第3話

 魔術対策ラボ。いつのころからか、進歩する科学を追い抜く勢いで夢幻かというような現象および術式を操る人間達が現れた。しかし人間がそれらを使う以上、そこに一定の法則性も伴う。未来夢想されたなんでもありの魔法とは違って、おおかた亜種の科学のようなものであった。なので、それらを紐解き対策と予防を担う機関や専用の警察などが必要とされたのだ。

 何故だかそういった機関、うちのようなラボは、同志のはずの警察から煙たがられている。解せない話だ、と瀬戸口は設置した実験装置の最終確認をしながら考えていた。だいたい技術や知識を持っている者がいつそれを悪用するかわからないから、といった平凡な危惧だろう。そんな危険性は警察内でも確率は変わらないだろうに。


 あの日のペルラと名乗った警官は、結局部屋で見つけた光る石も、魔方陣に使われた石も全て回収して帰った。それだけでなく、警察署に連れていかれて意味があるのかわからないほど繰り返し人を変え何度も事情聴取された挙げ句に乱雑に帰っていいと深夜に放り出された。交通機関はとうに眠っている時間だ。深夜増しのタクシーを捕まえて家まで戻ったあと、沸々と苛立ちが沸き上がってきた。そして翌日ラボに出勤してみれば、警察から捜査依頼の案件として、見覚えのある石ころが送られていたのだ。様式上そういう順序で事を運ばないといけないのはわかる。腹が立つのは逐一その見下してくる態度である。


 同僚からこの案件を奪い取り、素材調査のちの再現実験というわけである。同僚は珍しくやる気があるんだな女絡みか、などとからかってくるので小突いてやった。一体人をなんだと思っているのか。

『準備完了、実験部屋から出てください』

 デスクの大きなモニターにきららのアイコンが示され、そう告げた。


 二重の円形に配置した石。斜め上にはあの丸い石。幾度となく角度や条件を変えて試したが、今のところ再現はできていない。あの場に残っていなかった他のトリガーがあるとすれば、再現は不可能だ。

 石の素材は、一番近いのが隕石の一種であった。やはり魔方陣の石も、部屋に転がっていた石も、そして瀬戸口がいつもつけているピアスの石も、同じものであった。

『実験終了。条件を変えて再度試しますか?』

「いや、一旦休止して。昼にする」

『承知しました』

 モニターのアイコンがくるくると回って、赤から青へ変わる。

『それでそのピアス、誰に貰ったのですか』

 業務モードから切り替わった途端に喋り出すきららの声を聞いて、瀬戸口はため息を吐きながら先程買ったサンドイッチを鞄から取り出す。

「ほんときららは人間みたいだな」

 言い残して、研究室を出て給湯室へ向かった。

『以前、形見と言っていましたが……』

 タンブラーになみなみ珈琲を淹れて研究室に戻る。会話は終わってなかったようだ。

「これはこっちに来る直前、日本である女性に貰ったものだよ。偶然だと思う」

『連絡はできないのですか』

「電話番号とかどこの誰とか、なんにも知らないし」

 きららがアイコンをくるくる回しながら黙っている。機械にも言い悩むことってあるんだなと思いながらサンドイッチを頬張った。

『では形見といっても、生きてはいるのですね』

「それもわかんないけど。恐らく二度と会わない人間と亡くなった人間の違いってほとんどないじゃない」

 またきららはしばらく黙って、くるくる画面の中で回る。

『確率的には違います。生きている人間同士なら、外国にいても可能性はゼロではない。ましてやこの偶然が意図的なものであるならば』

「俺の中では同じなんだ。だいぶ前にしんだじいちゃんがひょいっと現れないかなって思うとする、だけど俺の見ている生きている世界には現れない。それと同じだよ、自分が認識できないならいないも同然なんだよ、あくまで俺の世界ではね」

 そうやって、呼ばない人間を目の前から排除して狭い狭い世界の安寧を築いてきた。なのにどこかで期待している自分がいる、君だけは違うのかもしれないなんて淡い幻想を大事に胸に抱いている。会いたいけれど会いたくはない。知りたいけれど知りたくもない。これ以上何かに幻滅したくない。

「ということなので、このピアスから探るのは難しそう。とりあえず、石の解析データは先に送る。実験で何か分かりそうでもないし……、ダメもとで現場をもう一度見てみるか」

『そういえばそれです! 前々から言っていますが、私に身体をください。今以上役にたてること間違いなしです。まさに今その時ではないですか』

 瀬戸口は珈琲を飲みきり、肩を回す。

「よし、きらら」

『はい!』

「仕事だ、業務モードオン」

 おおよそ機械のものでないような唸り声を出したあと、ぶちんと音がしてアイコンが赤へ変わった。



 瀬戸口は例の広場に面したカフェに来ていた。窓の外から、平穏な日だまりに包まれた広場が見える。テーブルには先程運ばれてきた料理と、ぬいぐるみがひとつ。何だかそういう記念撮影してる人間みたいで可笑しい。ぬいぐるみはきょろきょろと辺りを見渡し、自らの手をじっと見つめている。

