第9話 middle phase5 〜side 高島 湊&???~

 翌朝の土曜日。どこか忙しない様子のMM地区の支部員が、支部長室付近の廊下をうろついていた。

「……あ! 高島支部長、おはようございます!」

「あぁ。お早う。一体どうしたんだ」

「先ほど、火急の連絡が入ってきて……」

「火急? 霧谷支部長からか?」

「いえ、実は……これが、今朝届いて」

 支部員が手に持っていたのは、向かい合う2羽の鳥の封蝋が押された一通の手紙だった。

「こ、これは……!」

 その封蝋を目にした途端、湊の血相が変わった。湊は急いで封を開け、中身を確認する。

「……全くあの御方は。いつも急だな」

 一通り手紙に目を通した湊は、安心したかのようにため息をついた。

「……湊? おはよう。どうしたの?」

 その時、ちょうど廊下を通り過ぎようとしていた例の少女が、湊に声をかける。

「あぁ! おはよう。ちょうど良い時に来てくれた。今から君を呼ぼうと思っていたんだ」

 呼ぶ名前が無いのは不便だと内心思いつつ、湊は手を振り、少女を呼び寄せる。

「呼ぶ? 私を……?」

 何だろうと少女が駆け寄ると、湊は膝を折り、恭しく少女の手を取った。

「良かったら、今日は俺とデートしないかい?」



 時刻は変わって昼時。少女は、とあるホテルのレストランで湊を待っていた。

 湊に「一緒に昼食を食べないか? 会わせたい人がいるんだ」と声をかけられ、誘われるがままに付いてきたのだが、肝心の湊に電話が入ってしまい、少女は待ちぼうけを食らっていた。

 ホテルの名は“ホテルニューグランド”。1926年に建てられた、古き良き横浜を象徴するホテルの一つである。

 湊の帰りを待ちながら、窓辺の席に案内された少女はきょろきょろと辺りを見回す。

 ジャズが静かに流れる明るい店内は、老若男女様々な客層で賑わっていた。

 向かいのテーブルでは、学校帰りの女子中学生二人が透明な皿に盛られたフルーツを突きながら、恋愛話に花を咲かせていた。また別のテーブルでは、妙齢の夫婦が仲良くカレーを食べていた。かと思えば奥のテーブルでは、親子3世代が食後のケーキに舌鼓を打っていた。

――色んな人たちがいる……。

 少女は窓の外を見やる。窓の外には先日、荒夜と遊んだ山下公園が広がっていた。

――あ、荒夜と食べたクレープ屋さん。また来てる。

 少女がもっとよく見ようとガラス窓の縁に手をかけると、突然「ボーッ!」と大きな音が響いてきた。

 少女が驚いて飛び上がると、向かいの席からクスクスと忍び笑いが聞こえてきた。少女が振り向くと、さっきまで誰もいなかった筈の席に、赤いワンピースを身に纏った赤毛の美少女が座っていた。


 背丈は銀髪の少女の方が少しばかり高いだろうか。深紅のワンピースを見事に着こなしている少女と視線が合うと、赤の少女はにっこりと微笑んだ。

「初めまして」

 鈴を転がすような声に、少女はハッと気が付く。この少女は人ではない。自分と同じ――レネゲイドビーイングだ。

「自己紹介がまだでしたね。私の名前は荒絹かれん。……どうぞ、よろしく」

 赤の少女――荒絹かれんの存在感に少々気圧されながら、少女は頭を下げる。

「あなたは……湊のお友達?」

 少女が首を傾げながら尋ねると、かれんは口元に手を当ててクスクスと笑う。その落ち着いた言動に上品さが漂い、何故かこのホテルの雰囲気にとてもよく合っていた。

「そうですね……お友達、とは少し違うかもしれないです。敢えて言うとするなら、親戚が一番近いかもしれません」

 かれんは、いつの間にか目の前に置かれていた紅茶に口を付ける。

「ねぇ。貴女は……この街のこと、好き?」

 紅茶を一口飲んだかれんが、口元に笑みを湛えながら少女に尋ねる。その問いに少女はすぐに頷いた。

「うん、大好き。荒夜とルミに会わせてくれたこの街が、湊達が護るこの街が……大好き」

 それを聞いたかれんは、嬉しそうにゆっくりと頷いた。

「それは良かった。……本当に、良かった」

 どこか感慨深げに微笑むかれんに、少女はあまり深く考えずに尋ね返してみる。

「かれんも……この街が好きなの?」

 質問を返されるとは思いもよらなかったかれんは、少女の質問に少々目を丸くする。

「えぇ……そうですね」

 ティーカップを置いたかれんは、店内に視線を移す。

「好き、という以上に――愛していますね。この街に住む人々も、営みも、変わりゆく景色も……全て」

 まるで生涯をずっと共に歩んできた伴侶の話をするように、かれんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 少女がその表情を理解するには些か年は足りないだろう。だが、店内を眺めながらうっとりと微笑む彼女の横顔に、少女は自分の頬が熱くなるのを感じた。

