第19話 climax phase 4 ~side 高島湊~

「エレウシスについての有力な情報? それは確かな情報なのか」

 一方、赤レンガ倉庫の一棟を借りて作戦会議をしていた湊たちの前には、一人の少女が来訪していた。

「はい」


 背中まである青い長髪に星のバレッタを飾った学生服姿の少女の名は、鴨路草(つきくさ)るり。通称“頻降る蒼(ラズワルド・グレース)”――MM地区の支部に所属しているUGNチルドレンだった。


「私たちが調べたところ、“エレウシスの秘儀”の能力は“海”のようなワーディングと、その中に現れる“エレウシスの怪物”の形で展開されています」

 湊達の前に現れた少女るりは、湊や多くのMM地区支部のエージェントにも臆さずに、前に進み出て自前の資料を広げる。そこには、夜空を泳いでいたあの巨大な怪物の姿が映っていた。

「この怪物たちに食べられると、人々は生命力を奪われてしまいます。また、あまりに大きな規模でこの能力を使った場合、仮の人格でしかないあのレネゲイドビーイングの女の子は、本来の遺産の能力に呑み込まれ、制御も出来なってしまうんです」

 るりの情報に聞き入る支部員たちだったが、輝生はハッと気が付いた。

「きみは……あの子を、知ってるんスか?」

 その何気ない質問に、るりはにこりと微笑んだ。

「この前、大きな女の人と一緒に山下公園を歩いてた銀髪の女の子でしょ? 私もネモフィラの花が好きで親近感が湧いちゃって……あの子の事を、つい目で追ってたの」

 とても嬉しそうに微笑むるりは、嘘をついているようには見えなかった。

「あの子は恐らく、戦いで傷ついた貴方たちを癒す為に、力を使い過ぎてしまったんです。とても……優しい子なんですね」

 憂いを秘めた青い瞳が微かに揺れる。

「じゃあつまりこのままじゃ……自分の能力そのものに呑み込まれて、人格すら失っちゃうんスか!?」

 輝生の言葉にるりは重々し気に頷いた。

「それと、“エレウシスの秘儀”にまつわる過去の文献を解読してみたんです。それによると……」

 るりは再び持参した資料をテーブルに広げる。それは古代ギリシャの地図と、関東地方の地図だった。

「過去に発動した“海”のワーディングは、その面積約1万7000平方キロメートル……現ギリシャの国土の約8分の一以上を呑み込みました。これは、関東平野を丸ごと覆いつくす程の大きさです」

「何だと⁉」

 その規格外のスケールに湊たちは目を見開く。

「おそらくこの“エレウシスの怪物”たちは、関東圏の生命を喰らい尽くせば眠りに付くと予測されます」


 ですが、とるりは次に数値がびっしり書かれた資料を取り出した。

「ですが、あまりに“遅い”んです!」

「遅い……?」

 眉間に皺を寄せた湊が尋ね返す。るりが出した資料には、日にちと時間が細かく記されていた。

「現在の“海”は、文献の記録よりも遥かに膨張のスピードが遅いんです。それに、取り込まれた人々のオーヴァード化やジャーム化も、今のところ一切報告が来ていないんです。どの支部にも!」

 るりの力強い言葉に「そういえば」「言われてみれば」と周りの支部員たちも騒めき出す。

「つまりただ……呑み込まれてる、だけッスか?」

 輝生の質問にるりが強く頷く。

「あの子の意思が止めているとしか思えないんです。あの子が、怪物たちに必死に抵抗しているんです」

 るりは一枚の写真を取り出した。

 それはランドマークタワーの屋上の写真だったが、サーモグラフィ画像のように赤や青でレネゲイドの濃度を示していた。

「私の仲間が拡大して撮ってくれたんですが、皆さんココに注目して下さい」

 屋上の中央に鎮座している赤く染まった巨大な物体が、おそらく“エレウシスの怪物”だろう。だが、その中心だけ色が明らかに薄かった。

「このオレンジの部分……おそらくあの子なんですが、ジャーム化を示す“赤”にはなってないんです。あの子はまだ、ジャームにもならずに頑張っているんです。この街を……守ってくれているんです」


 まだ救えるかもしれない――るりが指し示した一縷の希望に、周囲から再びどよめきが起きる。


「あの子が、守ってくれてるんスよ! 皆んなを!」

「まだ……あの子の意思が消えたワケでもない。そして俺たちはまだ、あの子に守られてるってワケだ」

 るりの話を聞いていた湊は暫く考え込むと立ち上がり、コートを羽織り車のキーを手に取った。

「ちょっと行ってくる」

「ど、何処へ行くッスか?」

 輝生が尋ねると、入り口の手前で湊が立ち止まる。

「今回の件……俺達だけでは解決できない。協力者が必要だ」

 湊の言葉に輝生はハッと息を呑んだ。

「そうッスね……そうッスよ!」

 グッと拳を握る輝生に、振り向いた湊が自信に満ちたいつもの笑みを見せる。

「そのためには、ルミの奴を何とかして説得するしかない……!」

 今回の交渉相手は、海外の取引先より遥かに手強いな、と湊は小さくため息を漏らす。

「奴が今の情報を聞いて、まだそれでも奴自身の使命の為に動くっていうんだったら……その時は、また考えるさ」

 しかし湊はそれでも前を向くのを諦めなかった。この街を守るために。あの少女を、守るために。


 湊が出かけようとしたその時、湊の背中にるりが声をかけた。

「あの、レネゲイド災害緊急対応班さんの方々の所に行くんですよね。それなら、あの人たちは今“外交官の家”にいらっしゃるそうですよ」

 呼び止められた湊は、目を丸くしながらるりの方を振り返る。

「驚いたな。そんな事まで知っていたとは」

「ここに来る途中で、仲間が教えてくれたんです」

 と、るりはポケットにしまっていたスマホを取り出した。

「君にも頼もしい仲間がいるんだな、鴨路草くん。良かったら、途中までだが送って行こうか」

 しかし、湊の誘いにるりは静かに首を振った。

「大丈夫。私には、一緒に歩いてくれる仲間がいるもの」

 歩き出したるりは湊の横を通り過ぎると、倉庫のドアに手をかける。

「私“たち”は少しでも被害を食い止めるためにまた街に向かいます。健闘を祈ります、高島さん」

 ドアの向こうには2人の少年少女がるりを待っていた。湊の返事を待たずに、るりはランドマークタワー方面へと駆けて行った。

「あれが噂に名高きUGNチルドレン“頻降る蒼”か……輝生はここで待っててくれ。荒夜が帰ってくるかもしれない」

「分かったッス。ここは俺に任せるッス、兄ちゃん」

 胸を張る輝生に湊は頷く。

「今の情報を聞けば、荒夜の悩みも消えるかもしれないからな」

 それを聞き、輝生はへへっと小さく笑った。

「兄ちゃんはいつも、皆んなの事を考えてるッスね」

「これでも俺は、MM地区の支部長だからな」

 その自信に満ちた湊の言葉に、輝生はにっと笑ってみせる。

「そして、あの子も……俺たちの仲間だ。そうだろう!」

 その声に輝生はこくりと頷く。

「その通りッス! あの子は……あの子は、俺たちの仲間ッス!」

 輝生の言葉に湊が微笑むと、輝生たちに背を向ける。

「気を付けて! 兄ちゃん」

「あぁ。行ってくる」

 そう言うと、湊は闇に包まれた横浜の街へと駆けて行った。

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