第16話 climax phase1 ~訣別~

 荒夜が目を覚ますと、そこはランドマークタワーの屋上ではなかった。

「あってててて……」

 荒夜だけではない。開けた夜の広場には、レネゲイド災害緊急対応班やMM地区支部員、果てはミライオンまで、屋上で戦っていたUGN支部員が全員揃っていた。

 荒夜が携帯端末で時刻を確認すると、既に日付が変わろうとしていた。

「ここは、一体……?」

「赤レンガ倉庫、か?」

 荒夜に続き、ルミと湊も目を覚ます。

 マスターレギオンの自爆によって受けた傷は何故か服にしか残っておらず、何事もなかったかのように傷が全て消えていた。

 ルミはふと違和感に気づき、自身の手に力を込める。直後、手の中でバチバチと火花が散った。

「レネゲイドの力が増している……この前と同じだ」

 ルミが自身の手を見つめていると、支部員の一人が夜空を指差す。


「な、何だ! アレは!」

 夜空に漂う無数の鯨たち――コスモワールドの観覧車に照らされながら、それらは悠然と宙を泳いでいた。

 一見すると御伽噺のような光景だが、鯨たちから生えている不格好な手足が不気味さを醸し出していた。

「ランドマークタワー周辺に“海”のようなワーディングが展開されています! マリンスノーの時と同じだ……!」

 レネゲイド災害緊急対応班の隊員が手元のノートパソコンでランドマークタワー周辺を計測すると、マリンスノーの車内と全く同じワーディングが展開されていた。


 皆が呆然としていると、湊の携帯端末が鋭く鳴り響き出した。

『良かった! やっと繋がった……! ご無事ですか、皆さん!』

「霧谷さん!」

 湊の携帯端末に映っていたのは、UGN日本支部長“リヴァイアサン”霧谷雄吾だった。

『数時間前、MM地区で過去類を見ない大規模なレネゲイド反応が観測されました! レネゲイド反応の中心は、マリンスノーで保護したレネゲイドビーイングの少女だと判明しました』

 霧谷が口にした事実に、支部員たちが騒めき出す。

『彼女こそが、遺産――“エレウシスの秘儀”そのものだったのです』

 対策に追われているのだろうか。焦った様子を見せていたが自身を落ち着かせるように霧谷は軽く深呼吸する。

『彼女は何らかの理由により、大規模に自らの能力を使い暴走。”エレウシスの秘儀”が、起動してしまったものと考えられています』


 胡坐をかいていた荒夜は、呆然とした表情で観覧車の間を泳ぐ怪物たちに視線を逸らす。


『彼女から発生した特殊なワーディングである“海”は膨張を続け、取り込んだ人々の生命力を奪い強制的にオーヴァードへと覚醒、さらにジャーム化させようとしています』


 今度の日曜に輝生を連れて少女とコスモワールドに行こうと秘かに計画していたのに、と呑気な事を荒夜は考えていた。


『そして恐るべき事に、文献によるとこの“海”は関東圏をも呑み込む可能性さえあります』


 霧谷雄吾の報告など、荒夜の耳には一切入ってこなかった。


『この緊急事態を受け、UGN日本支部は今回の件を正式にレネゲイド災害と認定します』


 否――荒夜は、事実から目を逸らしたかっただけだった。

 少女を救い出せなかった、事実から。


『現在、周辺地域から山下公園へと戦力を集結・編成しています。それが終わり次第、膨張を続ける“海”と……』

 淡々とした口調で話していたが、霧谷は一瞬だけ視線を落とし、首を振りながらため息をつく。だがすぐに顔を上げ、毅然とした表情で荒夜たちに言い放った。

『そして、それを引き起こしている遺産“エレウシスの秘儀”のレネゲイドビーイングを物理的に排除、消滅させる作戦を開始します』


 少女の消滅作戦――その決定されてしまった未来に、赤レンガ倉庫は沈黙に包まれる。


『皆さんにも思うところはあるでしょう。しかし、今この時も一般人に犠牲が出ています。この街を……世界を守るためには、これしかないのです』

 霧谷の声だけが静かに響く中、彼は画面越しに深々と頭を下げた。

『どうか……“エレウシスの秘儀”消滅作戦の参加を、お願いします』

 だが、その声に誰一人として答える者はいなかった。

 肯定の声も、否定の声もなく、ただただ重苦しい沈黙だけが漂っていた。

『高島さん、お疲れ様です。こんな時に何とお声をかけたらいいか分かりませんが……まずは、支部の皆さんの命があって良かった』

 霧谷は、携帯端末を持っている湊に声をかける。

『あなたには迷惑をかけてしまいます。ですが、もう少し皆さんを支えてあげて下さい……お願いします』

 そう深々と頭を下げる霧谷に、湊は視線を逸らす事すら出来なかった。

 再び顔を上げた霧谷は、湊の背後に立つルミに気づき声をかける。

『あなたがその場に居たのは、不幸中の幸いでした。マルコ班隊長、“仇花”(あだばな)。レネゲイド災害のスペシャリスト、レネゲイド災害緊急対応班のあなたがいてくれて、本当に助かりました』

