第7話
その手紙が届いたのは、宿で瀬戸口が洗いざらい彼女について尋問されている時だった。真紅の封筒に瀬戸口慶様と宛名が書かれている。開けるとたちまち紫の煙が湧き出て、白紙の紙に文字を刻んだ。
南の果ての古城にて開催する天使の儀に招待する。愛するモノに魂を。合言葉は“××××”
瀬戸口が不安定な文字を目で追って読み終わると同時に、文字は再び煙となって消えた。ぺルラが手にする頃にはただの紙切れになっていた。差出人は書かれていない。
きっとこの秘密の招待状はSOSだ。彼女が関わっているとしても、何か事情があるのではないか。歌の件のように害までなすとは思えないし、こんな大掛かりなことをする意味がわからない。瀬戸口はその可能性も含めて話したが、ぺルラは聞きとめることはしたものの、全部あなたの憶測でしょう、とばっさり言い捨てた。
それから帰って一番に、きららの体を直し強化した。持って帰ってきたあの少年の人形もついでに直した。施された各種呪いを解除し、縫合する。穏やかな海の瞳がさざめいて微笑んだ気がした。
身勝手な人間の都合で作り変えられたりばらされたりするのが何とも申し訳なくなった、というのも本当のことだ。それだけなら、きららと同じようにAI搭載システムを埋め込んだりしないし、イメチェンだと髪型や容姿を変えたりもしない。例え警察の指示でも断ることはできた。
「……君はこんなこと嫌かもしれない。人間はどこまでも愚かだから。我々の形勢逆転に付き合ってはくれないか、そう、君をあんな風にしたやつらに仕返ししてやろう」
人形に話しかける瀬戸口をきららは心配そうに見ている。
「まだ何も入ってませんよ」
「そんなことわかってるよ、だけど気分的に不憫だろ」
少年の人形には警察のAIが入れられることになっている。調べまわったところ、一か月後の天使の儀とやらに参加するには人形が必要だ。彼にはぺルラの相棒になってもらう。
問題はその古城があるのかないのかわからないことだ。web上に散乱する情報やそういった愛好者の界隈では、確かに古城は存在しているようだが、実際にその場所を訪れると海に伸びる道の先にはただただ波間と地平線が広がっていた。道が途中で途切れているのだ。
座り込んで釣りをしている初老の男に古城について尋ねるも、魚の釣れ具合しか答えられず。海辺の町に魔術の気配はまるでない。澄み渡る快晴の海はきらきらと輝き、目を凝らしても見えてはこなかった。
調査の合間、瀬戸口は例のナイフと仲良くなろうとして奮起していた。刃には龍と術式が彫られている。使いこなせれば色々機能する道具、持ち主は長年その抜き身を見たこともなかった。
「タカラノモチグサレ、ってやつ?」
ぺルラが木刀片手に鼻で笑ってくる。手首を叩かれた衝撃で落としたナイフを拾う。
「魔術うんぬん以前の問題なのよね」
瀬戸口が何か言い返す暇もなく、容赦なく一手二手が襲ってくる。
言葉を発する余裕もないということは、つけ刃で覚えなおした術を発動させるなんてことも難しい。せめて避けようと視線を木刀の動きに集中させる。
「惜しい!」
避けた先で追撃にあって倒れた。
「あなたの保護者ちゃんがめちゃくちゃ睨んでくるから休憩にしましょ」
ぺルラはそう言って、床に置かれていたペットボトルを持ち上げ水を飲んだ。瀬戸口は倒れたまま天井を見つめ、荒い息を整えている。道場の端に座っていたきららが急いで駆け寄ってきた。
「手加減って知らない?」
「敵は手加減してくれるの? それにあなたが頼んだんでしょう」
「そう俺が頼んだんだった……俺はもともと戦う人じゃないだけどあんなことはもう二度とごめんだし……、俺が何かする前に力でねじ伏せてくるやつらがいるなら最低限対処できるぐらいの力が」
「それだけ喋れるなら上等よ、さぁ立って!」
訓練を重ねるごとに瀬戸口の動体視力と反射神経は微々たる進歩を得た。亀の歩みでも、この刃を活用するには一呼吸あれば充分だ。ぺルラはスパルタを体現したような、しかしそれでいてこちらのペースを把握しつつ進めてくれた。そしてもうすぐ一か月が経とうとする頃、時々ランダムに本気の殺気を向けてくるようになった。瀬戸口は最初、そのびりびりとしたエネルギーに対して絵に描いたように怯んだ。
魔術を発動させるのに一番重要なのは、知識やトリガーよりも当人の精神的安定である。それは長年の分析対象であるし周知の事実、ただ知っていることとわかることにこんなにも差があるとは思わなかった。
○
天使の儀、当日。
黄昏る海辺の町へ。車の後部座席にはきららと例の少年の人形、海の目をしているから海野と呼ぼう、二人の人形が仲良く静かに座っていた。二人とも目は閉じている。が、きららは時々薄目を開けて、町の様子を窺っていた。瀬戸口がそれに気づき、振り向いて声をかける。
「またそうやって……動いちゃだめだよ、ただの人形のふりしてくれなきゃ」
「まだ城に着いてないのだから少しぐらい大丈夫でしょう」
「ああ喋っちゃだめだって……どこから見られてるかわかんないんだから」
