第29話 Ending3 ~荒夜と少女テティス~

 ルミとテレーズの会話から数日後、テティスと荒夜は空港にいた。

 湊から「良かったらミライオンでアメリカまで飛ぼうか」と提案があったが、荒夜が丁重に断っておいた。

 領空侵犯などに引っかかってしまったら、溜まったものではない。

 

 そして今現在、荒夜の目の前には色んな土産をこれでもかと持たされ、どこかおどおどしているテティスがいた。

「…………どうした。お前それ」

 某有名ゲームに出てくる小太りの武器商人を彷彿とさせる量の荷物に、荒夜は目を白黒させる。

「あの、MM地区の皆んなが、これも持ってけあれも持ってけって言って……沢山になっちゃったの」

 だからと言って限度があるだろう、田舎のジジババかと喉元までツッコミが出てきそうになるが、荒夜はぐっと堪える。はち切れんばかりに膨らんだリュックサックを代わりに背負うと、荒夜はロビーの一角を指さした。

「じゃあ取り敢えず、あっちで荷物を宅配しよう」

「宅配? それ、なぁに?」

「テティスの代わりに別の人がUGNまで荷物を運んでくれるシステムだ。便利だぞ~」

「そんな事が出来るんだ。すごい!」

「そうだぞ~他の人使っていいんだぞ~」

「じゃあ使うっ」

「よし、どんどん使え」

 語弊のある言い方だが、間違ってはいないと荒夜は自分に言い聞かせた。


 大量の荷物をちゃっかりと着払いにしておいた荒夜は、手荷物は小さいポシェット一つと背中の袋に入った刀一本と、かなり身軽になったテティスと改めて向き合う。

「と、まァ……こんな形になったけど、大丈夫か?」

 ルミの許へ行くと決めたテティスに、荒夜は改めて優しく問いかける。

「……うん」

 そう頷くが、テティスの表情はどこか晴れなかった。

きっと内心は不安と緊張でいっぱいなのだろう。だが、彼女自身が自分で考えて決めた事だ。それにとやかく言及するのは、野暮というものだった。

「……あ、そうだ」

 荒夜は思い出したかのように手をポンと叩くと、ズボンのポケットから何かを取り出す。

「これ、預かってたんだ」

 荒夜が取り出したのはテティスの唯一の持ち物――赤い手帳だった

「あ! それ、私の手帳!」

「そうだろ? ついでに俺のサインも記念にしておくよ」

 荒夜がにっかりと悪戯っぽく笑うと、緊張がほぐれたのかクスクスとテティスが笑い出す。

「フフッ、サイン?」

「あぁ。特別だぜ?」

 そう言いながら、荒夜は手帳の最後のページに日本の連絡先とアメリカの実家の連絡先を走り書きした。

「辛くなったら、後ろのページに書いてある番号に電話くれ」

「電話……これで、いつでも荒夜と話せるの?」

「あぁ話せるよ」

 どこかワクワクした表情のテティスに、荒夜はやんわりと笑んでみせた。

 電話の使い方を覚えたばかりのテティスはポシェットからスマホを取り出すと、慣れた手つきで画面をスワイプしていった。

「お前、呑み込み早いな!」

 その異常なまでの呑み込みの早さに荒夜は驚嘆する。上手く使いこなせない大人よりも、好奇心でアレコレと弄った挙句、大人よりもスマホを使いこなしてしまう子どもを何故か思い出した荒夜だった。

「…………荒夜にかからないよ? 今かけたんだけど」

「ん?」

 さっきから呼び出し音がかかっているにも拘わらず、荒夜の身体からはマナー音すら聞こえなかった。

 荒夜は自分で自分の身体を隅々まで叩き、隈なく身体チェックをする。

「……あ!」


 そういえば、と言わんばかりの声を上げる荒夜。横浜の自宅に置き去りにされていた荒夜のスマホは、テーブルの上で虚しく振動していた。


「悪ィ。家に忘れちまった」

「え~」

 テティスが落胆していると、何と電話がつながった。

『もしもし』

 電話に出たのは、一人の少女だった。

「もしもし」

『あなた、誰?』

「え。あなたこそ誰? あたし、テティスだけど……」

 電話に出た相手とテティスがお互いに混乱し合っている様子に、荒夜が慌ててテティスから電話を取った。

「よォ、アリー! 留守番させちまって悪ィな」

『荒夜! 今のがテティスって子?』

「あぁそうさ。お前と同じ、もう一人のビーイングのお姫様さ」

 電話に出たのは、荒夜と同居しているレネゲイドビーイングの少女――アリーだった。

『そっか。その子によろしくね』

「あぁ。今から世界中を股にかける大冒険に出るんだってよ」

 レネゲイド災害緊急対応班をそんな風に言ってしまうとルミとアイシェが怒りそうだが、とテティスは苦笑する。

『え~、いいなぁ! 荒夜、私も連れてってよ!』

「予算がねェ! テンペストに言え!」

 あからさまに不満を述べる声が電話から聞こえるが、楽しそうな様子はテティスにも伝わった。湊とかれんを彷彿とさせる二人の関係を眺めながら、テティスは何故か胸の奥がチクリとした。


