第7話 苛性的な歌声
「天使の声」
ギリィンがそう呼んだ悪魔のような絶叫は、戦況を一変させた。動いているローブは一体もいない。さっきまでの争いが嘘のように辺りは静寂に包まれていた。
「たぶん、みんな気を失ってるよ。僕のローブもアレで壊れてしまった。だから動けるのは君だけだ」
「カクテラル」
呼びかけても反応がない。敵のローブが止まっているようにカクテラルまで気絶してしまったのか。
「いまのうちに、敵をすべて破壊するんだ」
サイカはヘスデネミィと操縦を取り戻す。ふらつきながら動いて、ただ止まっている敵のローブを壊していった。ヘスデネミィに似ているローブについてもすぐには動けないように足と手を切り離した。
「勝ったのか……」
「まあ、そういうことになるかな」
「あれはなんですか?」
「天使の声だよ。本物じゃなくて、劣化して保存したコピーだけど」
まるで説明になってない。
「天使というのは神様の使いで兵隊みたいな」
そっちじゃない。
「つまりは簡単にいうとこういう精神を飛ばす行為と同じで、ただものすごく大量に、圧縮したもの一気に送りつけることで受信側をパンクさせるわけ。ローブには人間やジェネルからの意志を受けて機体を操る機能があるけれど、そこを逆流してくると一気に衝撃を受けて気絶してしまうし、ローブ自体のミスリルにもバグが生じて動作に影響がでてくる。ローブにつながってなくても気分はかなり悪くなるしね」
そんな危険なものをどこから手に入れたんだ、とサイカは思う。
「ヘスデネミィはいくらかそれを防ぐ機構が備わっているはずで、ついでに君はたまたまローブの操縦を離していたから被害が少なかった。僕の期待通りだった」
サイカは、ギリィンについて評価を塗り替える。有能で危険な人間だと思っていたが、それは過小評価だった。危険度のレベルがまったく違う。
「ありがとう」ギリィンの言葉が届いた。「じゃあ、みんなを起こしてずらかろうか。あいつだけは忘れずに持ち帰ること」
サイカは、倒れていたアードラとジッカに近づいた。揺さぶってライとメイに呼びかける。ギリィンもヴィブラリィアンを同じように揺すってオフトゥを起こそうとしていた。
気絶していたはずのカクテラルが小さな体を震わせながらつぶやいた。
「姫様、避けてください」
「なに?」
「あいつがいます……」
カクテラルが再び気絶した。
肌ざわつく。
天使の声ではない。
あいつ、あいつだ。
ローブを大きく横に動かす。背後から振り下ろされ大鎌を避けた。体勢を立て直す。正対し、現れたローブを見据えた。白いローブが大鎌を地面に立てている。
サイカは頭に血が登っていくのを感じた。
感じたが冷静になろうとは思わなかった。
「俺を一度、殺しやがった……」
ナイフを構え、すぐに飛びかかる。振るわれた鎌はすんでのところで止まり、かわして、詰め寄る。刺した、そう思ったが避けられていた。
「あいつは、魔女のア・ト」
ギリィンの喚声と喜んでいるような声が届く。
「近くにいたなら天使の声に潰されているはずだけど、この国の奴は無駄に対策なんか積んで。神様と戦うつもりもないくせに」
名前なんてどうでもいい。
今度こそ、殺されない。
完全に、殺してやる。
サイカはヘスデネミィを操り、連撃をしかける。しかし、ア・トにかわされた。しかし、攻撃をやめるわけにはいかない。こいつはステルス機能を持っている。離れて、消えられてしまっては一方的な不利になる。第一撃をかわせたのはカクテラルのおかげだ。カクテラルは以前のデータを参考に外界の小さな変化も捉えられるように警戒していたのだろう。だが、そんなカクテラルも今は倒れている。
「無理だ。勝てない」ギリィンが言った。「機体のスペックも、操縦者のスペックも劣っている」
「一度、引き分けまで追い込んでる」
そのとき死にかけた。
「それは十回やって、一回あるかどうかのチャンスを掴んだ瞬間だよ。今日は残り九回の日だ」
「なにか切り札はないのか?」