「――かれん様」

 頭上から湊の声がし、少女とかれんは同時に振り仰ぐ。

「……これ、何をしておった。遅いぞ、小僧」

 かれんは一つ溜息をつくと腕を組み、湊を悪戯っぽく上目遣いで睨む。さっきまでとは全くの別人のような口調に、少女は一瞬ぎょっとしてしまう。

「かれん様が、今朝急に呼び出したんじゃありませんか」

「何を言うか。せっかくのレディの誘いであろう? それに、どんなに忙しくとも我の誘いを断る其方ではなかろう」

「それはそうですが……」

 少女の驚きを他所に、湊は少女の隣に座る。

「全く、先日まで我のドレスを涎まみれにしておった童が、いつの間に大人の真似事をするようになったのか」

 そう不遜な態度で話すかれんは見慣れたものなのか、湊は困ったように笑うだけだった。

「あぁ。紹介がまだだったかな。この御方は“荒絹かれん”様。このホテルニューグランドにお住まいになられている、横浜の街を共に護るレネゲイドビーイングだ」

 湊に紹介されたかれんは、少女に軽く頭を下げる。

「改めて……。其方が、先日湊たちに保護された娘子じゃな? 話は多方から聞いておるよ。いきなり呼びつけた無礼を許しておくれ。其方と一度、どうしても話をしてみたかったのじゃ」

 先ほどまでの深窓の令嬢の印象とは一転、堂々とした王者の風格すら漂うかれんに、少女は目が点になる。

「じゃが、其方は先ほど心の底からこの街を好きと言うてくれた。その時点で、もう既に其方は我が加護を受けるに値する者じゃ。そう固くなるでない」

 言うと、かれんは二度手を叩く。すると、まだ何も頼んでいない筈なのに、料理が次々とテーブルに運ばれてきた。

「何はともあれ、まずは昼餉にしようではないか。ここの食事は絶品ぞ」

 そう得意げな笑みを浮かべるかれんは、どこか湊と似ていた気がした。


 少女はふと、隣に座る湊の顔を覗き込む。料理を前に、喜びを隠しきれず目を爛々とさせる姿はまるで少年のようで、支部員たちに厳格に指示を出していた天下のMM地区支部長の顔は、そこにはなかった。

「湊……ここのご飯、好きなの?」

「あぁ。子供の頃からずっとな」

 心の底から嬉しそな声で返事をする湊だったが、湊の言葉にかれんが水を差す。

「童の頃はナポリタンを食べるのが下手で、よく顔を赤く化粧しておったがの」

「かれん様!」

 クスクスと笑うかれんに頭の上がらない湊。気の置けない二人のやり取りを見ながら、少女はふと、とある疑問が湧き出てきた。

「湊は、どうしてかれんと一緒にいるの……? 湊は、かれんが人間じゃないのに怖くないの?」

 少女の純粋な質問に、二人は目を瞬かせる。

「私は道具だって、バケモノだって……ずっとずっと、言われてきたから」

 マスターレギオンに常日頃言われていた暴言を思い出したのか、少女は俯いてしまう。

 涙目で俯いている少女に、かれんは長くため息をつく。

「小僧から話は聞いてはいたが、これは相当な深手じゃの……」

 少女が受けた心の傷の深さを察し、かれんの眉間に皺が寄る。

「娘子よ。我らレネゲイドビーイングは、道具のように使役されるものでは勿論ないし、ましてや怪物と侮蔑される存在でもない。確かに我はレネゲイドビーイングであって、ヒトとは違う存在じゃ。じゃが、我は湊たちとの間には、確かな“絆”があると確信しておる」

「絆……?」

 少女が尋ね返すと、かれんはゆっくりと頷く。

「それは誰かを、何かを思いやる絆。互いを尊敬し、思いやり、讃え合い、深く愛する絆じゃ。絆が強ければ強いほど、人であるオーヴァードや我らレネゲイドビーイングは、窮地に立たされた時に強く在れる。……残念ながら、其方は今までそのような関係を築き上げられる程の者と、会うた事が無いようじゃがな」

 そう真摯に話すかれんに続くように、湊も少女に語りかける。

「君の言う通り、確かにかれん様はレネゲイドビーイングだ。だけど俺は、レネゲイドビーイングという認識以上に、かれん様を人生の先生のような御方と思っているんだ。かれん様は俺の祖父よりも、ずっとずっと前からこの街と共に居る。そして、何よりこの街を愛し、護り抜こうとする意思は俺以上だ」

「つまり……尊敬、してるの?」

「……そうだな。心の底から」

 本人の前で照れがあるからだろうか。ほんの少しばかり頬を朱く染めた湊が、小首を傾げた少女を真っすぐ見つめながら言い切る。その言葉には、微塵の偽りもなかった。

「……いいなぁ、そんな関係」

 ぽつりと呟いたそれは、少女の本音以外の何物でもなかった。

「我らだけでなく湊達もいるからこそ、旧きと新しきが入り混じる、この愛すべき横浜の街を護れる。我らは共にこの街を護り、互いに尊敬しあえる同志と言ったほうが近いかの」