 霧谷と視線が合ったルミは声を発することなく、ただ静かに霧谷の言葉に耳を傾けていた。

『これまでに観測された事のないクラスの災害が起きようとしています。どうか、ご協力をお願いします』

 再び頭を下げる霧谷にルミは肯定も否定もせず、ただ目を伏せた。

『……そして荒夜さん』

 湊は気を利かせ、隣で胡坐をかいていた荒夜に画面を向ける。

『“エレウシスの秘儀”を保護したあなたには、辛い決断になると思います』

 声をかけられた荒夜は、やっと湊の携帯端末に視線を向けた。

『ですが“海”に取り込まれた人々を救うには、これしかないのです。本当に……すみません』


 耳の奥で潮騒の音が響く。霧谷の謝罪の言葉よりも、今は潮騒の方が勝っていた。

――嗚呼、“あの日”と同じだ。

 10年前に友を喪ったあの日も、こんな風に海が騒がしかった。

――やっぱり、繰り返すのか。やっぱり……助けられないのか。


 画面の向こう側で別の携帯端末が鳴り響き出す。この緊急事態を解決に勤しむ霧谷の携帯端末に、新たに連絡が入ったようだった。

『すみません。“海”の膨張が止まらず、避難の指揮を執らなければなりません! 一度失礼します!』

 慌ただしい様子で霧谷が通話を切る。だが、誰もがその口を開くことはなかった。

「……どういう事ッスか! あの子を消滅させるって……! そんなのないッスよ! だって、だってあの子は……!」

 痺れを切らしたように口火を切ったのは、人の姿に戻った輝生だった。

「分かってる……分かってる! 輝生……!」

 今にも泣きそうな輝生を落ち着かせるように声をかける湊だが、返す言葉が見つからなかった。

 少女はおそらく、マスターレギオンの自爆から命を賭して湊たちを守ってくれたのだろう。

「だが……今もあそこで、何の罪もない一般人が……!」

 だがその代償は大きかった。少女が自分たちの命を守ったせいでMM地区全てを覆い尽くすほどのレネゲイド災害が起きてしまった今、被害がマリンスノーの比ではない事は明らかだった。


