第5話 middle phase1 〜小さなUGN本部”MM地区支部”~
目を覚ますと、少女の視界には見知らぬ天井が広がっていた。
マスターレギオンには床でしか寝るのを許されていなかったのに、今少女が横たわっているのは柔らかいベッドの上だった。
「ここは……?」
声に反応し、眼鏡をかけた茶髪の女性が少女の顔を覗き込む。
「目が覚めましたか?」
女性が穏やかに微笑むと、耳元のピアスが優しく揺れる。
「ここ……どこ……?」
起き上がった少女が尋ねると、若い女性――アイシェはゆっくりと優しい口調で答えてくれた。
「ここはMM地区支部の救護室です。昨晩、貴女は私達UGNに保護されたんですよ」
「ほご……?」
まだ夢うつつなのか、それともアイシェの言葉を理解できていないのか、少女はぼんやりとアイシェを見つめながら首を傾げる。
「……失礼ですが、貴女のお名前は?」
アイシェに尋ねられ、少女は少し困惑したような表情を見せる。
「…………私に……名前?」
少女の一言で、アイシェは全てを理解してしまった。
――少女には、名前すら与えられていなかったのだ。
昨晩の後始末がようやく終わり、荒夜、マルコ班のルミとアイシェの3人は、湊達の待つ横浜近郊MM地区支部ランドマークタワー“セントラルスカイ”の指令室に集合していた。
全面ガラス張りの窓から見える景色は輝生も言った通りの絶景であり、昨晩大活躍したキングミライオンもといMM地区本庁舎の“キングの塔”や横浜税関の“クイーンの塔”、横浜市開港記念会館の“ジャックの塔”、遊園地のコスモワールドやベイブリッジまで一望できた。
「改めまして……私は、レネゲイド災害緊急対応班・マルコ班の副長を勤めさせていただいております、アイシェ=アルトゥウと申します。私から状況を説明させていただきます」
マルコ班副隊長アイシェがガラス張りの窓の前に立つと指令室の灯りが落ち、暗転したガラス張りの窓に超大型のモニターが現れた。
「本日未明、横浜市内ではレネゲイド遺産“エレウシスの秘儀”と思われる人々の生命力枯渇、それに伴うオーヴァードへの覚醒及びジャーム化する事件が発生しております」
そこに映し出されたのは、JR線の被害状況とジャーム化された人々、そしてワーディングと同時に現れたあの奇妙な怪物だった。
「……何だこりゃ。カバかトドか? レネゲイド災害対応班のお宅らって、いつもこんな怪物を相手に戦ってるのか?」
机に足を投げ出した荒夜が思わず本音を口にしてしまう。
「いや、僕達も初めて見たもので全く見当もつかないんだ。……そういえば、僕達が彼女を救出した時には、この化け物達はいなかったね」
「一体どういう事だ?」
湊がルミに尋ねるが、代わりにアイシェが答える。
「それについては、こちらでも調査中です。今の所、ある文献に載っていた“ジャバウォック”という架空の怪物が、一番イメージとしては近いかと」
「ジャバウォック……“鏡の国のアリス”に出てくる、あの怪物か」
湊が呟くと絵本の挿絵と思われる怪物が映し出されるが、車内で出現した四肢を持った鯨のような怪物とは、似ても似つかない姿だった。
「対応に向かったUGN支部のエージェントは全滅。これは、マスターレギオンの仕業と思われます」
怪物の姿が消え、大破した列車の写真と共に映し出されたのは、マスターレギオンの顔写真と彼が車内で起こした凄惨な事件の現場写真だった。
「また、“ジェヴォーダン”神縫荒夜さんが保護された少女ですが、現在MM地区支部の救護室で治療及び検査中。まだ詳細は分かってはいませんが、彼女は“レネゲイドビーイング”である事が判明致しました」
アイシェの報告に「あの子、beingだったのか」と荒夜が小さく呟く。
今思い出してみれば、一般人ではあまり見られない深海の様な深い青の瞳や希薄な感情表現は、荒夜が現在共に暮らしているレネゲイドビーイングの少女“アリー”をどことなく思わせた。
「どうやら、これまで道具のような扱いをされてきたようで、一般常識とも言えるものが殆ど無いようです……また……」
と淡々と報告を続けていたアイシェが、突然口を噤む。
「名前すら与えられていませんでした……! 酷い事を……!」
薄暗い指令室の中で、アイシェが悲痛な面持ちで小さく首を振った。
「あの子、
「道具のように、か……!」
アイシェが口にした事実に、ルミが小さく驚く傍らで湊が悔し気に首を振った。
「可愛い女の子を道具みてェに扱いやがって……酷いモンだなぁ、アイシェちゃん」
昨晩からやけにアイシェに親しげに話しかけて来る荒夜に、ルミは軽く咳払いする。
「許されない事です。人の尊厳を、踏みにじっている……!」
「絶対許せないッス! どこのどいつッスか! そんな事したのは!」
「恐らくマスターレギオン、だろうな」
憤慨する輝生の隣で腕を組んでいた湊は、モニターに映るMM地区周辺の地図と被害状況に目を向ける。
「しかも周辺のUGNエージェントを撃退するとは、とんでもない腕前のようだな。……確か、車内で戦ったんだって?」
「あぁ、そうだよ。出来れば、決着を着けたかったんだけどね。あの少女を守らなければいけなかったから……」
