第7話 middle phase3 〜side ルミ~

 ルミにとって、ジャナフは薔薇だった。

「よく覚えておくんだ。ルミ」

 ジャナフはルミの頭を一撫でし、こう言った。

「物事というものは、心で見なければよく見えない。たいせつなものは、目には見えない」

 ジャナフの高い背と星空を見上げながら、ルミは忘れないよう同じ言葉を繰り返す。

「“星の王子様”だね。ジャナフ」

「その通り。そして道に迷ってしまったのなら、星を見るがいい。旅をする者たちなら星は案内役だ。そうでない者たちなら、星はただの小さな光だ――それは、我々も同じこと」

 ジャナフを見上げながら、ルミは違和感に気づいてしまう。

――これは夢だ。ジャナフは“あの時”死んだのだ。

 直後、砂嵐が巻き起こり、辺り一面が銀の砂で覆われる。

 ジャナフ、とルミが繰り返し彼の名を呼ぶ。しかし、砂嵐はルミの叫びさえも掻き消していく。

 嵐が治まった砂漠に残されたのは、蛍の様な淡い光を放つ砂漠と星々だけだった。

 ジャナフを喪ったルミはその場で崩れ落ち、無限に広がる銀の砂を掴む。

 ルミにとって、ジャナフは他の何にも代えがたい大切な存在だった。たとえ世間ではテロリストと評されようとも、ルミにとっては唯一無二の存在――“星の王子様”で言うなれば、薔薇そのものだった。

 薔薇を失ったルミは、一体何を糧に生きれば良いのか。

 絶望に打ちひしがれながら、ルミはふと考えてしまった。

――ジャナフにとっては、僕は"薔薇"だったのだろうか。

 涙で濡れた顔を上げ、ルミは星空を見つめる。

――為らば僕は薔薇ではない。仇花だ。実を結ぶ事もなく咲き誇り、朽ちていく禍々しい仇花で在れば良かった。

 星の燐光が――光の外套がルミを包みこむ。かつて彼が誉めてくれた仇花の容姿など、見てくれる者がいなければ最早何の意味もない。

――僕にとってのたいせつなものは、もう存在しないのだから。

 日の出すら訪れない静寂に満ちた世界で、ルミは満天の星空を仰ぐ。

――何故、何故僕を置いて逝ってしまったんだ。ジャナフ。

 星は、何も語りかけてはくれなかった。



 翌日、レネゲイド災害緊急対応班・マルコ班のルミは、MM地区支部の一室を借りてとある人物と連絡を取っていた。

『こんにちは、ルミ。仕事は順調?』

 パソコンに映ったのは、UGN中枢評議員の一人、若くして穏健派のリーダーを担っている金髪碧眼の美少女--テレーズ・ブルムだった。

「あぁ。何とかね」

 彼女は非オーヴァードであるにも関わらず、鬼の巣窟と名高いUGN評議会の一角を15歳という若さで担っている正真正銘の天才少女であり、レネゲイド災害緊急対応班マルコ班の総責任者でもあった。

「先日の日本で起きたレネゲイド災害についてなんだけど、何かそっちで情報を掴めたかな。テレーズ」

 そんな天才少女に、ルミは臆する事なく親しげに話しかける。

『一昨日の夜、ヨコハマの駅で発生した例の災害事件ね。ちゃんとこちらで調べておいたわ』

 肩に止まっているコノハズクのアニマルオーヴァード“サジェス”の嘴を撫でながら、テレーズは一通のメールを送信した。

『“エレウシスの秘儀”……語源は恐らく、古代ギリシャで行われた死と再生の儀式ね』

「確か、春と豊穣の女神“デメテル”とその娘“ペルセポネー”の二神を崇拝するための豊穣祭だね」

『流石ルミね。その通りよ』

 テレーズが送信した資料の中には、古代ギリシャの資料が添付されていた。

『この儀式そのものは、冥界神ハデスに誘拐され、妻にさせられたペルセポネーの神話に基づいているわ。一年の内の限られた時期だけ、冥界から母デメテルの待つ地上に帰還するペルセポネーを“死と再生の神”として崇拝し、世代から世代へと永遠の生命を受け継ぐ儀式だそうよ』

