第56話

 気付くと僕は横になって天井を見上げていた。

 なにかがおかしい。普通の家じゃない。

 よく知らない白い円状のものが光ってる。

 僕はしばらくそれを見ていた。霞んでいた意識がどんどんはっきりしていく。

 あれ? ここはどこだ? 

 僕らは空を飛んでて、それから湖に落ちたはずじゃ――

「……そうだ! ウィスプ! ウィスプはどこ?」

「……ここです」

 ウィスプの声は僕の下から聞こえた。

 声の方を見てみると僕の手が人の姿になったウィスプの胸をしっかりと掴んでいた。

 むにゅむにゅと柔らかい感触が伝わってくる。

「うわああぁっ! ごめん!」

「……だからダメって言ったのに……」

 僕は体をどかして慌てて手を放し、ウィスプは恥ずかしそうに胸を隠した。

 気まずい空気が流れる。

 まだ柔らかな感触が残っていてドキドキした。

 それにしてもここはどこなんだ? 見たことのない物ばかり置いてある。

 するとウィスプが何かに気付いた。

「……あ。ここ、女神様の世界ですね」

「……え? そうなの? ここが?」

 思ってたのと全然違う。

 なんというか雑然としている。

 女神の世界といえばもっと神々しい清らかな世界を想像していたのに。

 ウィスプはこくんと頷いた。

「はい。見たことある物がたくさんあります。少しですがここで暮らしていたので」

 そう言ってウィスプは僕に説明し始めた。

 床に敷いてあるのはタタミという草を編んだ物らしい。

 火だと思った明かりはデンキというものでついているらしい。

 その他にもあの板はテレビ。この棒はリモコン。ポット。スマホ。ペットボトル。ハンディマッサージャー。マンガ。ビーエル。ウケ。セメ。ネコ。タチ……。

 よく分からなかったけど、どうやら僕は異世界に迷い込んでしまったらしい。

「そっか……。ここが女神様の世界……って! 早く帰らないと! フレア達がフェンリルと戦ってるのにこんなところで油売ってる暇ないよ!」

 僕が叫ぶと壁だと思ってた物がガラッと開いた。

 えっとフスマだっけ?

 そこにいたのはだぼっとしたジャージとかいう服を着た女神様だった。

 なんか最初会った時と随分印象が違う。

 神々しさが微塵もない。まるで町娘だ。

 女神様は眉をひそめた。

「ちょっと自分声でかいで? 近所迷惑なるやん」

「あ、すいません。……って女神様っ!? ちょうどよかった! 早く帰して下さい!」

「うるさいなー。ちゃんとスマホで見てたから状況分かってるって。ええから座りーや」

 女神様はうるさそうにしながら座り、自分の横にあったザブトンとかいうクッションをぽんぽん叩いた。

 急いでいるのにと僕らは焦ったけど、仕方なく座った。

「……あのー、早く帰して欲しいんですけど……」

「自分さ。帰ってどうするん? あの犬倒すんか?」

 自分ってのは僕のことだよな?

 犬はフェンリルだとして、どういう意味だろう?

「え? ……それはまだ考えてませんけど、なんとか弱らせてそれから……」

「金の首輪とかいうんを壊すって? 無理無理。あれが本物似せて作ったバッタもんやったら頑丈にできてるはずやし、一度付けたら外れんようになっとるからな。付けたもんが外すって言うなら別やけど。無理やろ? あの金髪なんか中二病っぽいし」

「そんな……。じゃあどうしたら…………」

 僕の脳裏に悲しい選択が浮ぶ。

 生きている限り操られるならいっそのこと……。

 でもフレアとしずくに殺させるなんてことにはあまりしたくない。

 悩む僕を横目に女神様はポテチを開けて、ダイサンノビールを飲みながら答える。

「一個だけ方法があるで。聞きたい? へたれ攻めのアルフ君」

「あ、あるんですか? なら教えて下さい!」

 ヘタレゼメの意味は分からないけど今はそんなことは気にしない。

 女神様はニヤッと笑った。

「命令が下されるなら上から掻き消せばええねん。もっと強い命令でな」

「……それって」

「せや。女神の首輪や。あれは対モンスターに於いて全ての命令を凌駕する最上級のアイテムやからな。ちょっと高いけどあれを付ければ犬も言うこと聞くはずや。前の命令も解除されるやろうね」

