲシュタルト崩壊する感覚みたいに現実が溶けていく。もう操られかけているいるのかもしれない、瀬戸口は護身用のナイフを握りしめた。


 円形の祭壇に並ぶ人形の微笑み。その中央に立つ女神と呼ばれる女性と目があって、時間が止まる。あの瞬間が甦る。違うのは、彼女がZらと同じ制服に身を包んでこの儀式を執り行っていることだ。

 順番に祭壇の前に客人が呼ばれ、彼女の声が、かざされた手が、吹き掛けた息が、人形に魂を入れていく。それは静かに瞬く瞳や微かに笑う口元に現れていた。不確かな錯覚程度の変化だが、客人らにとっては奇跡の瞬間であった。


 人形に混じってきららと海野が目を伏せている。この儀式にZは立ち合わなかった。そのうちぺルラと海野の順番がきて、儀式が行われる。


 潜入調査だということはバレている。なのにつまみ出さず参加させる意図は何か。手の内を晒しても邪魔をされても痛くも痒くもないということ、一連の騒動の確かな証拠は掴ませない自信があるのか、それとも証拠があっても捕まらない確信?


 そのこと以上に瀬戸口の頭から離れないのは、まるで最初からこの団体の一員であるかのような彼女の立ち振る舞いだった。そもそも出会った最初から? 全て戯れの罠である可能性。あの夜から奪われたままの自分の何かに薄々気づき始めるが、一方でそれを直視することを拒否している。


 じりじりと思考に焦げ付きそうになっていると、甘い声が自分の名前を呼んだ。身体の奥からびりびりとした痺れがかけ抜ける。しばらくぶりの再会。走馬燈のように浮かぶ東京の夜。

「何故君がここにいるんだ」

「あなたに会うためでしょう、約束したのだから」

 きららを挟んで近づいたタイミングに、小声で言葉を交わす。

「いつもつけていてくれて嬉しい」

 そう言って瀬戸口のピアスに触れた左手指先は、ひんやりと冷たかった。彼女の細くて白い手には似つかない黒いピンキーリングが目にはいる。

「これは君の本位か」

「……私も取り返したい一人なの」

 離れる直前にぽつりとそう囁いて、部屋の奥にある扉をちらりと見た。


 様式通りに魂を入れられるきらら。入る隙間なんてないんじゃないかと思うぐらい、AIに自我があるようみえるのは人間の都合のよい錯覚なのだろうか。人間がそれだけ一個の人格として接していると、関係性の半分は出来上がり、もう半分だって幻ではないのでは、そう俺が呼んだのだから。モノに意識を宿らせるのはいつだって人間で、その人間だって意識で動く。中身が生物か機械かの違いだ。自分がどこからきたかはっきりわかっている人類だって少ないだろう。大元の故郷なんて意外と同じところかもしれない。


 きららの瞳がゆっくりと開く。お決まりのように客人達の祝福の拍手が起こる。

「眠り飽きただろ、きらら」

「ええ、冬眠しそうでした。私は何をしたらいいですか」

 体を伸ばしあくびしながら喋るきららを見て、客人達はざわめき始めた。

「なんで喋ってるんだ」

「伸び伸び動いてるぞ」

 厳かで靄がかかったような場の雰囲気が我に返るように崩れていく。彼女が仕掛けた魔術が薄れるのが手に取るようにわかった。

「私はきらら。彼を守る為のAIシステムです。あなた達は本当に人形が微笑むのを見ましたか? 集団を惑わす魔術は彼女の十八番のようですが……あなた達はこの団体に何を捧げましたか。それによっては法律に抵触する恐れがあります」

 きららはやっと喋れたといわんばかりに張り切った声で客人達に問い詰めた。すっと海野が立ち上がり、祭壇に近づく。

「あ、彼もAIです」

 海野はきららの前を通り過ぎ、瀬戸口のところへ来て、ぺこりと頭を下げた。

「直してくれてありがとう」

 瀬戸口はその言葉に目を見開き、彼女の方を振り返った。


 彼女はうっすらとした笑みを浮かべている。その場の崩れかけていた空気がみるみる元に戻っていくのを肌で感じた。

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