「死と再生……永遠の生命、か」

 死と再生をその身の内で繰り返すとは、まるで海のようだとルミは思った。

『そしてこの“エレウシスの秘儀”こそが、今回のレネゲイド災害を引き起こしている原因よ』

 テレーズが次いで送信したのは、世界各地で起きた“エレウシスの秘儀”の被害を映した資料だった。

『このレネゲイド災害は、ワーディングの領域内にいる生物の生命力を吸収し、自らの物とする特性を持つわ』

「生命力を吸収……まるで“ブラム=ストーカー”のようだね」

『そう予測されているけど、まだ憶測の域は出ないわね……あら、瑠璃。紅茶を淹れてくれたの? ありがとう』

 テレーズのデスクに紅茶が置かれる。テレーズは少し視線を逸らし、紅茶を淹れてくれた人物に軽く礼を言った。

『それとこの災害の特徴として、この災害の発生時には海の様なワーディングが確認されているわ』

「それはこちらでも確認したよ。大気中の酸素以外は、まるで海と同じ成分が検出されていた。とても興味深い現象だったよ」

『貴方達が送ってくれた資料のお蔭よ、ルミ。そしてそのワーディング内には、半透明の怪物の出現が確認されているわ』

 瞬間、車内で暴れ回っていたあの奇妙な怪物の姿が、ルミの脳裏を過る。

「……車内の乗客を襲っていた、あの奇妙な化け物だね」

 ルミは手元の携帯端末で車内に出現した怪物をタップし、画像を確認する。

 四肢を持つ馬面の鯨――昨日の会議でアイシェは“ジャバウォック”と仮定したが、果たして実際は何の生き物なのだろうとルミ達も首を捻っていた。

『この怪物に食べられた人は生命力を奪われ、結果として強制的にオーヴァード化。最悪の場合、ジャーム化してしまうわ』

 しかもこの海の様なワーディングは、現在MM地区の各地でも確認が報告されており、周辺の支部が調査・対応に当たっていた。

『そして昨日未明からマスターレギオンが移動したポイントでも、この怪物の出現と強制オーヴァード化の現象は確認されているわ。……現状から言って、この遺産はマスターレギオンが所持していると推測されているわね』

「オーヴァードの強制覚醒か……かなり厄介だね」

 テレーズの報告を聞きながら、ルミは腰掛けた椅子に背中を預ける。

『これが“エレウシスの秘儀”について、今の所こちらが分かっている情報よ』

 画面の向こう側で、テレーズはサジェスを撫でながらルミに微笑んだ。

「ありがとう、テレーズ。助かるよ。……正直、こちらも大分苦戦していてね」

 やっと緊張が解けたのか、ルミの口元に笑みが戻る。

『聞いているわ。何はともあれ、ヨコハマの駅が無事で良かったわ。……貴方のお蔭ね、ルミ』

「どれほどの事が出来たかは分からないけどね……列車の中は、酷い有り様だった」

上司の称賛に、ルミは小さく首を振る。あの列車内でレネゲイド災害を喰い止められなければ、自分達が来た意味などないと、ルミは自責の念に駆られていた。

『それでも、意味はあったでしょう。貴方が介入しなければ、更に多くの犠牲が出たかもしれないわ』

 そんなルミの懺悔を、テレーズは優しく諭す。

 ルミの功績は、ルミ自身が思うより遥かに大きかった。あの時マルコ班が対応に当たっていなければ、MM地区支部だけでは防ぎきれない二次災害が確実に発生していた筈だ。

 レネゲイド災害緊急対応班の真価は、災害原因の抜本的除去ではなく、隊員たちの迅速な対応による災害の軽減である。そのためレネゲイド災害緊急対応班には、救命救急や対災害救助、避難誘導のスペシャリストが揃っているのだ。