湊に尋ねられたルミは、車内での激闘を思い出す。おそらく一人で戦っていれば、ルミは今この場にはいなかっただろう。
「相当手強い相手だったよ……二人がかりで逃げ出すのがやっとさ」
「それはそれは……荒夜、本当なのか」
「ん~まァ、当たらずとも遠からずって感じだな」
荒夜にも話を振ってみると、腕を頭の後ろで組みながら彼女はぶっきらぼうに答えた。
「あぁ、そうだ。確か昨晩お前がほぼほぼ片づけたって言ってたな」
「おや? そうだったかな」
「あれれ~? そんな事言ったっけかな~? 俺~」
ルミと湊がほぼほぼ同時に荒夜の顔を覗き込むと、荒夜はあらぬ方向を向いて冷や汗をかきながら口笛を吹き始めた。
「……まぁいい。ところで、レネゲイド災害緊急対応班のお二方」
湊がルミとアイシェに向き直ると、二人は「はい」と息の合った返事をする。
「君達は、これからどうするつもりなんだ。もしこのまま“エレウシスの秘儀”を追い、マスターレギオンを調査するのなら、もし良かったらMM地区で逗留して、協力させてもらえないか」
願ってもない湊の提案に、ルミはちらりとアイシェに視線を向ける。
「どうかな。この方が、都合が良いかと思うけど」
「勿論私は隊長に従います。それに私も、それが上策かと思われます」
アイシェの返答にルミは軽く頷く。
「そうだね……。じゃあ、お願いするよ」
「よォし、決まりだ」
湊は立ち上がると、指令室の灯りが一斉に点き、モニターも元の窓へと戻った。
「幸いこのMM地区支部は、みなとみらいに関しては情報もすぐに集まるし、防備も完璧だ」
「確かに……これほど堅牢で巨大なUGN支部というものは、初めて拝見しました」
指令室に来るまでルミ達は何人ものオーヴァードとすれ違ったが、これほどのオーヴァードが所属しているのは、海外を含めてもかなり珍しかった。
「何せここは、UGNの防備計画に入っている計画都市だからね」
「なるほど……それなら、この少々過大な設備も頷けるね」
「それに協力しているのが、この高島重工業ってワケさ。もし何か入り用なものがあれば、すぐに言ってくれ。俺の方で用意しよう」
MM地区支部はUGNの各部署・各施設が入っており、MM地区に存在する各UGN支部やエージェント達の支援・調整・仲介等の業務にも携わっている点から、通称“小さなUGN本部”とまで呼ばれていた。
その“小さなUGN本部”の中枢を担う若き高島重工会長――高島湊は、ルミの前で自信に溢れた笑みを浮かべていた。
「兄ちゃんは会長なんッスよ! 会長!」
まるで自分の事のように輝生が胸を張るが、荒夜がニヤニヤ笑いながら輝生をからかう。
「輝生~、お前会長って意味ホントに分かってるのか~?」
荒夜の意地の悪い質問に、輝生はちょっとだけ固まってしまう。
「……すごく……偉い、人ッス!」
「ほぉ~? ホントかぁ~? ホントにそれで合ってるのかぁ~? この前俺達米軍のこと“コメ軍”って堂々と読み間違えたお前が、ホントに分かってるのかなぁ~?」
「も、も~! 荒夜の姉ちゃん意地悪ッス! それ間違えたのたった一回じゃないッスか!」
最近の失敗談を暴露され、顔から火が出るほど赤面した輝生がぽかぽかと荒夜を叩く。
「そう言えばあの米軍“テンペスト”とも協力関係にあるなんて……随分と顔が利くようで、助かるよ」
「それぐらいしないと、ここの司令長官は務まらないからな」
若干23歳にして巨大なMM地区支部の司令長官を務める若き高島重工業の会長に、ルミは内心驚いていた。
「と、とにかく! 皆んなで協力して、マスターレギオンをやっつけるッス!」
気を取り直した輝生が、元気よく両手を挙げる。
「単純でいいなぁ~。若いなァ、輝生は」
口の端を吊り上げながら笑う荒夜に、輝生はまた何か間違えたかと軽く身構える。
「な、何か……間違ってたッスか……?」
輝生が上目遣いで荒夜を見るが、その小さな肩を誰かが軽く叩く。
「いや、輝生は何も間違ってない」
「兄ちゃん……!」
輝生が振り向いた先には、絶大な信頼を寄せている湊が微笑んでいた。
「そうだね。少なくとも、一人二人でどうにかなる相手じゃない事は分かったしね」
「なら……良かったッス!」
二人に太鼓判を押された輝生は、再び堂々と胸を張った。
「もし良かったら、レネゲイド災害緊急対応班のこれまでの行動等も教えてくれないか。一体奴が何者なのか。そこまでは俺達も、まだ分かっていないものでね」
今まで“エレウシスの秘儀”とマスターレギオンを追いかけてきたマルコ班の情報は、MM地区の平和を脅かすレギオンを一刻も早く撃退したい湊にとって、喉から手が出るほど欲しい情報だった。
湊の提案にルミとアイシェも頷く。
「こちらからも、情報は提供いたします」
「助かるよ」
MM地区支部とレネゲイド災害緊急対応班マルコ隊の同盟が結成された中、荒夜は一人空を眺めていた。
どこまでも広がる青い空と青い海。横浜を象徴する、美しい風景の一つだった。
だが大海原の遥か先では、暗雲が海に稲光を落としていた。
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