第10話 middle battle1 〜レギオン、襲来~
誰そ彼の夕陽が横浜の街を包み込む。
季節は秋。紫に染まる空は、男が記憶している故郷のそれとは程遠い色だった。
――随分と、遠い所まで来てしまったものだ……。
湿気を帯びた海風が男の髪を乱れさせる。だが男は気にも留めず、眼前に聳え立つ塔だけを睨みつけていた。
目指すは、難攻不落の摩天楼。
「さて……取り戻しに行くぞ」
身支度を整えた男は振り返り、闇に溶け込む赤い影の軍団に号令をかける。
「征くぞ――諸君」
少女がかれん達と昼食を共にした、その日の夕暮れ。荒夜は欠伸をしながらエレベーターに乗り込もうとしていた。
「すまない。僕も乗せてくれないか」
そう言いながら駆けて来たのはルミだった。ノースリーブの黒いタートルネックとカーキ色のスラックスを着た荒夜は、“開”ボタンを押したままルミを待つ。
「何だ。今日はもう上がりか?」
「いや、下の階に夕食を買いに行こうと思って」
「そりゃいい! ここの飯はどれも美味いからな。あぁ、そうだ。後でお前の連絡先教えてくれねェ? 俺んトコの先輩がお前のコードネーム聞いた途端に連絡先くれって煩くてよ。今度一緒にギンザ行こうとか言ってたぞ」
「おや? もしかして、歌舞伎でも好きな人なのかい?」
そう二人が和やかに談笑していたが、エレベーターのドアが閉まった途端、二人は何故かぴたりと雑談を止めてしまった。
「…………なぁ」
ガラス張りのエレベーターに夕陽が差し込む。夕陽が鬱陶しいのか、眼を瞬かせながら荒夜が口火を切る。
「昨日のアレ、お前はどう思う」
ガラス窓に凭れ掛ったルミがぴくりと肩を揺らす。
「アレ、とは?」
「とぼけんなよ。レギオン襲来の件さ」
逆光で遮られ表情はよく見えなかったが、ルミは荒夜が笑っているように見えた。
「アンタの経験上、アレで終わりだと思うか?」
その問いに、ルミはしばらく沈黙する。
「……君の見解を先に聞こうか」
「ハッ! つれねぇな。ま、アンタ達と同意見だ。……アレで終わりなワケねェだろ」
実は昨日のレギオン襲来の後、数日中にマスターレギオンが攻めてくると推測したマルコ班は、“セントラルスカイ”に「マスターレギオンを倒し、街の安全が確保できるまで無期限のランドマークタワーの立ち入り禁止」を提言したのだ。
だが、結果は勿論却下。観光も兼ねているランドマークタワーを期限もなく立ち入り禁止にするなど出来ない、と湊に首を振られてしまったのだ。
「平和ボケしてる、なんて言ってやるなよ。MM地区支部はこの街の平穏も生活も、全部守りてェだけなんだよ」
「ならばより一層このエリアを封鎖するべきじゃないかい? ヨコハマステーションの二の舞どころの騒ぎじゃなくなる」
そう言い放つルミは、少々苛立っているようにも見えた。
「無期限って言っちまったのが悪かったのかもな。まァ奴は多分……もっと早く仕掛けてくるぞ」
「もっと……?」
ルミが尋ね返すと、声のトーンを落とした荒夜は肯定の代わりに口の端を吊り上げるように笑った。
「しかも奴は馬鹿じゃない。昨日と同様の、数の暴力だけで押し切るなんて二番煎じはやって来ないだろうな」
「……じゃあ君だったら? 君がヴァシリオス・ガウラスだったら、どう戦う?――“テンペスト”」
ルミの含みのある言い方に、荒夜はつい挑発的な笑みを浮かべてしまう。だが、“それ”は荒夜が何度も脳内でシミュレーションした事象だった。
「俺だったら? 俺があの豚野郎の立場だったら、まずは……」
荒夜は凭れ掛っていた壁から背中を離し、ルミの隣に立つ。ルミの背丈は小さくはないのだが、ルミよりも荒夜は頭一つ分抜けていた。
「――湊を殺る」
荒夜が底意地の悪い笑みを浮かべながら悪魔のような戦略を口にしたと同時に、ポーンとエレベーターの到着したアナウンスが鳴り、ドアが開く。
直後、ランドマークタワーが一瞬にして暗闇に包まれた。
「何だ! 停電か⁉」
「落ち着け! 直ぐに非常電源に切り替えるんだ!」
停電の被害に遭ったのは“セントラルスカイ”も例外ではなく、支部長室に閉じ込められた支部員たちは直ぐにマニュアル通りに非常電源に切り替える。
