第9話 孤独的な魔女

 それは静かな街だった。

 サイカは首都に突入した。できるだけ一般人を傷つけないように、速やかに目的の場所に移動しようと考えていた。しかし、見渡す限りに人がいなかった。

 外で戦っている間にみんなどこかへ避難したということだろうか?

 ある程度はそれもあるだろうとは思う。けれど、いくら進んでも人の姿をひとりも見かけないなんてことがあるだろうか。ずっと侵入を許さなかった壁の中の住人が、どうしてそんなに早く避難できるというのだ。

 人間もジェネルもローブもいない静かな街をサイカは突き進む。

 どこまでも続く静謐な都市。

 考えがまとまっていく。

 否定したい気持ちがあった。

 しかし、答えはひとつしか思い浮かばない。

 首都に普通の人間は暮らしていないと。

 一部の特権階級が国を支配し、お金を集め、我が物顔で生きていく。そのためだけの仕組みがこの国のこの首都の真実なのではないか。サイカは内側から怒りが溢れ出てくるのを感じる。首都で暮らしているとされていた人間に本来使われるはずだった税金を、極少数の者に集めれば、莫大な財産となるだろう。そんな奴らにこの国の人間は騙されてきた。

 議会をめざす。

 人もいなければ車も走っていない道で、いくらでもスピードをあげることができた。はやくこの国の真実を公開しなければならない。そうしてちゃんとしたまっとうな国へ作り変えるのだ。

 大通り。

 三度目の邂逅。

 議会まで伸びる道に、見知った白いローブが立っていた。

 たんに同じ型のローブであるだけかもしれない。

 でも、きっとそうではないとわかる。

 一度、殺された。

 二度、壊してやった。

 三度目だ。もう許してはやらない。あいつだってそう思っている。戦闘用のジェネルに感情があるのか。わからない。あのときの断末魔を思い出せば、怨まれているだろうさ、と思う。

 ア・トだ。

 見慣れた大鎌は持っていない。

 それはこの前、落としていったからか。

 今日は短い杖を持っていた。

 そんなもので、俺を殺せるのか?

「倒されるために生まれてきた敵は見つかりましたか?」

 カクテラルの声が響く。

 サイカは答えた。

「ああ、もうすぐ消してやるけどな」



   §


 ヘスデネミィは、ア・トと戦っている。

 バグズナイフで切りかかっても、なぜかア・トの杖を切ることができない。受け止められてしまう。考えられるのはあの杖がミスリルではない別の金属で作られている可能性と、ミスリルでもなんらかの対策が施されているのではないかということ。ア・トはバグズナイフと同じミスリルを切るための鎌を持っていた。前回、それを落としていったから、こちらが鎌を使うことも見越して、対策を打ってきたのかもしれない。まあ、鎌は持っていないのだけど。

 サイカの攻撃は杖で受け止められるか、かわされるかだった。

 ア・トの攻撃はそれなりにかわしてはいたが、いくらかもらっていた。しかし、鎌のように切り裂かれることもなければ、さほど質量のない杖の打撃では大きなダメージがなく、状況に変化は見られなかった。

 こちらの攻撃は急所に当たれば決定的なダメージを与えることができる。有利なのはこちらだ。一回、決めればいい。サイカはそう考える。しかし、それだと相手がなにを考えてここに出てきたのかわからない。

 首都への侵入を許して追い詰められているのか。

 そんなはずはないだろう。

 勝てると踏んでいるからア・トは単体で待ち受けていたのだ。

 油断してはいけない。

 ア・トが大きく後ろに下がった。議会の建物が近づいてくる。ヘスデネミィで追ったところで、ア・トが指揮者のように杖を空で振った。全身に悪寒が走る。

 これは天使の声だ。

 悪魔の歌のような、全身を掻きむしられるような冷たい嫌悪感に包まれる。

 いや、実際、あのときほどの衝撃はない。いくらか弱い。それにヘスデネミィは対策が施されている。だからカクテラルの意識もあるし、動くこともできる。しかし、同じような効果を持つ何かであることはわかった。カクテラルが呻き声を漏らす。

 ア・トが指揮棒のように杖を振り続ける。

 悪魔の歌がずっと続いていた。あのときみたいに一瞬で凄まじい何かを食らうような感じではなく、じんわりといやらしく、ゆっくりと侵すように、止まることのない歌が続く。

 どこからでているのか。

 ア・トからか?

 ギリィンのローブのように自分自身が止まったりはしないのか?

