第22話 climax phase 7 ~蛍幻燈禍仇花~

 ミナトミライオンがランドマークタワーに突入する5分ほど前。ルミたちマルコ班は日本丸メモリアルパークに集合していた。

 ルミの背後には“海”のワーディングが張られており、そこが人間の突入できるギリギリの境界線だった。

「これは過去に類を見ない危険な作戦だ。いや、作戦ではないな……僕のワガママと言ってもいい。腕に自信のないものは進んでセーフティハウスに戻って待機していてくれ」

 だがルミの忠告に、その場にいる精鋭たちは誰も引こうとはしなかった。

「そうか……皆、ありがとう」

 ルミは隊員たちに深く頭を下げると顔を上げ、毅然とした態度で言い放つ。


「では、予定通り作戦を開始する。僕とアイシェの二人は、外から怪物たちを陽動及び殲滅する。その隙にAチームはタワー内に潜入し電力を回復。続いてBチームが突入、タワーに残された一般人及びエージェントの救助に尽力してくれ」

 ルミの凛とした声に、隊員たちは沈黙する。

「我々“レネゲイド災害緊急対応班”の基本理念は“災害による被害の軽減”だ。ただし、今回は事故後の処理とはワケが違う。ジャームや怪物の遭遇も考えられる。少しでも危険と自己判断したら即時撤退、及び安全の確保に努めてくれ。それを念頭に置き、今回の任務にあたってほしい」

 もうこれ以上の被害は出させない、というルミの強い意志を感じた隊員たちは、自然と背筋が伸びた。

「説明は以上だ。では、作戦を開始する」

「了解!」

 その毅然とした横顔を、アイシェはじっと見つめる。


――私は、この人の許にいて本当に良かった……。


 目の前で無残にも人命が失われていった“あの時”とは違う。チェコでの悲劇を思い出したアイシェは胸から熱いものが込み上げる。

「アイシェ」

 ルミに声をかけられたアイシェは顔を上げた。

「今回も、よろしく頼む」

「……はい。こちらこそ、隊長」

 踵を返し翻った唐紅の外套の後に、アイシェが続く。躊躇せずに“海”の中に飛び込んだルミは軽々と跳躍し、帆船のマストに着地した。


 目の前では“エレウシスの怪物”が悠然と宙を泳いでいた。懐から手燭を取り出したルミは、息を吹きかけ火を灯す。

「“ジャバウォック”、か」

 先日の会議ではこの怪物を“ジャバウォック”と仮定していた。それを思い出しながら、ルミは躊躇うことなく“エレウシスの怪物”に光の矢を引き絞った。

「“夕火あぶりの刻、粘滑ねばらかなるトーヴ。遥場はるばにありて、回儀まわりふるまい――錐穿きりうがつ”」

 暗澹とした眼に光の矢が突き刺さる。嵐の音にも似た悲鳴を上げながら怪物が暴れ回るが、地上からアイシェが放った雷撃に顎を撃ち抜かれ、絶命する。

「“全て弱ぼらしきはボロゴーヴ、かくて郷遠さととおしラースのうずめき叫ばん”」

 一斉に怪物たちに敵意を向けられたルミは、黒焦げになった怪物を踏み台にして高く跳ぶ。

「“我が息子よ、ジャバウォックに用心あれ。喰らいつくあぎと、引き掴む鈎爪”」

 周囲に散った蛍の燐光が、襲い来る怪物たちを迎撃する。暗い深海とは無縁の強い光に目を焼かれ、怪物たちは呻き声を上げながら動きを止めた。

 その隙に災害緊急対応班がタワー内に突入する。それに気づいた怪物たちは身体を反転させ襲い掛かろうとするが、隊員たちがタワー内に突入した途端、入り口は光の壁によって封鎖されてしまった。