「一体何が起こったんだ」
支部長室の廊下で休憩を取っていた湊は、夕闇に染まった廊下で立ち往生に遭っていた。
湊の傍らには機械のライオンに姿を変えたミラリオが――セントラルスカイではかなり見慣れた光景だが、ミラリオはライオンに姿を変えて湊の護衛を務める事もままあった――寄り添っていた。
「まさか、マスターレギオンの仕業か……⁉」
「そんな馬鹿な。停電させといて何をしようっていうんだ」
湊と同じく廊下に閉め出された支部員たちが話し合っている中、湊はふと窓の外に目をやる。
窓の外には来年竣工予定の高層マンションが聳え立っていたが、何処かの階で何かが光った気がした。まだ窓すら張っていない筈なのに、一体何が夕陽に反射したのかと、湊は目を凝らす。
傍らのミラリオが何かに勘づいたように顔を上げた次の瞬間、花火が打ち上がったような銃声が廊下に反響する。直後、窓ガラスを粉々に割った凶弾は確実に湊の胸を貫いた。
「し……支部長‼」
一方その頃。輝生は少女を連れて二人でランドマークタワーの屋上に来ていた。
「風が少し強いから、気を付けるんスよ!」
「わぁ……!」
輝生が警告したにも関わらず、少女は夕陽に照らされた屋上を駆け出す。
「ここが、横浜で一番高い場所ッス。今の時間帯が、俺の一番のお気に入りなんスよ」
「ほんと……すごく綺麗」
少女は鮮やかな紫に染まった空を見上げながら感嘆の息をつく。
少女が嬉しそうに駆け回る中、輝生はポリポリと照れ臭そうに頭の後ろを掻く。
――もう……湊兄ちゃんや皆んなが変な事言うから、何か意識しちゃうッス……!
輝生がすっかり暗くなった空を見上げていると、どこかで花火が打ち上がったような音がした。
――あれ? 今日、こんな近場で花火大会なんてあったかな……?
輝生がぼんやりと考えていると、少女が声をかける。
「輝生! あっちの山はまだ赤いのね。紫色の空も綺麗だけど、あっちもオレンジ色でとても綺麗」
既に深い紫に染まっている海側と、まだ燃えるように明るい橙色の陸側の空を、少女は交互に指差す。
「兄ちゃんが言ってたけど、こういう時間の事を黄昏時とか逢魔が時って言うらしいッス! 色んな呼び方があって、不思議ッスよね」
だがその返事は少女からではなく、意外にも輝生の背後から聞こえてきた。
「――ほう、逢魔が時か。その名は興味深いな」
低い男の声が輝生の頭上に降り注ぐ。支部員のものではない。どくん、と輝生は心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。
振り返った輝生は反射的にその場から飛び退り、背中で少女を庇った。
「あ……あぁ……‼」
輝生に遅れて男に気づいた少女は、輝生の背中で悲鳴にも似た声を上げる。
痩けた頬に、彫の深い顔から覗く紺碧の目。ここ数日、輝生は写真でこの男の顔を嫌というほど見てきた。
「――マスターレギオン‼」
マスターレギオンは輝生に鋭い視線を送ると、ゆっくりと輝生に手を差し出す。
「さぁ、それを返してもらおうか」
「この子をモノ扱いするな‼」
レギオンの言い草に、輝生は激昂する。
「輝生……!」
「大丈夫! 君は俺達が守るッス! あんな奴の所なんて、もう行っちゃいけない!」
少女の不安を打ち消すように、輝生は少女に微笑んでみせた。
「ほう……まるで騎士(ナイト)風情だな。“サイレントアサルト”」
輝生の強がりを見え透いたように、マスターレギオンは鼻で笑う。
「だが……高島湊が亡くなった今この瞬間でも、その強がりが言えるかな」
「…………え?」
不気味な笑みと共にマスターレギオンが口にした言葉に、輝生と少女は彼が何と言ったのか、一瞬理解が追い付かなかった。
「聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやろう。“ブレイブルー”高島湊は……先ほど死んだ」
マスターレギオンの言葉に、輝生は頭の中が真っ白になる。
「……嘘だ」
「嘘ではない。さっきの銃声が聞こえなかったか」
あの無敵の湊が死ぬ筈がない。
「嘘だ……ッ!」
「事実だ。諦めろ」
少女に非道の限りを尽くした男の戯言なぞ、誰が信じるものか。