『それは命の数だなんて、単純なものでは現せないものの筈よ。その人々の数だけの笑顔、幸福……それを、貴方は守ったのでしょう』

「嗚呼。そう、願いたいものだけど……」

『そう信じていいのよ。でないと、せっかく貴方をスカウトした私の面目も立たないわ』

 ルミとテレーズの関係は意外にも古い。ルミをレネゲイド災害緊急対応班に登用したのは、何を隠そうテレーズ・ブルムなのだ。

ルミをスカウトした当時を思い出しながら悪戯っぽく笑うテレーズに、ルミは困ったように笑ってみせた。

「それを言われると弱いな……」

 ルミは有り難く上司の賛辞を受け取る事にした。

「分かったよ。ありがとう、テレーズ」

 ルミの笑顔を見、テレーズも微笑む。

『貴方の居場所は、確かに此処“マルコ班”にあるわ』

「……そうだね」

 だが、目を一瞬だけ逸らしたルミの顔は曇って見えた。

「“エレウシスの秘儀”とも決着を着ける事で、またこの居場所に僕が居る意味が、生まれるのかもしれない」

『断言はしないのね。貴方らしいわ』

 ルミの謙遜を含んだ言葉に、テレーズはふふっと小さく笑う。ルミの実力はUGN本部を含めてもトップクラスの筈なのに、過去に受けた傷のせいか、彼は良くも悪くもその強さを誇示する事はなかった。

『ルミ、“エレウシスの秘儀”を……この災害を止めて頂戴。貴方になら出来るわ』

「あぁ、勿論。力は尽くすよ。アレは、放っておいていいものじゃないからね」

『えぇ。期待しているわ、ルミ』

 そう言ってテレーズが微笑むと、通信が切れた。

 


 通信を終えたルミが部屋を出ると、廊下の隅で誰かが蹲っているのに気がついた。

 よく見ると、それは先日列車で保護した少女だった。少女は羽根に怪我をしている小鳥を、両手で大事そうに持っていた。

 少女は辺りをキョロキョロと見渡し、窓を少し開ける。少女が祈るように手を合わせると、手の中が青く淡く輝き出した。

――あれが、癒しの力……!

