二〇五号室のたかしくん

目箒

二〇五号室のたかしくん

 看護師の前田おにいさんは、今日から病棟を移りました。新しい病棟、新しい患者さん、新しい仲間たちとお仕事をします。

 前田おにいさんは背が高くて力持ちで、何より優しい人でしたから、すぐに患者さんからも人気者になりました。お兄ちゃんこれも運んでよぅ。そう言われると、前田おにいさんははりきって運んであげるのです。お兄ちゃんありがとう。無邪気に顔を綻ばせる患者さんの低い目線に合わせて、どういたしまして、と言ってにっこり笑って見せました。


「お兄ちゃん、こわいよう」

 夜中、不安を覚えた患者さんに呼ばれると、前田おにいさんはすっ飛んで行きます。

「大丈夫?」

「部屋の隅っこに、おばけがいるんだよぅ」

「おばけなんていないよ。ここは安全だからね」

「ほんとだよぅ。いるんだよぅ」

 眉を下げて、怯える患者さんの手をさすりながら、前田おにいさんは何度も言い聞かせます。

「そっか。いるんだね。そのおばけは悪いことをしてくるの?」

「しないけどいるんだよお。こわいんだよぉ」

 患者さんはめそめそと泣いてしまうのでした。


「あー、おばけね。まあ、この病棟、そういうところだから」

 前田おにいさんは、夜の当番が終わると、朝の当番でやってきた武藤おにいさんに夜の間にあったことを話しました。武藤おにいさんは、この病棟が長いベテランさんです。歳は近いけど、テキパキと仕事をこなす武藤おにいさんに、前田おにいさんは少し憧れています。

「どの患者さんもみんな言うのかな?」

「一人言うと広まりますからねー」

 武藤おにいさんは苦笑いします。

「ただ、昼はないですねそういうの。夜勤の時だけかな。ほら、この日とか」

 この病院のカルテは、パソコンで見られる電子カルテになっているので、武藤おにいさんは自分が夜の当番の時に書いた記録をすぐに見せてくれました。たしかに、幽霊が見えると言って怖がっている患者さんの記録です。

「話だけはあるけど、実害はないから、まあいないっしょ。確かに、無念の内に亡くなった患者さんはいらっしゃいますけど、未練があるなら病院にはないと思うし」

 確かにそうだな、と前田おにいさんは思いました。自分なら、病院にいる間にしたかったことをしに行くだろう、と思ったのです。

「前田さん、幽霊とか信じますか?」

「やだな、信じてないよ」

「なら良いんです。一緒になって見えちゃったりしたらキツいですからね」


 夜の当番があるたびに、幽霊が見える患者さんをなだめていると、前田おにいさんも、もしかして、ほんとうにいるんじゃないか、そんな気持ちになってしまいました。でも、武藤おにいさんの言葉を思い出して、いや、そんなことはない、と自分に言い聞かせます。

 ある夜、見回りをしていると、廊下の向こうから点滴台を押す、ガラガラという音が聞こえました。どの患者さんだろう。用がある時は、ナースコールを押してもらうことになっているのに。前田おにいさんは戸惑いました。でも、たまにこうやって出歩いてしまう患者さんもいるのです。お兄ちゃんを呼びつけるのは申し訳ないからと、自分の足でてくてく、やってきてしまいます。

「どうしたんですか?」

 前田おにいさんは、音のする方に行って声をかけました。青いパジャマを着た男の子が、困ったようにキョロキョロと辺りを見回しています。

「あっ、看護師さん」

 見たことのない子です。今日のお昼、前田おにいさんがいない間に入院してきたのかな。そう思って、おにいさんは目線を合わせて自己紹介しました。

「こんばんは。看護師の、ま・え・だ、です。お名前は?」

「たかし」

「たかしくん? どうしたのかな? お手洗い?」

「おばけがいっぱいいる」

 たかしくんは細い声で言いました。

「どんなおばけ?」

「ひょろ長くて怖いおばけ。みんな僕を見ると、脅かすように叫んで来るんだ」

 これは初耳です。前田おにいさんはびっくりして、病棟の談話室にたかしくんを連れて行きました。

「おばけは、たかしくんに何かしてくるのかな?」

「ううん。何もしてこない。でも、怖いんだ。出て行け、出て行けってずっと言ってくる。僕だって、出て行けるなら出て行きたいんだよ」

 それは当然です。何しろ、入院なんて誰もしたくないのです。たかしくんの言うことも、もっともなのでした。前田おにいさんは優しく頷いて、たかしくんの肩をぽんぽんと叩きます。

「そうかぁ。怖かったね。お部屋変わる?」

「ううん。看護師さんとお話ししたら、怖くなくなってきた。ありがとう」

「怖くなったら、いつでもきて良いからね」

 たかしくんは、少しリラックスした顔になって帰って行きました。前田おにいさんは、ナースステーションから手を振ってそれを見送るのでした。


 この後も、前田おにいさんは患者さんに幽霊が出たと呼ばれました。たかしくんと同じ二〇五号室の患者さんです。たかしくんが寝ているらしいベッドは静かなもので、本当に安心してくれたのだな、と前田おにいさんは嬉しくなりました。

「あそこにいるんだよぉ」

「しーっ。あっちでは今たかしくんが寝てるからね。起こしちゃダメだよ」


 次の朝。お昼の当番で武藤おにいさんがやって来ました。

「前田さんおはようございます」

「武藤さんおはようございます」

 二人は、他の看護師さんも交えて、夜の間に何があったのか、前の日のお昼に頼まれていたことはこういう風に終わった、ということを報告しました。申し送りと言います。

「ああ、そうそう。それから、二〇五号室のたかしくんが幽霊見たって夜中に起きてきて……」

「たかしくん?」

 武藤お兄さんは怪訝そうな顔をしました。

「昨日の日勤で入院したと思ってたけど」

 そこで、前田お兄さんは、カルテでたかしくんの情報を確認していないことに気付きました。パソコンの前に立って、二〇五号室に入院している患者さんの情報を呼び出しますが……。

「あれ?」

 たかしなんて名前の患者さんはどこにもいませんでした。それどころか、この四人部屋に入院している患者さんの年齢は、七十三歳、七十八歳、八十二歳、九十歳です。小学生くらいの男の子なんて、いません。

 じゃあ、僕が昨日会った男の子は……?

「前田さん、何言ってんですか?」

 武藤おにいさんは引きつったような顔で笑いました。

「ここ、認知症病棟ですよ」

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