「こんな短いふわふわした手ではあなたを守ることが困難です! ちっとも届かないじゃないですか、ちっとも」

 こちらに向けて手を精一杯伸ばす仕草をしながら、きららは憤慨して言った。

「まぁまぁ。足は? 前に動かしてごらんよ」

 しぶしぶだからか、そもそもそういう風にしか動けないのか、ぎこちない動きで一歩進む。

「その調子、左、右、左、右……ほら、届いたじゃん」

 瀬戸口はにっこり笑って、きららの小さい手にハイタッチするような身振りで触れた。

「……届くまでの効率が悪すぎます」

 足踏みしながら答える。

「歩けて嬉しいくせに」

 犬だか猫だか判別のつかないデフォルメ化されたデザインのぬいぐるみ。これは瀬戸口が子どもの時に持っていたお気に入りで、実家から運んだ荷物の中に見つけたものだった。

「ちゃんと簡単な手足神経と感覚、視覚音声機能つけたんだから」

「ありがとうございます。視覚、聴覚、正常です。臭覚もおおむね良好、触感……」

 きららが瀬戸口の手を両手でぽんぽんと触る。

「もふもふしていていまいち鈍いですが認識はできます」

「これで充分だろ、食べられないのは可哀想だけど」

 瀬戸口はそう言って、きららの常に半開きの口元を指でつついた。

「食べたい、というのは空腹ではなく、同じ食事を共有したいという文化的な思考のトレースです」

「はいはい、いただきます」

 瀬戸口は目の前の料理を食べながら、確かめるようにわたわた動いているぬいぐるみを不思議な気持ちで眺めた。


 食事を終え、広場の真ん中まで出る。広場は騒ぎがあったことを忘れたかのように穏やかだ。駆け回る子どもの声や日向ぼっこしている猫の瞑った目。魔法の布石はとうに撤去され、誰かの声に惑わされる人はもういない。


 瀬戸口は丸い空をぼんやり眺め、思案した。小鳥の可愛らしい鳴き声が頭上を横切っていく。

 ふと前方に見覚えのある姿を捉えて視線を外したが、きりりとした表情と背筋の伸びた姿勢のままペルラはこちらへ近づいてきた。

「こんにちは。現地調査かしら? あら、」

 珍しいことに、目の前まで来たペルラは少し気が抜けたように表情を崩して笑った。視線は瀬戸口の肩に乗っているきららに向いている。

「こいつはきららだよ」

 きららが肩の上で丁寧な挨拶をした。

「愛玩用なの?」

「まさか。頼もしい相棒だよ。君のわんこと同じだ」

 ペルラの傍らに控える犬は、全力で好奇心をきららに寄せていた。小さく動くぬいぐるみの挙動を追い、抑え込みに尻尾を振って鼻をすんすん鳴らしている。

「彼はウルリカよ。相棒なら人型を与えればいいのに。ちょうど来週末に本部でアウトレットするわよ、警察用の在庫が出るって毎回人気の」

「人型を売り出すのですか!?」

 食い込みに問うのできららは肩から落ちそうになっている。瀬戸口が手で支えてたしなめるように言う。

「落ちる落ちる、きらら食われるぞ。それに俺はやだよ、人の形なんて」

 ウルリカが長い舌を出して、じゃれたそうにはうはう言っている。

「ここぞとない機会じゃないですか! 行きましょうそして私に身体をください!」

「やだってば、これでも妥協したのに」

 ペルラはスマホを出してアウトレットのデータをきららに見せた。

「ちょっと勝手なことしないでくれ」

「もう覚えました!」

 きららは可動域を目一杯動かしながらはしゃいだ。

「なんというか、人間味のある相棒ね」

 瀬戸口は深いため息をついて、微笑んでいるペルラに向かい直る。

「そちらの進展はあったのか? 石のデータは見たんだろ」

 ペルラははっと思い出したように緩んだ表情を改めて、そうだった、と話を始めた。


 ちょうど瀬戸口のラボへ調査協力を依頼するところだったらしい。警察は、絵の騒動と広場の騒ぎは手口などから恐らく同一人物の仕業と推測している。あなたが見える。君が聞こえる。そして新たに、三つ目のざわめきがじわじわと侵食し始めている。それは誰もがアクセスするウェブ上で起こっていた。


 あるSNS上に流れる日本語の歌、それを耳にすると人は“言いたくなる”。これが三つ目。何を言おう、何を思っていた。


 当初は惑わされこそするものの、悪意のない仕掛けに思えた。歌に関して、それとも関係ない話。とにかく口が達者になるだけなら何も問題はない。発言や議論が盛んになって、そのSNSが賑やかになったぐらいだ。


 ところがある時、その歌が変容した。哀愁漂う歌声は切実に訴えるような響きへ。微々たる変異が、人々の言動を徐々に過激なものへと変えさせた。こんなことを言ってしまう、こんなことを思いたいわけじゃない。捻れた感情が痙攣を起こすように言葉を滑らせ出任せを言う。至るところで炎上し、ついにはそのSNSは一時休止するはめになった。そして飛び火した他のところで、またその歌が流れる。人々は争うために言葉を使う。一向に伝わらない本意にむしゃくしゃしてまた過激な言葉を放つ。その繰り返し。

『今度のは少し、たちが悪い』

 ペルラは言い悩んで、最後にそうこぼした。

 ノイズ。異物混入。

 瀬戸口はそれを感じていた。


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