『ウエディングは金縛りと共に』

《……11月22日、全国の天、ぜんこ、天きき……『ねぇ、ラクタくん。11月22日はいい夫婦の日だってね』……りがとうございました。続いては……》


 ひんやりとした晩秋の朝。何の変哲も無いニュースを流していたラジオ番組から、耳障りなノイズ混じりの女性の声が突然流れ出した。だが、この部屋の主であるラクタは狼狽える素振りすら見せない。ノイズを吐くラジオにつかつかと近付くと、ためらいなくその天辺を叩く。その途端、ラジオの中から半透明の女性が弾き出されるように飛び出した。

 彼女の名前はメルカ。死して尚ラクタに取り憑いている“幽霊”だ。ラクタは悪戯っぽく笑っている彼女を見下ろしながら、呆れたようにため息を吐いた。その横で、ノイズの原因が消えたラジオは何事も無かったかのように再び番組を流し始めていた。


「ねぇ、聞いてた? 今日はいい夫婦の日だってさ」

「……そうか」

「私もねぇ、死んでなかったらねぇ……」

「そうだよな」

「ん、ラクタくん? どうかした?」


「……メルカ。結婚、しないか」


 突然投げ込まれた爆弾のような発言に、『はぁ』とメルカの口から言葉にならない息が漏れた。柔らかな朝日が射し込む部屋の中、覚悟を決めたラクタは凛々しささえ感じさせるような瞳で、メルカをじっと見据えて彼女の答えを待っている。だが、一方のメルカは“驚天動地”という言葉を体現するように、ラクタの前でひっくり返ったり意味も無く旋回したり、いつもの飄々とした態度を崩して混乱していた。


「え、ええ!? 死んでるのに? あ、そうだ! 手続きとか、面倒なんじゃ……」

「逆に、しがらみが無くていいんじゃないか」

「いや、そうじゃなくて。ちょっと待ってよ、心の準備ってものが……」


 彼女にとって、今日は何の変哲も無い普通の1日になるはずだった。突然現れた"特別"に、ロマンスも何もあったものじゃないと不満げに口を尖らせていたメルカだったが、ラクタの『いい夫婦の日なんだから、これ以上ない良い日だろう』というカウンターにただ頷く事しかできなかった。 


「……あー、うん。私がそう言ったんだもんねぇ」

「うん」

「……ありがとう、その、幽霊の身でよければ……」


 メルカはすでに鼓動など持たないはずの胸を押さえながら、ラクタのプロポーズを受け入れた。そして、彼女が伸ばした透き通った手は、受け入れようと差し出されたラクタの手の中に文字通り吸い込まれていった。手が握り合えないふたりなりのコミュニケーションなのだが、ラクタはその度に手が冷え切ってしまう事をメルカには黙っていた。


「で、どうするかな。夫婦になったはいいけど」

「あ、じゃあ私、あれやりたいなぁ。“病める時も健やかなる時も……”ってやつ」


 『アレかぁ』と、ラクタは腕を組んで椅子に深くもたれかかった。メルカは次第にいつもの調子を取り戻したようで、ラクタに対して『新郎と新婦が揃っているのだから、できない事は無いはずだ』と詰め寄る。

 だが、今のラクタとメルカは式場の予約すらできない身の上である。その事はふたりとも重々承知していた。ラクタは椅子から立ち上がると、部屋の片付けついでに仮の式場造りを始めた。彼が手伝って欲しそうにメルカを横目で見やると、彼女は『私、物に触れられないからねぇ』と、わざとらしく壁に吸い込まれていった。



——

————



 『さあ、片付いた』。ラクタは小綺麗になった部屋の真ん中で、服の埃を払った。いつの間にかメルカも再び彼の横に浮かび、その体に窓から射し込む日の光を透かしている。風も無いのに彼女の髪が揺れ、その下の瞳がラクタの顔をじっと見つめていた。彼はそれに応え、彼女の方へと向き直る。ふたりだけの結婚式が始まろうとしていた。


「ええと……“病める時も、健やかなる時も”」

「“富める時も、貧しき時も”」

「お、“お互いを愛し、敬い、助け合い……” なんか、恥ずかしいね、コレ」


 メルカは霊体にも関わらず頬を赤くさせた。よくよく考えれてみれば、この口上を読み上げるのは新郎新婦ではなく神父のはずだ。『“選手宣誓”と間違えた気がする』とラクタは薄々勘づいてはいたが、メルカの軟派な態度が面白かったので黙っていた。


「……さ、続けるぞ」

「う、うん。最後までやるんだね?」

「ああ。……“死がふたりを分かつまで、真心を尽くす事を誓いますか”」


 ラクタは神父の口上を、最後まで一片の迷いも無く言い切った。だが、その言葉の後に続くものは無く、無言の時間がラクタとメルカの間を流れていった。しかし、それは誓いに対する躊躇いでは無い。これが漫画ならば、ふたりの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいただろう。ラクタとメルカはさも『言葉の意味が分からない』と言いたげに視線を交わした。その懐疑の瞳は次第に笑みを湛え、ついには堰を切ったようにふたりで笑い合った。


「……『死がふたりを分かつまで』だってさ」

「死んでも離れられなかったな、結局」


 ラクタはメルカとひとしきり笑い合った後、小さく息を吐いて椅子へ深く座り直した。メルカはその周りを衛星のようにぐるぐると回っていたが、その内にラクタの正面でピタリと止まった。


「……“呪い”と“祝い”って、漢字、似てるよね」

「確かにな。ま、どっちにしても解く気はないけど」


 そう言い終わるやいなやラクタはやおら椅子から身を乗り出すと、文字通り透き通ったメルカの唇とキスを交わした。彼の唇に、金縛りのような幽かな痺れが奔る。先刻から上気し続けているメルカの頬を通して、窓から射し込む太陽の光が輝いていた。


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