「じゃあ――」

「でも万能やない。既に三体も使役してるアルフ君が四体目、それもフェンリル程の大物となれば障害も出てくる。例えれば手綱に食い殺されるわけや。分かる? 四匹の犬が別々に動いたら体おかしなるやろ? そんな感じ。まあ分からんやろな。女神の首輪を付けると見えない線みたいなんで繋がれるんや。いわゆる『絆』ってやつやな。でもそれが多いと絡まるし、体にも食い込む。目には見えへんけどそれは魂を引き裂いていくわけや。気付いた時には魂が砕けて死んでる。みたいなこともあるらしいわ。ちびるでほんま。それでもって言うなら考えるけど」

「それでもやります!」

 僕は決意して女神様を見た。

 怖いけど、僕が頑張ればフェンリルの命は救えるかもしれない。

 なら選択肢は一つだ。

「アルフ様……」

 ウィスプは心配そうにしている。

 女神様は僕を観察するみたいにじっくり見つめ、ニコッと笑った。

「さよか。まあいざという時には助ける手がないわけやないし、今日んとこはそれでいこか?」

「はい! だから早く僕を元の世界に帰して下さいっ! 僕は皆を守らないとだめなんです!」

「へえ。へたれ君も成長したな。ちょっと残念。強気受けの彼と弱気攻めの君がちょうどええなあとか密かに思ってたのに。ま、ええか。待っとき。首輪探すわ。確かタンスにっと」

 女神様はよっこらしょと腰を上げ、タンスを漁り出した。

「……ん? あれ? ないやん」

「え? それって女神の首輪がですか?」

 僕が慌てると女神様は手をひらひらと動かす。

「ちょい待ちーって。なあ、おかあーちゃん? おかーちゃんて。うちの首輪知らん? この前ヨドバシで買ったやつー。なんかないねんけどー」

 女神様はフスマの向こうに問いかける。

 すると少し歳を取った女の人が返事をした。

「なんでお母ちゃんが知ってんねんな。あんたがなくしたんやろ?」

「でもちゃんとここに入れてんって! 誰か取ったんちゃうん?」

「あ、じゃあお父ちゃんやろ? なんか探しとったし。もうお母ちゃん出るで。町内会の会合があるって言ったやろ。ほんまそんな風にガサツやからいつまで経っても彼氏できんねんで?」

「うるさいわ。もう知らんならさっさと行きーよ」

「はいはい。じゃあ行ってくるでー。あ、お芋さん炊いとたからお腹減ったら食べといてなぁ」

「ええて。もう芋はぁー。いらんって言うとるやんかぁ」

 それからバタンと音がして会話はやんだ。

 女神さんは僕の方を見て微笑む。

「ごめん。なくしたわ」

「ええええっっ!? そんなあっさりっ!? どうするんですかっ!? 早くしないと戻った時には山どころか森も町も吹き飛んでるかもしれないんですよ! あの二人が暴走したらどうなるか分かったもんじゃないんです!」

「なんの心配してんねん。もううるさいなー。今からヨドバシ行ってくるからちょっと待っといてや。あ、お芋食べる?」

「今そんなもの食べてる場合じゃないですよ!」

 僕が抗議してるとまたフスマの向こうからさっきと同じ声が聞こえた。

「あんた首輪あったでー。ジローが付けとったわー」

「なんでやねん。あー。きっとお父ちゃんやな。もうほんまかなわんで。勝手に娘の部屋に入るって。まだうちのこと子供やと思っとんねんから。あったって。とって来るわ」

 女神様はフスマを開けて外に行き、また戻ってきた。

 そしてやけに犬臭い首輪を僕に渡す。

「うちの飼い犬が付けとったわ。まあ、あの子も犬やしいけるやろ。あれやったらファぶる?」

 よく分からない瓶を持つ女神様に僕はかぶりを振った。今は一刻も早く戻らないと。

「そ? じゃあ元の世界に戻すわ。二人並んでそこに立って」

「は、はい。ウィスプ」

「分かりました」

 言われた通りに僕とウィスプは手を繋いで並んだ。

「なんだか手を握るのなんて久しぶりですね♪」

 そんな呑気な。

 僕はもしかしてフレアの炎で僕の小屋が燃えてないか心配なのに。

 女神様は手で円を描く。それは複雑な魔術式となっていく。

 すると来た時に見た黒い空間が僕らの足下にゆらりと広がった。

「豊穣の女神が命じるとかなんか長い枕詞があったけど忘れたから強く当たってあとは流れで」

 適当な詠唱が終わると僕らの体は黒い空間に包まれていく。

 かと思えば床が抜けて暗闇の中に落ちていった。

「うわああああああああああああああああぁぁぁぁぁっ! これ慣れないいいぃぃっ!」

「きゃあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!」

 ウィスプは僕にぎゅっと抱き付いた。

 去り際に女神様はひょいと片手を挙げた。

 そして気楽な笑顔で別れを告げる。

「ほな、また」

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