 荒夜から聞いていた少女の治癒能力に、ルミを目を見開く。光が消えた頃には、手の中の小鳥は元気よく羽根をばたつかせた。

「もう大丈夫。あなたはまた、空を飛べるわ」

 両の掌に小鳥を乗せ、少女は窓から手を出す。小鳥は何事もなかったかのように、少女の手から青空に飛び立って行った。

「すごい能力だね」

 どこかほっとした表情を浮かべる少女に、ルミは後ろから声をかける。

「あ、あなたは……」

 少女が振り返ると、緋色の外套が視界に飛び込んでくる。

 少女は、その姿に見覚えがあった。彼は先日、マスターレギオンから身を挺して自分を守ってくれた、命の恩人だった。

 声をかけられた少女は振り返り、ルミにぺこりと頭を下げる。

「あの時は、ありがとう」

「いや。どうやら、落ち着いた様だね」

 ルミに声をかけられた少女は、こくこくと何度も頷く。

「あなたのお名前は……なに?」

 ルミは膝を折り、少女に目線を合わせる。

「僕はルミっていうんだ」

「ルミ……」

 少女がルミの名を反芻すると、ルミは少女の小さな手を取る。

「ちょっと失礼。嗚呼、これが話に聞いた癒しの能力だね」

 ルミの手の中にある紅葉の手は一昨日まで傷だらけだったのに、今は傷一つなかった。

「きっと、喉から手が出る程に欲しい能力だね――戦場では、特に」

 少女が衛生兵になれば、おそらく数えきれない程の命を救うだろう。少女の手を見つめながら、ルミは救えなかった”彼”を思い出していた。

「私には、誰かを癒す能力が……あるんだって」

 手を取られた少女は、小首を傾げながらルミに語りかける。

「“ふろうふし”? を与えたり……死んだ人を生き返らせる事も、出来るの」

 それを聞いたルミの目つきが、少しばかり変わった。

「私は、そうやって使われてきた」

「……へぇ。死んだ人を」

 平静を装うルミだが、脳裏には先ほどから死に別れた“彼”の影がちらついていた。

「ルミにも……そういう人がいる? 死んじゃったけど、また会いたい人」

 ルミの思考を読み取るように、少女は悪魔のような質問を投げかける。

「――私の能力を使って、その人に逢いたいって思う?」

 少女の手を握ったまま、ルミは無意識に小さな指先に力を込める。

「……出来るものならね。けどもう今では、遅いんだ――すべてが」

 諦めたような笑みを見せながら、ルミは片手を離し、左肩の面に触れる。

 そうだ。全て遅いのだ。あの時ルミの大切な人は――ジャナフは、還らぬ人となってしまったのだ。

「遅く……ないよ?」

 その信じられない言葉に、ルミはハッと顔を上げる。

「私が……能力を使えば」

 少女は、ルミが触れている真蛇の面に視線を移す。深海を彷彿とさせる青の瞳から、ルミは目が離せなくなる。

 その悪魔の誘いに乗ろうかとルミは一瞬だけ口を開きかける。だが、それは一瞬だった。ルミは目を閉じ、軽く深呼吸する。

「……それはとても魅力的な申し出だけど、君は何故それをしようと思うんだい?」

「……え?」

 質問されるとは思ってもみなかった少女はきょとん、とした顔でルミを見た。

「私……?」

「それが君の……“やりたい事”なのかい?」

 少女は暫く考えると、ゆっくりとだが自身の気持ちを打ち明ける。

「よく……分からない。誰かが私の力を使うのは、”誰か”がそうしたいと思うから……だから」

 アイシェの報告通りだ、とルミは少女を見つめる。この子は今まで道具のようにしか扱われなかったせいで、自身に対する“欲”そのものが存在しないのだ。

「分からない……か。それなら、分かるまで考えてみる事だね。本当に、君がそうしたいのかどうか」

 ルミの教えに、少女は顔を上げる。“自分以外の誰か”がではなく“自分”がやりたい事をするなど――ましてやそれについて考えるなど、それこそ少女は今まで考えた事が無かったのだ。

「分からないなら……沢山の事を知って、強くなって、そして――考えるべきだ」

「考える……“私”のやりたい事……!」

 果たして自分は何がやりたいのか――おそらく今まで権力者たちから選択する権利すら与えられなかった少女にとって、それはかなりの難題だった。

 頭から煙が出そうなくらいに真剣に考え始めた少女に、ルミはふと笑みを零す。

「……君が大切なものを失いたくなければ、ね」

 ルミは口にしてからハッと息を呑む。それは、かつて自分自身にかけたかった言葉だった。

 少女は暫くルミを見つめると、思い切って質問してみた。

「ねぇ、ルミのやりたい事は……なに?」

「そうだね……僕のやりたい事……」

 少女に質問されたルミは軽く溜息をつく。

「本当は……僕も、やりたい事なんてないのかもしれない」

「そうなの……?」

 困ったように笑うルミに、少女は目を瞬かせた。

「けど、昔はあったんだ」

「昔?」

 首を傾げた少女に、ルミはゆっくりと頷く。

「でも壊れてしまった……」

 そう少女に語りかけながら、ルミは触れていた真蛇の面を優しくなぞっていた。

 目の前にいたのに何も出来ず、ルミの大切なものは“レネゲイド災害”によって消えてしまった。その後悔だけが、まるで薔薇の棘のように深々と突き刺さっていた。

「今は、そのやりたかった事の欠片を……辛うじて追いかけているようなものだよ」

 ルミが伏せていた顔を上げると、少女の眉間には皺が寄っていた。まるで、ルミの言葉を一言一句逃さず、真剣に考えているかのように。

「ルミのお話は、難しいのね」

「あぁ、ごめんね。妙な言い方をして」

 ルミが謝ると、少女はふるふると首を振った。

「ルミも沢山考えてるんだなって、すごく分かった」

 少女は握られていたぎゅっと手を握り返す。その手は先ほどとは違って、とても温かなものだった。

「見つかるといいね。やりたい事の……意味」

「ああ……そうだね。――君も」

 お互いにやりたい事を見つけるのが課題だなんて、似た者同士だと二人はふふっと笑い合う。

「うん。私も、考えてみる。ありがとう、ルミ」

「いいえ。こちらこそ」

 少女はルミに微笑み返すと、廊下の奥へと走り去って行った。

 

 少女が去った後、ルミは身体の奥底から力が漲ってくるようなに違和感を覚える。

 ルミは廊下に置いてあった観葉植物に触れ、葉を一枚千切ってみる。その直後、木の葉は光の粒子となって粉々に砕けてしまった。

――これは、一体……⁉

 レネゲイドの力が強くなっていることに気づいたルミは、少女が立ち去った方を見やる。

 そこにもちろん少女の姿はなく、青い光の粒子だけが宙に漂っていた。

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