第12話 middle battle3 〜MM地区のエース~

「輝生‼」

 少女が叫んだ瞬間、輝生の巨体は再び宙を舞った。

 既にその身体はボロボロで、立っているのもやっとの有様だった。

――こんなに……こんなに強いなんて……! こんな華奢な女の人なのに……‼

 輝生はふらつきながらも目の前の相手を睨みつける。輝生の返り血を浴びた大盾を軽く振り払い、血の従者は再び得物を構えた。


 体格だけなら確かに輝生の方が圧倒的に有利の筈だった。だが、生前ヴァシリオス・ガウラスの右腕だった彼女――故ナタリア・メルクーリ氏は、自分より巨大な相手と戦うなど何度もあった事だった。

 戦闘経験の差――彼女にあって、輝生に足りないものが、二人の勝敗を分けた。


 血の従者が再び盾を構える。今度は前に突き出すのではなく、まるで槍を投げるように盾を肩に担いだ。

 しめた。胸から下の部分ががら空きだ、と輝生は低く構え鋭い爪を横薙ぎに払う。

 だがそれすら彼女の計算の内だった。血の従者は輝生の攻撃を難なく躱すと、体毛で覆われた腕に飛び乗り、腕伝いに駆け上がって行く。

「しま……ッ!」

 輝生が声を上げた直後、脳を直接揺らされるような衝撃に襲われる。盾の角の部分が、輝生の顎に直撃したのだ。

 視界がぐらぐらと揺れる中、仰け反った輝生は何とか踏ん張り血の従者を振り払う。輝生の顔面から離れ着地した従者は、再び輝生の懐に飛び込んだ。

 従者は盾を振りかぶると、角の部分を思い切り輝生の足に叩きつけた。


 そこは輝生が暴走したマリンスノーを止める際に負傷した部分だった。輝生は痛みのあまり目を見開き、呻き声を上げながら膝を突いた。

「敵の弱点を突くのは戦争における常套手段だ。覚えておけ」

 尤も、とマスターレギオンは輝生の横を通り過ぎ、少女に静かに歩み寄る。

「お前にはもう未来など無いのだから、覚える必要もないがな」

 マスターレギオンが少女の腕を掴む。思わず輝生が腕を伸ばそうとするが、既に満身創痍で腕すら上がらない状態だった。

「暴れられると面倒だ。止めを刺しておけ」

 マスターレギオンが命令すると、血の従者は躊躇なく輝生の太い腕を掴んだ。

「は、離すッス‼ 俺はまだ戦えるッス‼」

 最後の力を振り絞り従者を振り払おうとするが、ぴくりとも動かない。

「既に勝敗は決した。……こいつを返してもらうぞ」

「輝生‼」

 少女が涙ながらに輝生に手を伸ばすが、マスターレギオンは勿論それを許さない。少女の細腕に跡が残るほど、マスターレギオンは少女の腕を強く掴む。

「……ッ!」

 輝生も思わず掴まれていない方の手を伸ばし、少女の名を叫ぼうとした。

 だが、そこで輝生は大事な事に気づく。


――彼女には、名前すらない。


 目の前で泣き叫ぶ少女を呼ぶ名が、まだ無いのだ。

 直後、ぼきっと鈍い音が耳の奥で響き、激しい痛みが輝生の全身を駆け巡る。従者に肩の関節を外された輝生は、その場で崩れるように倒れた。

「あ……あぁ……!」

 目の前にいる少女の姿がぐらりと滲む。関節を外されていない方の手を伸ばそうと藻掻くが、マスターレギオンはそれを昏い目でじっと見ているだけだった。

「輝生……ごめんなさい……! 私のせいで……!」

 少女の懺悔に、輝生は力なく首を振る。

「違う……君のせいなんかじゃ――」

「ああ、そうだ。何もかもお前が私から逃げ出したせいだ」

 少女の耳元でマスターレギオンが囁く。

「お前が私の元から逃げ出さなければ、この少年も死なずに済んだ。高島湊も、死なずに済んだのだ」

 涙を零す青の瞳が大きく見開かれる。

「お前は道具らしく、私の傍にいればいい」

「その子は、その子は道具じゃない‼」

 堪忍袋の緒の切れた輝生が叫ぶが、マスターレギオンはそれを冷笑する。

「では、これの名前は。どうせ付けてないのだろう?」

「それは……ッ!」

 言い淀んだ輝生に、マスターレギオンは勝ち誇ったような歪んだ笑みを浮かべる。

「お前らも私の同類というワケだな。こいつを道具としか見なしていない、何よりの証拠ではないか」

「違うッ! そんな事、これっぽっちも思っちゃいない!」

