第5話

 そうして今、僕はなにもない畑で膝をつき、絶望の淵を彷徨っている。

 こうなった時、頭に浮んだもの。それはパートナーだったウィスプの顔だ。

 いつも優しく、慎ましい生活に文句も言わずついて来てくれた。

 妹のような、姉のような、母のような。それかまたは…………。

「ウィスプ……。せめて最後にウィスプに会いたい…………」

 既に涙も涸れて出なかった。

 だけどそんな僕にかけられる言葉は慰めじゃなく、要求だった。

「ねえ、お肉まだー?」

「たまにはフライもいいわね」

「うわあああああああああああああああああああああぁぁぁぁッッッッ!」

 このままじゃ殺されて揚げられて召し上がられる。

 そう思った僕は発狂して女神の森に走った。

 頭の中ではウィスプに会いたいしか考えられない。

 ウィスプ、ウィスプ、ウィスプ。

 僕のウィスプは一体どこに?

 気付くと僕は湖の前にやって来て叫んでいた。

「お願いします女神様! どうか僕のウィスプを返してください! フレアとしずくを返しますから! 毎年野菜も奉納します。だからどうかお願いします!」

 しかし返事はない。水面は穏やかに揺れ、木々は風にそよぐだけだ。

「なんなら二人だけでも引き取ってください!」

 僕がそう言った時、背後から声が聞こえた。

「あ、見つけた♪」

 そこにいたのはフレアとしずくだった。

「なにをしてるの? 早く戻って食事の準備をしなさい」

 腰に手をあてて促すしずくの目が銀色に光った気がした。

「い、いやだ! うちにはもうお金がないんだ! 僕はまたウィスプと暮らす。二人は女神の世界に帰ればいいじゃないか!」

 僕は我慢できず、思ったことを全て口にした。

 しかし最後の言葉を聞いた二人の反応を見て、背筋が凍った。

 ギラリと光る金と銀。それは怒りに満ちていた。

「……また、あそこに戻れって言うの?」

「……そう。残念だわ。あそこに戻るくらいなら、この森ごとあなたを消し去りましょう」

 次の瞬間、僕の目の前にいた二人の少女は、本当の姿を現した。

 一頭は黄金のドラゴンだ。巨大な体にはびっしりと固そうな金の鱗を纏い、尖った尾に尖った翼を持っている。金色の瞳はギロリと光り、大きな口には鋭い牙がたくさん見えた。

 もう一頭は白銀のグリフォン。尖った黄色い嘴を持つ鷲の頭に鬣と鋭い爪を持つ獅子の体。そして天使のような白い羽を蓄えた翼を広げる。その体の周りには風が操られていた。

 先程まで森の木々でいっぱいだった僕の視界は二頭の巨大な魔物に占拠された。

 その光景を見た僕は愕然として膝を折った。

「……そ、そんな…………」

 僕は目は二頭の足下に釘付けだった。そこには破れたウィスプの服があった。

「服があぁっ! どうすんの? もう服を買うお金もないんだよっ!? ウィスプに裸でいろって言うの?」

 言いながら、それも悪くないなとか思ってしまった。

 だが僕の気持ちと共にやぶれた服は巨大な足に踏みにじられた。

 金のドラゴンと銀のグリフォンが冷たく言った。和zさzdsxzxz12q

「この服村人っぽくてダサいし、どうせそのウィスプって子も着たくて着てないよ!」

「この際だから代わりを買ったらどう? 村人の服じゃなくて」

「村人をバカにするなーッ!」

 もういい加減腹が立ってきた僕は怒鳴った。

「村人だって好きで村人をやってるわけじゃないんだ。村でしか生きていけないから村人なんだよ。それを村人村人って蔑んで。これ以上村人をバカにしたら僕は村人として許さない。村人を代表して村人パンチを食らわしてやる!」

 僕は拳をぎゅっと握った。喧嘩なんてしたことないけど、これ以上は譲れなかった。

 だけど目の前に立ちはだかる二頭はあまりにも強大で、到底村人が敵いそうではない。

「村人村人ってうるさい!」

 ドラゴンの口に炎を見た瞬間、僕の決意は呆気なく灰と化した。

「ひいぃっ!」

 フレアの口から放たれた炎を必死の横っ跳びで回避すると、後ろの湖から水蒸気が上がり、さらに奥にあった森の木々が燃え上がる。

 言葉にならない恐怖を抱いた僕に対して、銀のグリフォンが冷たく告げる。

「村人は村人らしく言うことを聞きなさい」

 しずくは風を操り木々を切り取ると、その先端を鋭く尖らせ、僕に向って投げつける。

「ひやああぁっ!」

 僕が湖の畔を駆けて逃げた。後ろでヒュンヒュンと風を切る音が聞こえ、着ていたシャツの後ろが無くなっている。僕に当たらなかった木々は湖に突き刺さった。

「ごめんなさい! ごめんなさない! ごめんなさい! 許して下さいっ!」

「許さない」

 情けない僕は涙を浮かべ謝りながら逃げ惑う。

 しかし二頭は躊躇無く炎と木の槍をぶつけてきた。

 一秒ごとに命の危険を感じ、一瞬ごとに理不尽を感じた。

 大体許さないってなに? 僕はなにも悪いことしてないじゃないか。そんなに女神の世界に帰るのがいやってこと? ウィスプはどんなところに閉じ込められてるんだ? 

 他人の心配をしてる余裕なんて一ミリもないのに、僕は必死に足を動かしながらウィスプのことを考えていた。

 命懸けの回避はあっと言う間に僕の体力ゲージを空にする。

 足が棒のように重く、もう動けない。

 力尽きた僕は背中からぼとんと湖に落ちて、そのまま沈んだ。

(ああ……。僕はもうダメだ…………。最後にウィスプ、君に会いたかったな……)

 朦朧とする意識の中、僕の目に映ったのはゆらゆらと動く日差しと、赤い炎。そして無数に見える木の槍の影だった。

 その影がゆっくりと近づいてくる。

 僕は走馬燈を見ながら、一つだけ後悔したことを呟いた。

「……もっと……、広い世界を見たかったな………………」

 僕は生まれてからずっとマズーロ村に住んでいる。近くの町に行ったことはあるけど、それくらいだ。

 僕の世界は悲しいほど狭く、小さく、刺激がなかった。

 死ぬ前にウィスプと世界を旅したい。だけどそれも今となっては叶わぬ夢だ。

 なぜなら僕の人生は一秒後に終わるのだから…………。

 僕は僕の人生を諦めた。

 それと同時に聞き慣れた声がした。

「見れますよ」

 その声は純粋で透き通った優しい声だった。

 誰よりも聞いた声だ。

 そうこの声は…………。

 ウィスプの声だ。

 次の瞬間、絶望の影に支配されていた僕の視界は、青白い光で溢れた。

 気がつくと僕の体は湖の上で浮いていて、その傍らには優しく微笑むウィスプがいた。

 人の姿をしたウィスプは肩まで伸ばした髪を水に濡らし、柔和な瞳と幼さの残る人懐っこい顔をしている。

 裸なのを除けばいつも通りのウィスプだった。

「お久しぶりです。アルフ様」

「…………うん。久しぶり……。会いたかったよ…………」

「私もです」

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