「もうない。天使の声は壊れたし、そもそも対策もされているようだ。僕のローブも壊れて一歩も動けない」
絶望しかない。せめて誰か起きてくれれば。
「うう……」
うめき声が届いた。誰のだ。しっかり聞くとライのもののように思えた。けれど、すぐに途絶えてしまった。戦闘の衝撃を受けて、また気絶してしまったのか。
サイカはもう限界だった。戦闘がずっと続いている。万全な状態でもきびしい相手だ。気を抜くと一撃をもらってしまいそうになる。あの大鎌はヘスデネミィのナイフと一緒でミスリルを抵抗なく切り裂く。だから一撃ももらうわけにはいかない。
「サイカ……。どうなってるの?」メイが起きた。「あたまいたい……」
メイがジッカを起こそうとしているらしい。昆を杖代わりに体を支えようとしている。
そのとき、ア・トが姿を消した。近くにいたサイカにはかろうじて鎌の様子から位置が判断できる。このまま見逃さないように攻撃を続けるしかない、とそう思ったとき、ア・トの考えがわかった。
ア・トが鎌の弧を描いて動いた。予想外の動きで追いきれない。しかし、終点はわかってる。メイのジッカだ。復帰する前にトドメを刺してしまおうと考えたのだ。
サイカはア・トの軌跡をなぞるのではなく、直線でジッカの元へ向かう。それでも追いつけない。鎌しか見えないが、こちらよりはやくメイの元に辿り着く。
「メイ、逃げろ」
「なに?」
「なんでもいいから逃げるんだ!」
大鎌が薙ぎ払うように動いた。しかし、円弧を描ききれずに刃先が宙に舞った。アードラが鎌を切ったのだ。そしてア・トを抱えて押さえつける。
ヘスデネミィが追いついた。
「やれー!」ライの声。
ヘスデネミィがナイフをア・トの胴に刺さり、そこから切り裂いた。ア・トに白い色が戻る。限界を超えたアードラが崩れ落ちた。サイカはトドメを刺そうとア・トに再度攻撃をしかけた。しかし避けられる。
大きく飛び上がったア・トが叫んだ。
天使の声のような気色の悪い音。
それからどこかへ飛び去ってしまう。
また倒せなかった。けれど、今度は殺されなかった。
「ハハ、奇跡の大勝利だ」
ギリィンが陽気な声を届けた。
サイカはヘスデネミィを動かしてアードラを支える。
「どうして。気絶してたんじゃなかったの」
「お前がやったのと同じだよ。起きたとき、偶然、ローブのインターフェースから離れてしまっていることに気付いた。で、すぐにつなぎ直そうかと思ったけど、なんかやばそうだし、サイカがやったことを思い出して、スキを伺ってた。近づいてきたら足にでもしがみついてやるってさ」
ローブにつながなければ意識が相手に届いてしまうことはない。
だから死んだふりができたのか。
「ふたりとも喜ぶのはいいけど、はやく逃げよう。追手が来ないとも限らない。オフトゥを叩き起こして、誰かがあのヘスデネミィに似たローブを担いでくれ。それから……」
ギリィンが言った。
「僕のローブも忘れずに抱えていくこと。もうまったく動けそうもない」
§
夜。戦いの地から離れた森の中で、サイカたちは簡易的な野営の形を作り、休んでいた。チェストーガには連絡してあり、明日になってから合流することになっている。オフトゥが辺りの見回りにでていて、サイカたちは四人と二匹で焚き火を囲んでいた。
「それじゃあ、あのローブは約束通り僕がもらっていくよ」ギリィンが笑顔で言った。「僕のローブは完全に壊れちゃったし」
「ちょっと待てよ。あれは首都の鍵なんだろ。それをどうにかしてくれる約束だ」ライがギリィンにくってかかる。
「この国の首都エーゼットはいつごろできたものか知ってるかい?」ギリィンが問いかける。
ライは首を振っていた。
サイカもわからない。まともな勉強などしてこなかった。
しかし、メイは自信のある様子で答えた。
「およそ四百二十年前です」
「そう。今の国の建国が三百年前なので、実はそれより古いことになる。国が変わっても首都はそのまま残されたんだ」
「だからなんだよ」