 ヘスデネミィの動きが鈍っているのを感じた。サイカもカクテラルも操縦に集中できていない。攻撃が遅くなり、防御も乱れ、スキを突かれてはア・トの攻撃を受ける。攻撃の瞬間、ア・トが杖を振るのやめ、悪魔の歌が止まるので、どこか攻撃を望む気持ちさえ生まれてしまっているように思えた。

「一度、離れるぞ」

 ア・トが歌っているなら、距離を取れば収まるかもしれない。そう考えた。しかし、歌の強さは変わらない。離れたところで、ア・トが指揮を続けていた。

 なんだ、どこから流れている。頭なのか。体なのか。包まれているような、嫌な気持ち。戦闘を振り返り、気付いた。ヘスデネミィのボディに何かが付いているのだ。カメラを切り替えてヘスデネミィ自身を見る。目を凝らすとボディの一部に歪みがあるのを見つけた。腕を動かして歪みを掴み取る。透明な虫のようなものが付いていた。ア・ト自体がステルス機だった。だからその付属品もステルスなのか。杖からの無駄なように感じていた弱い打撃は、この虫を取り付けるための囮だったのか。

 体中を払う。いくらかは収まった。しかし、ローブの構造上、背中など、手がとどかないところもどうしたってある。犬みたいに地面に転がって潰すか。敵の前で? できるはずがない。

 悪魔の歌が続く。

 ア・トの攻撃を受ける。

 こちらの攻撃はまるで当たらない。

 もう受け止められるようなこともなかった。

 そうして、歌がだんだんと強くなる。

 この戦闘の間にも虫を付けられているのだ。

 気が狂いそうになる。楽になりたいという言葉が、一瞬、思い浮かんですぐに否定する。ア・トが笑い声のようなものを発した。それは天使の声のような何か意味のある機能ではないだろう。ただ、あざ笑ったのだ。

 くやしさに包まれて、しかし、抵抗する気力がなく、首元を掴み上げられた。杖を振っていないので悪魔の歌が止まっている。心がやすらかになる。もうだめだ。勝てなかった。そう思った。

 飛んできた球体がヘスデネミィごとア・トをふっ飛ばした。

「すまん、外した」

 オフトゥの声だ。

「なんでそう雑なの」

 メイの声だ。

「諦めてたみたいだし、まあいいんじゃないの?」

 ライの声だ。

「まだ戦う気があるのなら助けてやってもいいけどさ。どうなんだよ、サイカ?」

 返事を伝えようとした。でも、言葉にならなかった。それでもきっと伝わったと思う。

「俺たちは弱いからな」オフトゥが言った。「みんなで一体をいじめて倒すのが向いてるのさ」



   §


 サイカは、仲間たちにア・トの虫と歌について伝えた。

「あんな声は聞きたくないな。思い出すだけで気持ち悪い」ライが言った。

「あの杖がヴィブラリィアンの本みたいなものね」メイが言った。

 いつ付けられたのかはよくわからない。杖から出ているのか、それとも杖で攻撃したスキに見えない虫を地面や空中から付けているのか。どちらにせよ、近づかなければ虫を付けられる確率は減らせるだろうと思う。まずはヘスデネミィに付いた虫をとってもらいたい。そうすれば戦いやすくなる。

 陣形を組んで。

 距離を取って、戦おう。

 そう、伝えたところで、否定された。

「いや、それは違うだろう。ひとりだったらまあ仕方ないが、今は四人で戦っているんだ。指揮棒を振ったときしか、歌が聞こえないなら指揮をさせなければいい」オフトゥの笑いを含んだ声。

 言われてみれば明快な答えだった。

 ア・トは自らの攻撃のときに指揮を止めていた。

 そうすることで、こちらの心を折っていたが、それは弱点でもあったのだ。

 四体のローブで代わる代わるに攻撃をしかける。指揮の手は完全に止まっていた。もう歌は聞こえない。能力に差があるため四対一でもすぐには決着とならなかったが、こちらが負けるようにも感じなかった。

 オフトゥが球体で退路を塞ぎ、アードラが斬りつける。ジッカが昆で薙ぎ払い、ヘスデネミィがナイフで刺そうとする。ヘスデネミィのナイフは当たらなかった。どうやら攻撃のレベルを判断して、致命傷となるものを避けることに集中しているようだった。

 それでもじわじわとその他の攻撃があたっていく。

 いずれ、こちらが勝つだろう。

 そう思ったとき、ア・トが絶叫した。敗北を認める声なのか、と思ったが、どうもそうではないらしい。ア・トのボディが透明になっていく。ステルス機能で逃げるつもりなのか、と思ったが、どうもそうでもないらしい。

 攻撃を避けることもしなかった。

 ナイフもア・トの体に突き刺さった。

「様子がおかいし。下がるべきか」とオフトゥの考えと迷いが伝わってくる。

 しかし判断がむずかしい。今が、絶好のチャンスかもしれないのだ。透明になった体でぼんやりと背景が歪んで見える。その歪みが形を変えていくのがわかった。魔女が変質していく。

「一旦、下がれ」オフトゥの指示がとんだ。「目を離すなよ」

 なんとか歪みを捉えることができる。しかし、一瞬、見逃せば捉えるのがむずかしいというような状態だった。

 ア・トの絶叫が響く。

 ジッカの首が飛んだ。

 アードラの右足が切断された。

 ヴィブラリィアンの本が切られた。

 操作を失った球体たちが地面に落ちる。

 なにが起きた?