 突然目の前に現れた光の壁に戸惑う怪物たち。その頭をアイシェがハンドガンで撃ち抜いた。

「“ジャブジャブ鳥にも心配るべし、そしてゆめ燻り狂えるバンダースナッチの傍に寄るべからず”」

 ルイス・キャロルの“ジャバウォックの詩”を唱えながらも、ルミは攻撃の手を緩めない。

「“ヴォーパルの剣ぞ手に取りて、尾揃おそろしき物探すこと永きに渉れり。憩う傍らにあるはタムタムの樹、物想いに耽りて足を休めぬ”」

 着地したルミの背後で水面が揺らぐ。直後、潜んでいた怪物が大きく跳躍し、ルミを頭から呑み込もうとがばりと口を開いた。

 アイシェが咄嗟に銃を構えるが、ルミは振り返ることなく手燭を払う。瞬間、怪物の身体は綺麗に分断されていた。

 自身の身に何が起きたのかも分からなかった怪物は悲鳴すら上げず、目を見開いたまま水飛沫を上げて崩れ落ちた。

「……数が多すぎる。埒が明かないね」

 次々と集まってくる怪物たちに、ルミは僅かに上がった息を整える。


「仕方ない。あのテンペスト兵を見倣ってみようか」

 そう呟くとルミはタワーに向かって駆けて行き、ふわりと跳躍した。襲い掛かってくる怪物たちを踏み台にしながらもひらりと躱していき、ルミは上を目指していく。

 蛍火を纏い、怪物たちを迎撃しながら宙に舞い上がるその姿は、紅と緑の蝶が飛んでいるようにも見えた。

「……“かくてぼうなる想いに立ち止まりしその折、両の眼を炯々けいけいと燃やしたるジャバウォック”」

 ルミがタワーの窓の縁に降り立つと、宙に浮いた怪物たちが銀の目をぎらつかせながらルミを取り囲んでいた。

 ルミは持っていた手燭にふっと息をかけると灯りが消え、再びランドマークタワー一帯が闇に包まれる。それを好機とみた怪物たちは口を開け、ルミに一斉に襲い掛かった。

 しかしそれはルミの罠だった。手燭の灯が消えたと同時に、怪物たちの背後で一斉に灯が燈る。

 先ほどの燐光とは桁違いの強烈な光に、怪物たちは悲鳴を上げ逃げ惑う。だが、ルミの生み出した光は容赦なく怪物たちの身体を音も無く呑み込んでいった。

「“そよそよとタルジイの森移ろい抜けて、めきずりつつもそこに迫り来たらん”」

 日本丸メモリアルパークとさくら通り周辺の怪物たちを一掃し、ルミが地面に降り立つ。

「――隊長!」

 アイシェの鋭い声がルミの耳に届く。直後、真上から一体の怪物が降ってきた。

「ありがとう、アイシェ。助かったよ」

 身を翻しながらルミがアイシェの隣に立つ。二人の前には、先ほどまでとは一回りも大きな怪物が立ちはだかっていた。

「これは……骨が折れそうだね」

 怒りに狂った両の目が二人を睨み据える。直後、怪物は咆哮しながら突進してきた。

 潮の匂いが鼻につく。ルミとアイシェは咄嗟に真横に飛び退り、態勢を立て直す。

 突進を躱された怪物はずりずりと方向を変え、標的をルミに絞る。怪物と視線が遭ったルミは、手燭から生み出した光の刀を構えた。

 怪物は丸太ほどの太さもある鰭のような腕を使い、這うように地面を駆けてきた。

 その予想以上の速さにルミは避けるか、攻撃を受けるか一瞬躊躇してしまう。


 怪物がルミの腕に食らいつこうと大きく口を開けた瞬間、その顔面が大きくひしゃげた。

遠くに弾き飛ばされた怪物と入れ替わるように背後から姿を現したのは、一体の鋼の巨人だった。

『ルミ! 大丈夫か!』

 巨人の中から湊の声が聞こえる。ジャックドハンマーで怪物を撃退した巨人――ミライオンの登場に、ルミとアイシェは呆気に取られていた。

「隊長、あれは……あれは?」

『……⁉ どうした二人とも! 肩を落として!』

『いや、俺はあの二人の気持ちがちっとは分かるぞ』

 湊の後に別の声が拡声器から聞こえる。おそらく荒夜のものだろう。

「まぁ、来るとは言ってたけど……早かったな」

「せっかくの隊長の覚悟が台無しになってしまいましたね」

 肩を落とすルミの隣でアイシェがクスっと笑う。

「けれど、今私たちが怪物たちに食い止められていた事を考えれば、かえって有難いでしょうか」

 そう言いながらアイシェは背後から忍び寄ってきた怪物の攻撃を避け、ダガーで止めを刺す。その鮮やかな手つきに荒夜たちは目を丸くした。

『アイシェちゃん、戦えるのか!』

「えぇ。私も、オーヴァードですから」

 防弾ベストを身に纏ったアイシェは、軽く言葉を交わしながらダガーの血糊を払う。

「すまない。ワガママを言って、君たちに迷惑をかけてまでここに来たのに……最後まで不甲斐ない隊長だな、僕は」

 すると、待機していた隊員から明るい声が聞こえてきた。

「何言ってるんですか。俺たちは、その隊長の覚悟と決断についてきているんです。その結果、予想外の事が起ころうとも、そんなのは気にする事じゃない」

「皆んな、あなたの決断についてきて行ってるんだ」

 応戦していた隊員が、肩を落としていたルミに声をかける。

「そうです。何も恥じる事はないです、ルミ」

「……僕が隊長でいられるのは、君たちのお蔭だよ。本当に」

 ルミが微笑みながら隊員たちに頭を下げる。いつでも感謝と謙虚さを忘れないその姿勢から、ルミを慕う隊員は少なくなかった。

『行くぞ! あの子を助けに!』

 ミライオンがルミとアイシェに手を伸ばす。するとミライオンのコックピットが大きく開き、中から湊たちが姿を現した。

「まさかこんな乱暴な方法があったとは……」

「なー」

 コックピットに乗り込んだルミがため息をつきながら荒夜の隣に腰掛ける。

 ミライオンが音を立てながら変形し、空へと駆ける準備をする。



 そのミライオンの背後で、ルミの倒した怪物たちの残骸は水の塊へと姿を変えていた。スライムのように表面張力を保っていた水がばしゃりと弾け散ると、重力とは反してランドマークタワーを這うように空を駆け昇っていく。

 水が行き着いた先はタワーの屋上だった。その中央に鎮座していた一際巨大な怪物が水を呑み込むと、その鎌首を擡げた。


――荒夜……湊……ルミ?


 怪物の懐で静かに眠っていた少女の目が微かに開く。目の前は暗闇に閉ざされていた筈なのに、何故か視界の隅にきらりと輝くものを見つけた気がした。

 その眼は透き通った青ではなく、怪物たちと同じ水銀のような銀色に染まっていた。

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