お留守番のウルリカに変わって本日ぺルラの相棒となった海野は、本当にAIシステムが入っているのか不安になるぐらいぴくりとも動かなかった。駐車場に車を停めた時、ぺルラがそっと海野の耳元で最終動作確認、と呟いた。海野の瞳がゆっくりと開かれ、異常なし、と抑揚のない声で言った。
大きなキャリーケースに緩衝材を敷き詰めて、二体の人形をそれぞれ入れる。海に伸びる道は相変わらず途中までで尽きていた。沈む夕日が水面を優しく照らしている。何の変哲もない日常的な景色は、知らない顔してその幕を下ろそうとしている。確たる手がかりはあの消えたメッセージだけ。
招待状に書かれていた時刻まであと三十分ほど。太陽が沈む。水平線を睨む我々の前を、一羽の大きな黒い鳥が遮り海の向こうへ飛んでいった。真っ黒の深い夜の瞳がこちらを一瞥した気がした。
空気が、変わる。恐らくそれが何らかの合図だったのだろう。辺りに濃い霧が立ち込め、一寸先の視界が不透明に揺らぐ。波がゆらゆらとさざめいていると思ったら、水がするすると引いて地面が現れた。そして霧の向こうに影絵のような古城がぼんやりと姿を現す。
「行きましょう」
「ああ。その前に」
瀬戸口は例のナイフを取り出し、二人の間の宙にマークを切った。
「ラド。この調査の幸運を」
微弱ながら宙に浮かんだマークが光って消えた。
「少しは仲良くなれたようね」
二人は道から海底であった地面に降りて、古城へ向かった。最初はごつごつとした岩や起伏の激しい地面を歩き、なかなか重いキャリーケースを抱えたりしていたが、古城が近づくにつれて一本の石畳の道になってきた。灯りは遠く霞む古城から漏れる光とその背後で輝く月光だけだったのが、いつの間にか道に沿ってぽつりぽつりと街灯が立ち並び、導くように行く先を灯している。先程までは海の底を照らしていたのだろうか。
現実を整えるように整備されていく道のりを進み、大きな門の前に辿り着いた。両脇には狛犬よろしく狼のような銅像が二体、今にも動き出しそうな姿で鎮座していた。
「歓迎されているのかしら」
ぺルラが銅像のいかつい表情をちらりと見て言った。
「招待状送ってくるんだから、そりゃあ。あ、それに狼も犬みたいなもんだろ」
「あのねぇ、すべてのイヌ科を従えられるみたいに言わないでよ」
「それよりこれ、どうやって入るんだ? インターホンはないのか」
「ピンポンダッシュしないでよ」
微動だに動かない門を前に様子見しながら喋ってみるも、何の反応もない。瀬戸口のキャリーケースの中からコンコンと叩く音がした。きららが小声で「魔術には魔術を」と呟く。そうだった、もはやここは相手の魔法の中。
「うーん、かくあれかし!」
何も起こらない。
「なるほどね、so mote it be!」
ぺルラがそう叫ぶ。
まだ門の扉は静か。と、不意にどこからか小さな者がぴょこぴょこ跳ねながら二人の前に出てきた。手燭を持っていて、周囲の暗闇の中で蝋燭の炎が大きく揺らめいている。小さな者はその顔一面に大きな一つの瞳を持ち、あるのかないのかわからないほど小ぶりな唇を開いた。
「我が城にようこそ。客人が客人たる合言葉を願おう」
一つ目小僧みたいなその小さな者は、見た目に反して重厚な男の声でそう言った。瀬戸口はその言葉に答えながら、こいつはただのデバイスかもしれないなと思った。
「それでは中へ。親愛なる同志よ、今宵の宴を楽しんでくれ」
扉が重そうな音をたてて開く。
城の中は外からは想像のつかないほど賑わっていた。たくさんの客人と人形。皆それぞれの入り口から来たのか、静まり返っていた門前を思い出す。煌めく室内には至る所に見覚えのある石が様々な形で飾られている。瀬戸口はそっと自分の耳に触れた。
カクテルを配り歩いていた一人の青年がこちらに気づいて、ソファーの席まで軽く案内してくれた。その青年といい、何人か同じ格好の人達がいる。彼らは様々な人種および性別で、年齢の幅もかなり広いようだった。おそろいの軍服のようなものに紋章や細かい石による装飾、肩のベルトは見たところ西陣織、と派手な衣装を着こんでいる。
ソファーにきららと海野を座らせていると、場内が急にざわめき始めた。振り返ればそこには、先程の人達と同じ服装の男が部屋前方のマイクの前に立っている。三十代後半といったところか、柔らかい物腰だが妙な気迫のある雰囲気。どうやらこの催しの主催者らしく、挨拶を始めた。
瀬戸口はそんな前置きが全く頭に入らなかった。その男、Zの声は宿でうなされている時に聞いたものであり、その口調は土産屋の店主の一声、そしてその瞳はあの晩の満月……よく見ると男の額には三つ目の瞳が薄目で眠そうに瞬きしていて、それは先程の一つ目小僧の瞳によく似ていた。
ぺルラに小突かれはっとする。割れんばかりの拍手が耳に入ってきて、瀬戸口も急いでそれに倣った。Zの額の目がぎょろりとこちらを向いて、目があった途端にたりと笑った。
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