「つまり首都の壁もその鍵も今の共和国より古く、まだこの国が王国だったころから存在していることになる。そして、あのローブが王国由来のものでかつ首都の鍵であるならば、鍵がもうひとつあるとは気付かないか?」
「ヘスデネミィ」サイカは声をあげた。
「そう。君たちは鍵を持っていた」
「じゃあ、俺たち、命がけのただ働きさせられたってことかよ」
「いや、情報料だろ?」ギリィンが微笑む。「使い方がわからなければ鍵は鍵の用をなさない。それに命がけになったのは誰かさんの暴走のせいだ」
確かにあれ程の戦闘になったのはライのせいだ。人助けではあったが、事実としてそれは動かない。しかし、そう言われて納得できるようなものでもないだろう。ライはどこかむくれた様子でなんとか耐えているようだった。
「カクテラル。ちょっと僕の膝の上にきてくれ」
「断る」
「じゃあ、鍵の情報が渡せない」
カクテラルがサイカを一度見る。サイカは頼むように頭を下げた。カクテラルがしぶしぶギリィンの元へ歩き、膝の上に衝撃を与えるように飛び乗った。
「痛いなあ。撫でてやろう」
ギリィンがカクテラルをやさしく撫でる。しかしカクテラルは嫌そうな顔をし続けていた。
「腹を出して。この辺りにコネクタがあるだろう」
ギリィンがカクテラルのお腹の毛をかきわけた。
「あった。ラジニア、ここ」
ラジニアが尻尾を鋭く変形させるとギリィンの声に従ってカクテラルのお腹へ突き刺した。少し心配になる。
「わかった?」
「理解した」カクテラルが答える。それから体をもぞもぞとくねらせた。「もう良いだろう。離してくれ」
ラジニアの尻尾が引き抜かれるとカクテラルがすぐにギリィンの膝の上から蹴飛ばすようにして降り、サイカの後ろへ戻った。
「これで約束通り鍵については解決した。だからあのローブはもらっていくよ」
どうも納得がいかないというライ。そこへオフトゥが戻ってきた。
「ひとつ相談があるのだが」
「なに?」
「仲間にはなってくれないか?」
「まるで期待していない質問じゃないか」ギリィンが笑う。「そのとおり、お断りだ」
わかっていた。ギリィンはそんな人間じゃない。
「この国のために君たちに協力したいという気持ちは山よりも深くあるのだけど、僕も目的を果たしたからには自分の国に帰らないといけないんでね。残念だ」
嘘つき。というか山の深さというのならマイナスだ。
「では、あちらのローブだけでも譲ってはくれないか」
オフトゥが壊れたローブを見る。ギリィンが乗っていたものだ。
「それはいいけど、天使の声はもう使えない」
ギリィンが微笑む。すべてわかっているという調子だ。
「あれは、一回限りの切り札だった。ミスリルで自動修復されることもない。それぐらい特別なものを使って君たちを助けたということは理解してほしい」
「わかった。ローブだけでもありがたい。うちは戦力が足りていないからね」
「だろうね」
ギリィンがさらに口角をあげる。
「だから、少しだけ手助けしてあげるよ。今、できる範囲でね」
ギリィンが立ち上がってローブの方に歩いて行く。みんながわからないままその後に続いた。ヘスデネミィの足元、しかし、ヘスデネミィではない物体の前で足を止めた。それはアードラが切り落としたア・トの武器だった。残されていたのをギリィンの指示で拾ってきたのだ。
「壊れているけど、直して使えるようにしよう」
ラジニアが尻尾をドリルに変えて、回転させると、鎌の柄に突き刺した。耳障りな音が響く。音が止むと、コンソールのような画面が表面に浮かび上がってきた。画面下部にはキーボードも表示されている。
ギリィンが両手で何かの文字を打ち込みはじめた。
「なにしてるの?」
「ミスリルに打ち込まれたプログラムを書き換えている。幸い、これを作った奴は天才だ。僕に読めないような酷いコードが書かれてはいない。これが我流のバカが書いたものだと酷いんだ。大昔のやつとかね」
プログラム? 言っている意味がわからない。