 地に伏せながら輝生は吠えるが、マスターレギオンはそれを鼻で笑う。

「まぁいい。お前はよく戦った。大したものだ。だが……我々には勝てん」

 遥か昔に仲間を喪い、光を失った青い眼が輝生をじっと見つめる。

「弱ければ奪われる――それだけの事だ」

 輝生が最後の力を振り絞り、必死に手を伸ばす。だが、その手は少女に届くことはなかった。

 少女の名を呼ぶことすら許されない輝生は、悔しさのあまり両目から涙が溢れる。

 マスターレギオンと何も出来なかった自分への怒りを体現するかのように、輝生は月夜に向かって慟哭した。


 その時だった。

「――諦めるな! 輝生‼」


 マスターレギオンに捕らわれた筈の少女が、一瞬のうちに暗闇によってマスターレギオンから引き剥がされる。

「この勝負、湊を信じて戦ったテメェの勝ちだ! 輝生!」

「貴様……ジェヴォーダン‼」

 暗闇の正体は夕闇に溶け込んだ黒い狼――荒夜だった。

「荒夜‼」

「荒夜の姉ちゃん……!」

 狼の背に跨った少女は、突然の荒夜の登場に驚きを隠せなかった。

 マスターレギオンから確実に距離を取った荒夜は呻り声を上げながら姿勢を低くし、臨戦態勢を取る。

「今更何をしに来た、ジェヴォーダン。まさか、お前も我々と戦うつもりか」

「生憎そのつもりだったがね、俺だけじゃ力不足だろ? この大群を相手にするのは、ちと無理だ」

 荒夜が僅かに首を振り、タワーの真下で控えているレギオンを顎で指す。既にランドマークタワーは、一階から屋上手前までレギオンによって占領されていた。

「ほう? 諦めるなと言っておきながらその言い草か。ならば、お前は何故ここに来た」

 そう尋ねられた荒夜は、月を背にして口の端を吊り上げるように笑う。

「なァ、ヴァシリオス・ガウラス。こんな噂を聞いた事は無いかい?」

 急に話をはぐらかされ、時間稼ぎのつもりかとマスターレギオンは眉間に皺を寄せる。

「“夜の砂漠で赤く光る眼を見つけたら気を付けろ。それは悪魔の大軍を連れて来る”……ってな」

 荒夜の言葉に、マスターレギオンは目を見開く。


 確かに、マスターレギオンは戦場で聞いたことがあったーー赤く光る眼を持つ斥候の獣“ジェヴォーダン”の噂を。そして赤い眼の獣が呼び寄せる悪魔のような強さを誇る軍隊“アメリカ軍”は、一度進軍が始まれば何もかもが焦土と化すという事実を。


「貴様……まさか、援軍を……!」

 マスターレギオンに僅かだが焦りが生まれる。援軍など来る筈もない。通信手段は遮断した。レネゲイド災害緊急対応班もレギオンの対応で身動きが取れない。そしてマリンスノーを止めた恐るべき横浜の守護神“ミライオン”は、湊もろとも始末した――筈だ。

 マスターレギオンの不安を煽るかのように荒夜がにたりと笑った直後、マスターレギオンの頭上を巨大な影が覆いつくした。


「そぅら……“真打達”のお出ましだ‼」


 それが合図かのように、輝生を守るようにマスターレギオンの眼前に巨大なロボットが降臨した。

『よくもここまでやってくれたな……! マスターレギオン‼』

 怒りに震えた湊の声が、タワーの屋上に響き渡る。

「兄ちゃん!」

「馬鹿な! ミライオンだと⁉」 

 ミライオンの迫力に押され、マスターレギオンが僅かにたじろいだ瞬間、屋上に設置されていた照明が一斉に点いた。

  突然の強い光に照らされ、マスターレギオンは思わず腕で目を庇う。直後、腕と頬の僅かな隙間を何かが掠めた。

「どうやら、救出は間に合ったようだね」

 光の矢を番えながら出入口から現れたルミが、微笑みながら荒夜に言う。

「あのタワーを登るなんて、どれだけ脳筋なんだい、君」

「うるせぇな。中から行ったらレギオンにぶち当たりそうだったし、何より迷子になりそうだったんだよ……!」

 少し顔を赤くした荒夜がモゴモゴと口答えする。


「さァ、マスターレギオン……第二ラウンドと行こうじゃねェか!」

「……ジェヴォーダン!」

 にたりと口の端を吊り上げながら笑う赤い眼の獣に、マスターレギオンは悔し気に歯を食いしばった。

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