第15話 trigger scene 〜エレウシスの秘儀~

 マスターレギオンが引き起こした血の大爆散により、MM地区ランドマークタワー一帯は凄惨な現場と化した。


 少女を守ろうと倒れた神縫荒夜。支部員たちを守り倒れ伏した高島湊。そしてマスターレギオンに引導を渡し、そのまま崩れ落ちたルミ。


 その場で唯一生き残ったのは、少女のみだった。少女は荒夜の腕の中から抜け出すと、辺りを見渡す。


「荒夜……?」

 少女に凭れかかったまま石のように動かない荒夜。


「湊……?」

 支部員を守ったまま動きを止めたミナトミライオン。しかし、ミライオンに守られている支部員たちは、輝生を含め誰も息をしていなかった。


「ルミ……?」

 遥か遠くで血溜まりの中で崩れ落ちているルミ。


「皆んな……皆んな!」

 血の爆散によって照明が落ちた屋上で、少女の声が虚しく響く。

 生存者は少女のみ――その凄惨な光景に、少女は震え上がる。


 だが、ルミの近くの血溜まりの中から、月明かりに照らされた人影が浮かび上がった。

――自爆した筈の、マスターレギオンだった。

「何という再生能力……! 私は確かに死んだ筈……いや、これこそが“エレウシスの秘儀”が齎す(もたらす)不死か……!」

 マスターレギオンは驚きながら再生した自身の手を、身体を確かめる。

「素晴らしい……!」

 その声は歓喜に震えていた。

「レギオンと、そしてこの“エレウシス”の力があれば、この世界を――」

 だが、その声を遮る者がいた。


「あなたに、そんな命は要らない」


 マスターレギオンの言葉を遮ったのは、レネゲイドビーイングの少女だった。

 目を閉じた少女の足元が淡い水色の燐光を放ち、まるで水面のように波打っていく。

 波打った少女の足元が大きく波打ち、溢れ出す。それは海を象ったワーディングとなり、瞬く間に周囲へと広がっていった。

「これは……一体……⁉」

 驚愕したマスターレギオンは無数のレギオンを作り出し、少女に襲い掛からせる。だが、少女の足元から勢いよく飛び上がった“何か”がそれを遮った。

 四肢を持つ馬面の鯨――ルミ達が“ジャバウォック”と仮定していた、例の怪物だった。

 少女の足元から次々と怪物が出現し、レギオンを食らい尽くしていく。

「馬鹿な……! そんな馬鹿な!」

 レギオンをあっという間に食らい尽くした怪物たちはまだ食い足りないのか、今度はマスターレギオンへとその昏い目を向ける。どこまでも光を通さない深く青い無機質な眼は、深海を彷彿とさせた。

「やめろ! 私は、死んでいった彼らの為に……この世界を!」

 じりじりと距離を詰める怪物たちに、果たして人の言葉が通じるのだろうか。せせら笑うように巨大な口を開けた怪物たちは、強引にマスターレギオンの身体を食い千切った。

 骨の砕く音がマスターレギオンの耳に届く。怪物たちの歯は猛獣のように鋭くはない。人間や馬のように噛み砕き、磨り潰す様に出来ていた。怪物の一口一口がまるで巨大な槌で挟まれるように、マスターレギオンは身体を圧し潰され、無理矢理引き千切られていく。

 怪物に食われ、両足を失い倒れ伏したマスターレギオンは少女に視線を走らせる。


 ゆっくりと開けた少女の目は、怪物たちのそれと全く同じ色をしていた。

「その命を――あの人たちに渡して」


 マスターレギオンの望みは、少女の一言によって断たれた。

 少女の目の奥で銀が散る。その人非ざる者の目の色彩に、マスターレギオンは――ヴァシリオス・ガウラスは心の底から恐怖を覚えた。

 それが、ヴァシリオス・ガウラスの見た最期の記憶だった。



 膨張を続ける“海”のワーディングの中に、大量の怪物が現れる。

 突如地面から湧いてきた怪物たちに、ランドマークタワーの真下で規制線の外から見物をしていた野次馬達が立ち止まる。

「え、何……? ちょっと怖いんだけど」

「何だろう。新しいハロウィンの出し物かな?」

 人々が騒めく中、それらは容赦なくMM地区支部周辺の人々に襲い掛かり、その生命力を喰らい始めた。

 瞬く間に再びパニックに陥るMM地区。マリンスノーの比ではない緊急事態に、待機していたレネゲイド災害緊急対応班が対応に向かうが、それでは事態の収拾はつく筈がなかった。



 そう。彼女こそ“竜血樹”が生み出した、人々に災い齎す災厄の遺産――。

――エレウシスの秘儀。その正体だった。


 名も無き少女は生存者のいなくなった屋上で呟く。

「私は……あなた達と会えて、嬉しかった」

 嬉しい――この感情が胸の内に芽生えたのはこの街に来てからの事だったのに、少女はそれが遥か遠い過去のように思えた。

「荒夜……お花と、クレープを私に教えてくれて、ありがとう」

 思えば、彼女があの時電車に飛び込んで少女を助けてくれなかったら、きっとここにはいなかっただろう。

「湊……こんな私にも居場所があるって、教えてくれてありがとう。私がレネゲイドビーイングでも、人の傍にいてもいいって教えてくれて、ありがとう」

 こんな自分でも生きていても良いと、湊とかれんは親身になって少女に話してくれた。

「ルミ……私にも、やりたい事があるんじゃないかって、教えてくれてありがとう」

 ルミにそれを教えられた少女は、一つの答えに辿り着く。

「私は……私のやりたい事は……!」

 少女の身体から放たれた青い燐光が、3人を包み込む。

「あなた達に、生きて欲しい……! だから私は、私の意思で、この力を使う……!」

 青い燐光に包み込まれた3人の傷が、見る見るうちに消えて無くなっていく。そして青い燐光は3人だけでなく、ランドマークタワー屋上にいた輝生を含むMM地区支部員や災害緊急対応班たちの傷をも瞬く間に癒していった。

「良かった……」

 少女が安堵の息をつくが、その背後に巨大な影が忍び寄る。

「そしてこれが――その報い」

 少女の背後で蠢いていた怪物が、その異形の顎を大きく開く。少女はこれから起こる事を、ただ静かに受け入れていた。

 少女はたった一つの持ち物――赤い手帳を手に握りしめ、少しだけ残念そうに微笑む。

「ああ……でも……一つだけ、もう一つだけ……やりたい事が――」

 少女は思い出した微かな未練と共に、荒夜たちに手を伸ばす。

 だが、少女の姿は怪物の口の中に一瞬で呑み込まれていく。


 少女が最後に耳にしたのは荒夜たちの声ではなく、まるでギロチンの刃が落ちたような重く、冷たい音だった。

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