「ミスリルはプログラマブルな金属だ。厳密に言うとプログラマブルな状態に精製されたミスリルはということになるけど。どういった形にするか、どういった変化を起こすか、どういった機能を出力するか、そういったものが全部、金属自体にコードで書き込まれている。ヘスデネミィのバグズナイフやこの鎌はそれを悪用して、相手のプログラムをハッキングして切断してるわけだ。だから物理的な抵抗がほとんどない。そんな高度なものを書ける人間はそれほどいないけどね。いや、普通のコードを書ける人間もいまはあんまりいないか。全部、ジェネル任せになった」
ギリィンは手を動かし続けている。時折、真面目な表情になって考えるような様子で手を止めるが、すぐに笑みを取り戻し、またコードを打ち込んでいった。
時間がかかるのかもしれない。はじめは眺めていたが、だんだん疲れから座ってしまい、眠ってしまったらしい。
そして、目を覚ましたとき、ギリィンの姿はなく、短くなった鎌の柄が置かれていて、サイカはヘスデネミィの中で男に戻っていた。
起きていたらしいオフトゥに尋ねると、疲れを取るための機能がヘスデネミィにあると言われ、乗せるところまでは手伝ったと言っていた。それから、もう行かなければならないというギリィンと別れたらしい。
サイカが姫から戻されてしまったことに、カクテラルが怒っていた。どうもラジニアとつながったときに記憶をいじられて、肉体の変換機能について書き換えられていたと話した。なにからなにまでギリィンの手のひらの上で動かされてしまったように思う。
「おわ、戻ったのか」起きてきたライが言った。
「前のほうがかっこよかったのに」メイが言う。
なんともひどい反応だが、元の体に戻れたことが嬉しいのでさほど怒りは湧いてこなかった。
「さあ、行こうか」
§
ギリィンはローブに乗っている。
しかし、動かしているのはジェネルのラジニアで、ギリィン自身はインターフェースにつなげていない。ラジニア経由でもない。それはサイカたちと共にいる間も同じだった。あのときギリィンの思考として周りに伝わっていたものはギリィンがラジニアの背中に出したキーボードから打ち込んだ言葉だった。ラジニアにはそういった機能を備えている。
ゆえに、ギリィンの考えが外に伝わったことはない。
「この辺でいいかな。止まって」
ローブが停止して着地する。森の中に身を隠すようにしゃがんだ。ギリィンとラジニアはローブから降りる。
切り落とされたア・トの鎌にしたように、ラジニアが尻尾をさして、ローブの表面にコンソールを出す。
ギリィンは手慣れた動きでコードを打ち込むとローブが次々に解体されていった。そうして、中央に小さな銀色の球体が残る。ギリィンは球体へ近づいてから、拾い上げた。尻尾をローブから離したラジニアも足元へやってくる。
「今回はなかなか大変だったね。ほら」
ギリィンは球を軽く放る。ラジニアがジャンプして加えるとそのまま飲み込んだ。ラジニアが話す。
「ヘスデネミィはよかったのですか? あれにもオリハルコンは埋め込まれています」
「ほしいといえばほしいけどね。二兎を追って失敗するのも難だし、どうせ彼は僕の元へ来るよ。革命に失敗しても、成功しても、どちらにせよね」
ラジニアが余計なことを言ったと謝るように頭をさげる。
「それじゃあ、そろそろこの国から出ようか。帰りの切符もあればよかったのだけど、入るのがたやすくても出るのはむずかしいらしい。よろしく頼むよ、僕の元まで」
「はい」
答えるとラジニアがギリィンの喉元に噛み付いた。そうしてギリィンを噛み砕いて食べていく。血はほとんどでない。浅い怪我をした場合のカモフラージュ用でしかないのだ。
ギリィンはジェネルだった。
ラジニアには食べたジャネルの情報を蓄える機能が備わっている。
ラジニアだけなら警備のローブから逃げ、国境の壁を飛び超えることが容易にできる。
ラジニアが国境へ向けて駆け出した。
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