「誰が……誰が、そんな嘘信じるッスか‼」
胸の奥からざわめく不安を無理やりかき消すように、輝生は吠える。
「兄ちゃんは……湊兄ちゃんと“キングミライオン”は、最強なんだ‼」
「キングミライオン、か……。確かに、マリンスノーすら食い止めたアレは脅威だな」
マスターレギオンが喉の奥で笑った直後、ランドマークタワーの遥か先で爆発が起きた。
輝生は弾かれたように振り返り、少女越しに爆発が起きた場所を確認する。視線の先には、黒煙を上げながら火花と共に燃え盛るキングの塔の影が見えた。
「キングが……‼」
「県庁“キングの塔”を爆破した。もうこれで“キングミライオン”は召喚できまい」
もうもうと立ち上る黒煙に、輝生は釘付けになる。
「嘘だ……!」
輝生は足元が崩れ落ち、空が丸ごと落ちてくるような感覚に襲われる。
「お前の仲間も、もうじき我らレギオンの餌食になる」
それは、輝生が初めて知る感覚だった。
「投降してその少女を明け渡せ。今なら、命だけは見逃してやろう」
これを絶望と言わずして、何と言うのだろうか。
「それとも、ここで愚かにも我々と戦って、ブレイブルーと同じ末路を辿るか……?」
マスターレギオンと戦う――輝生にはその選択肢しかない筈だ。だがマスターレギオンは、テンペストの荒夜とレネゲイド災害緊急対応班隊長のルミの二人と互角に戦った相手だ。湊不在の今、果たして勝ち目はあるのかと輝生は自身に問い掛ける。
自然と輝生の呼吸が浅くなる。心臓の音が鼓膜に反響し、視界すら暗く、狭まっていく。
だが、輝生の冷たくなった手に何かが触れた。
「輝生……!」
少女が震える声で、震える手で、輝生の手を握っていた。
「もう、いいよ……! 私、皆んなといて、楽しかったから……もう、十分だよ……!」
無理に微笑みながら首を振る少女の頬に滴が伝う。その涙に、輝生は息を呑んだ。
――この子が、この子が今一番怯えているんだ……! 今この場で、俺がマスターレギオンから守ってやらなくてどうするんだ‼
輝生は強く目を瞑り、頭を振る。一瞬で視界が開けた輝生は、改めてマスターレギオンを睨みつけた。
「お前になんて投降しない! この子も渡さない‼ 俺は……俺はMM地区支部の皆んなを信じる‼ 俺はMM地区支部のエース“サイレントアサルト”! 大賀輝生だ‼」
マスターレギオンと対峙する輝生の雄姿は、恐怖と絶望で濁った少女の目に光を取り戻した。
「ほう……仲間を信じるか。素晴らしい心意気だ」
マスターレギオンが一歩前に踏み出す。輝生が少女を庇いながら身構えるが、マスターレギオンの背後で控えていた一人の従者が、静かに輝生たちの前に進み出た。
盾を持った女性兵士が、何かを訴えるようにマスターレギオンの前に立つ。マスターレギオンは怪訝そうに眉を上げると、一つ溜息をついた。
「……甘いな。だが、良いだろう」
マスターレギオンが離れると同時に、盾の従者が輝生たちの方に振り向く。
「見事彼女を倒してみせたら、今回は手を引いてやる」
長い髪を後ろに纏めた女性兵士が、輝生たちの前に立ちはだかる。その手には、優美な装飾を施した大盾があった。
輝生は一瞬面食らうが、多数ならまだしも、一体だけなら何とか勝機はある筈だ。輝生は赤一色に染まった血色の敵を見据える。
「輝生……!」
少女が不安げな表情で輝生を見上げるが、輝生は軽く深呼吸すると少女の頭を優しく撫でた。
「大丈夫ッス。絶対に勝ってみせるッスよ」
輝生はゆっくりと少女をマスターレギオンから遠ざけ、メガテリウムへと姿を変える。
「勝てば本当に手を引いてくれるんスね」
「私も男だ。二言はない。彼女に勝てたなら、手を引いてやる」
輝生は改めて、目の前で対峙する女性兵士を睨み据える。
大きさだけなら輝生が圧倒的に有利だ。だが、ただのエフェクトの筈なのに彼女から放たれる異様な存在感に、輝生は気圧されそうになる。
――絶対に勝ってみせる! いや……勝つしかない‼
先手必勝、と輝生は大きく振りかぶり、その鋭い爪を女性兵士目がけて振り下ろした。
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