第24話 climax battle 2 ~少女の願い~

 名も無きレネゲイドビーイングの少女が荒夜たちと過ごした横浜近郊MM地区支部。そこで彼女は、静かに荒夜たちを待っていた。

 少女の首元を飾るレースのチョーカーと思われていた紋様が、全身に広がっている。それが、“エレウシスの秘儀”の侵蝕を示しているようだった。

 荒夜たちを乗せたミナトミライオンは、怪物たちが蔓延る屋上の中央に降り立つ。


「ありがとう……来てくれて」

 湊たちに気が付き、少女がゆっくりとその眼を開ける。その眼はいつもの透き通るような青ではなく、暗い深海のような青に無機質な銀の光が反射していた。

――そう、背後に鎮座している“エレウシスの怪物”と同じ眼をしていた。

「あと少しで、私は“エレウシスの秘儀”というシステムに呑み込まれてしまう。でも、今ならまだ間に合う。私という不純物は、今だけは儀式の中心でもあるから」

 少女がそっとミライオンに腕を伸ばす。

「私は、いるだけでたくさんの人を傷つけてしまう。そして、誰かの……皆んなの大切な人の命を奪ったり、与えたりしてしまう。それは、許されない事でしょう? いけない事でしょう?」

 生きている事だけで、存在している事だけで罪――それを自覚してしまった少女の決意は堅かった。

「荒夜……世界に綺麗なものがあるって、教えてくれてありがとう。ルミ……私の力の意味、私のやりたい事、教えてくれてありがとう。湊……私にも、居場所があるって教えてくれてありがとう」

だが、手首まで黒い紋様で染まった彼女の腕は微かに震えていた。

「貰えた居場所を……私も、皆んなを守りたいって思ったの。ルミ、あなたのやるべき事を思い出して」

 苦しそうに息をしながら、少女は荒夜たちに呼びかける。

「たくさん話してくれてありがとう。私を、暗い場所から助けてくれてありがとう。ずっと痛かった。ずっと独りだった。それが、当たり前だと思ってた。でも……そうじゃないって事を、皆んなが教えてくれた。皆んなに出会えて、この世界がこんなに綺麗だって気づく事ができたの」

 自分がネモフィラだったら良かった、と少女は目を伏せる。

――ただ、綺麗なものとして在れたなら、どれだけ良かっただろう。

 一瞬だけ閉じた瞼の裏側には、荒夜が話してくれた青い花畑が広がっていた。

「皆んなにお願いがあるの」

 少女は彼らに目を合わせぬまま、生まれて初めての願いを口にする。


「――私を壊して」


 少女の願いは“自分自身の消滅”だった。それは、この世界の事を思っての決断だった。

「消えるなら、いなくなるなら、あなたたちの手がいい。そしたら、私にぴったりの終わりだって……そう思えるから」

 だが、荒夜はその“願い”に我慢がならなかった。ギリ、と歯を食いしばる音が隣のルミにまで聞こえる。

「馬鹿言うなッ!」

 張り上げた声に少女はハッと顔を上げ、やっと荒夜たちと視線を合わせる。

「綺麗なものがたくさんある⁉ そんなモン、もっともっともっともっとあるに決まってるだろ!」

 荒夜は怒っていた。腹立たしかった。決して少女に対してではない。彼女を今まで虐げてきた過去の“権力者”に対して、怒っていた。

「死ぬなら、綺麗なものも汚いものも全部見てから死ね! 自分の終わりを勝手に自分で見つけるな!」

 もっと自分の為に声を上げてくれ。もっと自分の為に傲慢になってくれ。他人を労わるように、その優しさを――もっと自分自身に向けてくれ。荒夜は、嘆願するように声を張り上げた。

「……そうだね。それが“本当に”君のやりたい事なのかい?」

 ルミはいつもの穏やかな口調で淡々と話す。

「君はまだ知らなすぎるんだ。もっとたくさんの事を知って、もっともっと考えるべきだ」

 もっと彼女に世界を見て欲しいと心の底から思った。自分が生まれ落ちた“世界”はどのようなものかを、知って欲しいと思った。

「まだやりたい事をちゃんと見つけられてない僕が、こんな事を言うのも烏滸がましいけど……でも言わせてもらうよ」

 ”竜血樹”の一員だった彼には、それを言う責務があった。

「僕も見つけてみせる。だから君も、本当に欲しいものを……本当にやりたい事を探すんだ」

 彼女の願望を引き出したからこそ、そして――彼女をこの世に“生み出した”からこそ、ルミにはこの世界を知らぬまま少女に消えてもらいたくなかった。

「……だ、そうだ」

 荒夜とは対照的に、湊はその口元に笑みを浮かべていた。他人を笑う笑みではない。人を安心させる、暖かな笑みだった。

「相も変わらず、君の居場所はここにはある。どれだけ多くの人々が、君の無事を願っているだろう。君と一緒に笑ったり、お菓子を食べたMM地区の皆んなも君の事を待っている」

 その言葉に、同じくコックピットに搭乗していた輝生とMM地区支部員も頷く。

 少女の脳裏に輝生やMM地区支部員、そしてかれんの顔が過る。

「――帰ってくるんだ」

 ミナトミライオンは、その鋼の手を小さな少女に伸ばした。

 厳しい声も、穏やかな声も、暖かい声も受け取った少女は感極まった表情を見せ、ミライオンの手を取ろうとする。

 だがそれは一瞬だった。少女は自ら手を引き、顔を伏せる。

少女の視界がゆらりと滲み、滴と共に溶け落ちていく。その頬には、一筋の涙が伝っていた。

 ランドマークタワーの屋上では、何処までも青いワーディングが球状に広がっている。その何もない筈の空間からボコボコと気泡が立ち、何かが生まれ出でようとしていた。

「私は……」

 少女は震える声を絞り出す。

「私は、ただそこに在るだけで人々に災いなす遺産、“エレウシスの秘儀”!」

 顔を上げた少女は、決意を秘めた表情で荒夜たちに言い放った。

「人類の守護者たちよ、昨日と同じ平穏な日々を望むなら、この災厄を倒してみせなさい! それが……それが――私の願いっ!」

 少女が叫ぶと、少女の周りに浮かんだ無数の気泡から、四肢を持つ馬面の怪物たちが現れる。

 そして彼女の願いと共に、少女は背後に控えていた一際巨大な怪物“エレウシスの秘儀”に飲み込まれた。


 だが荒夜たちは知っていた。彼女の願いは全く別のものであると。

彼女は生まれて初めて嘘をついたのだ。荒夜たちと、MM地区の全てを守るために――。

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