「……だ、そうだ。楽しんでおいでだってよ」

「うん……そうする」

 電話を切った荒夜がテティスにスマホを返すと、彼女は何故かさっきよりしんみりとした表情になってしまっていた。

 荒夜は軽く息をつくと、ロビーの巨大な窓を見ながらテティスの頭を撫でる。

「なァ、ティー。人生はな、もっと楽しんでいいんだぜ?」

 荒夜はテティスの事を “ティー”と短縮して呼ぶようになっていた。

「やりたい事とかやるべき事を探すのもいいけどよ、まずは自分が楽しくて楽なのが一番だ」

「うん……段々、前よりも分かる気がする」

 だが、それを言える居場所が何よりも大切なのを荒夜は知っている。今まで道具のようにしか扱われてこなかった少女には、やりたい事すら見つけるのも今は難しいかもしれないが、きっと彼らなら、テティスをフォローしてくれる筈だ。

「やっと分かったか。ま、あっちの兄ちゃんとアイシェちゃんにもよろしく頼むわ」


 だが荒夜の脳裏には、マスターレギオンが口にしたルミの“経歴”がちらついていた。

 まさか彼が元中東武装勢力“竜血樹”のナンバー2だったとは、思いもよらなかった。あの組織は壊滅したと湊から聞いているが、おそらくルミはその時に“大事な人”を亡くしたのだろう。

――戦争、か。

 部下を喪ったマスターレギオンがジャームと化したのも、最愛の人を亡くしルミの人生を大いに狂わせたのも、荒夜自身がオーヴァード化したのも、全て中東での戦争が原因だ。

――何の因果だったんだろうな……。

 荒夜がルミとマスターレギオンに思いを馳せていると、頭を撫でられていたテティスが不思議そうに荒夜を見上げていた。

「……荒夜?」

「あぁ、悪ィ」

 無意識にテティスのさらさらした髪を撫で繰り回していた荒夜はパッと頭から手を離す。


「じゃあ、行くから……」

 そろそろ搭乗時刻だ。テティスとの別れの時が、近づいていた。

 テティスはどこか名残惜しそうに荒夜から離れるが、突然荒夜が目の前で手を翳した。

 荒夜は何もない所から一個の飴玉を出し、自分の掌に乗せる。それを、テティスは目をぱちくりさせながら見ていた。

「こういう時は何て言うんだっけ?」

 荒夜が悪戯っぽく笑う。それはMM地区に来てから荒夜にも、輝生にも、湊にも教えてもらった合言葉だった。

「ト、トリック……」

 少女がぎこちなく教えてくれた合言葉を口にする。

「オア?」

 荒夜も微笑みながらそれに続く。


「トリート!」

 最後は一緒に。声を揃えて。


 合言葉が完成すると、荒夜はにっこりと笑って飴玉を小さい掌に乗せた。

 飴玉を受け取った少女は途端、今までの思い出が一気に溢れ出す。

 山下公園で食べたクレープの事。ルミと沢山話した事。輝生と一緒にセントラルスカイを駆け回ってお菓子を貰った事。それを優しく受け止めてくれた湊の事。美味しいご飯を食べながら話を聞いてくれたかれんの事。


 やっぱり、寂しかった。飴を握りしめた少女はふるふると震えると、荒夜の腰に思い切り抱きついた。


「……辛くなったら、いつでも帰って来い」

 涙で濡れた顔を埋めながら、少女は何度も頷いた。

「また会おうね……荒夜」

「あぁ、また会おうな」

 腰に抱きついたテティスの頭上から優しい声が降り注ぐ。

「ぜったいだよ? ぜったいに、ぜったいだよ?」

 だがその約束には、荒夜の顔に一瞬だけ影が落ちる。

 彼女は軍人だ。“また生きて会おう”なんて約束が出来るほど、荒夜は無責任ではなかった。


「…………あぁ、絶対会おうな」

 だがここは、優しい嘘をついた。少女の為にも、つかざるを得なかった。


 名残惜しいのは荒夜も同じだった。だが、荒夜はテティスの細い肩を持ち、ゆっくりと引き離した。

「さ、行ってこい。七つの海を全部見てこい。きっと色んな色があって綺麗だぞ?」

「……うん。行ってきます」

 ぐしぐしと涙を拭くと、ようやくテティスに笑顔が戻った。それを見た荒夜は安心したように微笑みながら小さく手を振った。

「Have a nice journey(良い人生を)」

 少女のこれからの人生に願いを込めて、荒夜はその言葉を口にした。


 少女は振り返る事なく搭乗ゲートに入っていく。その小さな、だが最初に会った時よりもどこか大きな背中を荒夜はずっと見守っていた。

 搭乗ゲートに入っていく少女は穏やかな陽の光に包まれ、その先の暖かな未来を暗示しているかのようだった。



 かくして、未来を願う一人の少女は笑顔で歩み始めた。そこには未来を願わなかった“エレウシスの秘儀”たる少女は、もう何処にもいないのだ。

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