 ヘスデネミィの被害は?

 サイカは考える。状況を確認する。そのときカメラの映像が歪み視界が一気に低くなった。衝撃を受ける。どうなった?

「体が真横に切断されました」カクテラルの声。

 上半身が地面に転がったのか。

 なにが起きたのかが推測できた。外れているかもしれない。しかし、結果が同じならば、大した違いではない。

 ア・トの体に白い色が戻っていく。形が翼を持つ竜のようになっていた。その翼の上部に見覚えがあった。ヘスデネミィのナイフと同じ、以前の大鎌と同じ、ミスリルをするりと切断する機能を持った歪んで見える半透明の刃先。今まで一番、大きなそれが見えた。

 ア・トは、自らの形を、高速で移動し、あらゆるローブを、切断するために最適なものへと変えたのだ。

 形勢が逆転した。ヘスデネミィは動かせない。みんなの恐怖が伝わってくる。どうにかして上半身を起こした。それ以外になにができる。ナイフを投げるか? 外れたら終わりだ。当たっても致命傷になるとは思えない。

 ア・トがヴィブラリィアン方へ照準を合わせるように向いた。

 意味はないかもしれない。

 しかし、できることをするしかない。

 ヘスデネミィでバグズナイフを投げる。ア・トの竜の頭に突き刺さった。しかし、叫び声もよろめきもなにもなかった。まっすぐにヴィブラリィアンを見つめ、体がだんだん透明になっていく。

「オフトゥ、逃げろ」

 声よりもはやく、歪みが消えた。残されたのは土煙。

 そしてヴィブラリィアンが四つに別れたのが見えた。ア・トが離れたところでまた色を取り戻す。オフトゥの声は聞こえない。ア・トが次の狙いを定めるようにメイのジッカの方を向いた。

 なにか、なにかないのか。もう投げるナイフもない。他になにかと考えたところで、ギリィンの顔が思い浮かんだ。バックパックから持ち手だけの何かのを取り出す。元はア・トの大鎌だったもの。なにかの武器にすると言っていた。だけど、一度しか使えないものなので、首都の中に入るまでは使うなという伝言を聞いていた。だから忘れていた。

 なんでもいい。助けてくれ。

 サイカは願う。

 すると持ち手が解けて、ヘスデネミィの手に混ざり込んだ。インターフェースを通して情報が頭に流れ込む。気持ちが悪い。軽く吐いた。どうなっているのかわからない。しかし、これがなにかは理解した。ギリィンが武器に残した指示のとおりにヘスデネミィをこの場で作り変える。

 ミスリルはプログラマブルな金属だ。

 そのコードによって形と機能をかえる。

 だからア・トは魔女からドラゴンに変わった。

 それはヘスデネミィでも可能なのだ。

 コードさえあれば。

 ギリィンが残したのは武器ではなかった。ヘスデネミィを武器に作り変えるコードだった。

 切り離された上半身と下半身が解けて混ざり合っていく。

 形が変わっていく。

 カクテラルもサイカも取り込まれていく。

 ヘスデネミィには人体の性別を作り変える機能も備わっている。

 ヘスデネミィには人体を修復する機能も備わっている。

 ヘスデネミィはコードによって姿を変えていく。

 破壊をなかったこととし、金属は柔らかく解けて、人とジェネルとローブがひとつに、リストラクチャされていく。

 気付くとア・トがこちらを向いていた。

 ジッカよりも先にヘスデネミィを壊すべきだと判断したのだ。

 ア・トが透明になる。

 歪みが向かってくる。

 ミスリルならば切り裂かれるだろう。

 でも、そうではない部分がヘスデネミィにはあったのだ。

 より硬度を持った、名前もわからない特別な何かが隠されていた。

 ア・トの突撃で、衝撃が生じる。

 しかし貫かれることはなかった。

 形にならない形で受け止め、そのまま包み込むようにしてア・トを蝕んでいった。ヘスデネミィはミスリルを喰らう侵食の獣となった。動物のようで動物ではない。武器のようで武器ではない。人間でもジェネルでもローブでもない、魔法という概念のような、魔法使いの杖の先から飛び出したようなソレとなり、ア・トをこの世から喰らい尽くした。

 辺りが静かになる。

 ア・トの姿は、完全に消えていた。

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