「この街を……護る……」

 少女は改めて店内をぐるりと見渡す。

 和気藹々と食事を楽しむ人々。店にいる誰もが、各々の大切な人との時間を楽しんでいるように見えた。

「とても……暖かくて、素敵……」

 砂と鉄と影と、血の色しか知らなかった少女の世界は、この街に来てから鮮やかな景色が一気に増えていった。

 公園の緑。眩しいほどの陽の光。深く青い海と、その上を走る白の船。旧きと新しきが入り混じる建造物。そして、人々の笑顔。

――これが、湊達が護っているもの……護っている街……。

「けど、私……そんなに二人みたいに、人と素敵な関係になれるかな……人と、一緒にいていいのかな……?」

「ならば其方は一度、自分の目で外の世界を見るのも良いかもしれぬな」

 かれんがドリアを冷ましながら少女にアドバイスを送る。

「世界は其方が思っている以上に広い。多くを見、多くを識るのも大事であろう。その上で、一度自分の頭でしっかり物事を考え、ヒトと共に歩むのも良いかもしれんな」

「自分で考える……。それ、この前ルミにも言われた……!」

 それを聞いた途端、かれんの目がきらりと輝いた。

「ほう。我のような助言をする者が他にもおったとは……中々の者じゃな」

 かれんが得意げに笑うと、窓をコンコンと叩く音が湊達の耳に届く。

「輝生!」

「兄ちゃん達、こんな所でご飯食べてたんスね! いいなぁ!」

 窓の外には、スポーツバッグを持った学校帰りの輝生がいた。

「輝生! 今日はもう“がっこう”は終わったの?」

 すっかり輝生に懐いた少女は、笑顔で窓の縁に身を乗り出す。

「これ! 行儀が悪い。輝生を迎えに行くなら行ってやるがよい。湊、席を代わってやれ」

 かれんはいつもの癖で叱ってしまうが、少女は気にも留めずに湊を跨いで輝生を迎えに行く。

「入口と店の真ん中にケーキがあったであろう? どれか好きなのを選ぶがよい。皆で食べよう」

 輝生を迎えに行く少女の背中にかれんが声をかけると、振り返った少女は嬉しそうに頷いた。


「……素直で元気な良い子ではないか。まるで一昔前の其方のようじゃ」

「かれん様……」

 また昔のことを、と苦笑するが、かれんの目つきが真剣なものに変わった途端、湊は笑うのをぴたりと止めた。

「だが気を付けよ、小僧」

 ティーカップに唇を付けたまま、かれんは湊に警告する。

「先日から我の周囲が騒がしい。恐らく、異国から来たあの男の仕業じゃ」

「あの男……まさか、マスターレギオン⁉」

「声が大きい。あの娘子に聞こえたら如何する」

 かれんに咎められ、僅かに立ち上がった湊はゆっくりと座り直す。

「周辺の支部はそのマスターレギオンとやらにほぼやられたそうじゃ。ま、帰って霧谷とやらから正式な報告があるとは思うがの」

「そんな……! 奴が横浜に来てから、数日しか経っていないのに……!」

 かれんが口にした驚愕の事実に、湊は青ざめた顔で首を振る。

「奴はこの街の支部を壊滅させながら此処を目指しておる。狙いは言うまでもなく――あの娘子じゃ」

 かれんは、中央のショーケースの前で輝生と談笑している少女に鋭い緋色の視線を移す。

「そして小僧、其方の支部も例外ではないぞ」

 かれんはティーカップを置き、残り僅かな紅茶に視線を落とした。

「あの娘子の奪還と其方の支部“MM地区支部”の壊滅こそが、あの男の本懐じゃ。……今回は一筋縄ではいかぬぞ。心せよ、小僧」

「マスターレギオンは何も諦めてはいない、というワケですね……!」

 湊が神妙な面持ちで言うと、かれんも同じような表情で頷いた。

「けど、一体何の目的があってそこまであの子を……」

「それは我も分からぬ。だがそれとは別に、我の愛する街をここまで荒らすとは、寛大である我も些か腹の一つは立つ」

 かれんは残りの紅茶を飲み干しカップを置くと、湊を指差し空中で文字を描く。かれんの指先から微かな燐光が浮かび上がると、それは湊の身体を覆い、一瞬で消えてしまった。

「念のためじゃ。其方に呪い(まじない)をかけておいた。少しは役に立つであろう」

 言葉と態度は尊大だが、湊を心配しているのが見て取れた。滅多に見られないかれんの優しさに、湊もつい口元が綻ぶ。

「お気遣い、有り難く頂戴致します。かれん様」

「やめよやめよ。つい最近まで童だった其方に、頭など下げられとうない」

 頭を深く下げる湊に目元を赤く染めながら、かれんは手をひらひらさせる。


「……さて、小僧共! 早くケーキを選ばぬと、このプリンアラモードが我の腹の中に収まってしまうぞ?」

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