「…………嗚呼、やはりね」

 深くため息をついたルミが、諦めたような口調で呟く。

「不老不死だの、蘇りだの、そんなに簡単な話があるワケがないんだ。結局それも、人から奪った命だったって事だ」

 視線を落としながらルミは左肩の面に手を添える。

 弱い物から命を奪っていく――結局、この世は弱肉強食なのだ。

 かつてそれで“死ぬほど”後悔したからこそ強くなったルミだったが、結局のところそれも徒労に終わったのだ。

「霧谷さんはああ言ってくれたけど、僕がいながら失態だな。コレは」

 やっと顔を上げたルミは、夜空に漂う怪物たちを見やりながら重いため息をついた。

「いえ……隊長は、出来る限りを尽くしていたと思います」

 アイシェが静かに声をかけるが、ルミの表情は晴れる筈がなかった。

「もう少し、早く気づいていれば良かった」

 ルミが口にした非情な一言に、湊は目を見開く。

「気づいていたら……一体どうしてたっていうんだ!」

 湊の目は怒りに震えていたが、ルミは気にもせず涼しい顔で答える。

「どうするって……? 他に選択肢があるのかい?」

 少女の消滅作戦に同意する――ルミのあまりに冷淡な答えに、湊は身体が熱くなるのを感じた。

「霧谷さんが言っていた方法以外に、選択肢は無いだろう?」

 腕を組みながら平然と話すルミに、湊は怒りに任せルミの胸倉を掴む。

「ルミ、お前……!」


「やめろ、湊!」

 湊が拳を振り上げるが、その手を背後から荒夜が強引に止めた。

「今はお前がこのチームのリーダーなんだ。お前が冷静にならなくてどうする!」

「……お前は冷静そうだな。まさかお前が、そんな事を言うとは思ってなかったよ」

 荒夜を睨みながら吐き捨てるように湊が言うが、荒夜はぐっと堪え険しい表情で湊を睨み返す。

「気持ちは分かる。だが、ちったァ頭冷やせ! この中でリーダーのお前が今一番冷静さを保たないといけない立場なんだ! 分かってんのか!」

 冷静な判断を失ったリーダーが指揮するチームは、決まって悲惨な末路を辿る。それを何度も見てきた荒夜は、敢えて湊に苦言を呈した。

 乱暴にルミから引き剥がされた湊は、眉間に深い皺を刻んだまま荒夜に言い放つ。

「じゃあお前は……これからどうするっていうんだ、荒夜」

 少女を殺すのか、それともUGNの命令を無視して少女を助けるのか――尤も、後者は絶望的な状況が横たわっていた。

 尋ねられた荒夜は頭を掻くと、吐き捨てるように長く息を吐いた。

「…………何の因果かねェ」

 目の前の湊にすら聞こえないほどの小さな声で、荒夜がぽつりと呟く。何を喋ったのか分からなかった湊は怪訝そうに眉をひそめた。

 荒夜は湊の肩から手を離すと踵を返し、赤レンガ倉庫を後にする。

「ど、どこ行くんスか。姉ちゃん」

 段々と小さくなっていく背中に、輝生がおずおずと声をかける。

「悪ィ、ちょっと俺も頭冷やしてくるわ。今話しても、殴り合いになるだけだ」

 荒夜は右手を掲げ振り向きもせずに輝生たちに手を振ると、夜の横浜に消えて行った。

「そ、そんな事……!」

 輝生が再び声をかけるが、その小さくなっていく背中に何も言えなくなってしまう。


 荒夜が眉間に皺を寄せながら歩いていると、足元に何かが当たる。

――手帳? 何でこんな所に……。

 それは荒夜も見た事がある、少女が大事そうに持っていた手帳だった。手帳を拾い上げた荒夜は湊たちに見せようと声をかけるか一瞬だけ迷うが、今は話す義理もないと思い、それをポケットにしまうと再び歩き出した。

「さぁ~て……ジルの二の舞が起きちまったなァ……」

 10年前の海難事故で亡くした親友を図らずも思い出してしまった荒夜は吐き捨てるように呟くと、山下公園の方へとふらふらと歩いて行った。


「ルミの兄ちゃんは……どうするッスか」

 荒夜の背中を見送った輝生は、ルミにも恐る恐る声をかける。

「どうするも何も……“エレウシスの秘儀”を排除する。それが僕の仕事だ」

「本気、なんだな……!」

 平然とした顔で言い放つルミだったが、湊はぐっと怒りを堪える。

「じゃあどうするんだ。アレを放っておくのか」

「そうは言ってない! だけど……!」

「放っておけば、また沢山の人が死ぬ。死ぬだけじゃない。ジャームが発生するんだ」

 生きているだけで他者の生命力を奪い、ジャーム化させてしまう彼女はまさに「生きているだけで罪」と言える存在だった。

 ジャームの大量発生は絶対に避けたい――それは、MM地区支部を守る湊も同じ考えだった。

「そうなったらもう、取り返しがつかない。街一つが滅びるかもしれない……君の大切な街が」

「それは……!」

 だが、それと引き換えに無垢な少女の命を散らすのは、他ならぬ湊自身が許さなかった。

 淡々とした口調で話すルミに、湊は何も言い返せなくなってしまう。

「そんな……そんな事、何か方法がないんスか! 皆んなで、皆んなで力を合わせて! あの子を助けられないんスか……! そんなのって……そんなのって!」

 輝生が耐え切れず声を上げるが、ルミは冷ややかな視線を送るだけだった。

「分かってる、輝生。俺達で情報を集めるんだ。何としても、この事態を……あの子を救い出そう!」

 湊の力強い励ましに輝生は目を擦ると、こくりと頷いた。

「俺に出来ることは何でもするッス! 何でも言ってくれ、兄ちゃん!」

「あぁ、まずは別の場所にある緊急指令室に移動して、態勢を立て直すんだ」

「了解ッス!」

 それを見ていたルミは、ため息をつきながら静かに目を閉じる。

「……隊長、私たちは」

「……彼らがそうしたいなら、やりたいようにさせておけばいい」

 アイシェに尋ねられたルミは外套を翻し、湊たちに背を向ける。

「分かりました。私たちは、然るべき“エレウシスの秘儀”排除を果たすために行動を開始しましょう。幸い、この地区に逗留するためのセーフハウスを用意してあります」

「あぁ、ありがとう。助かるよ」

「いえ……」

 ルミの心情を気遣ったアイシェは首を振る。

「何も、気の利いた言葉をかけられず、恐縮です……」

「いや……今は災害の被害を最小限に食いと忌めるのが最優先だ」

 少女を殺害する――ルミもこの判断は下したくはないだろう。だがルミは“レネゲイド災害緊急対応班”隊長の立場を弁えた上で判断を下しているのだ。その並々ならぬ覚悟に、アイシェは自然と頭が下がった。

「あなたの心の強さに、感服します」

「……迷えば、きっとその間にまた奪われるだけなんだ」

 あの時のように、とルミの口から一瞬だけ後悔が漏れる。

「……行きましょう。隊長」

 湊達に背を向けたルミは赤レンガ倉庫を後にし、アイシェや他の隊員たちも続く。

 隊員の何人かが名残惜しそうにMM地区支部員たちの方を振り返るが、毅然とした態度でその場から離れていくルミに渋々と続いた。


 これが、MM地区支部とレネゲイド災害緊急対応班マルコ隊が袂を分かった瞬間だった。

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