『トリック・オア・テイム(極掌編)』
「歯医者、行かなきゃなー…… でもなぁ……」
寝転がってゲームをいじるアズマこと私の横で、一緒に横たわったエノコロが、いつ終わるとも知れない呟きを繰り返している。彼女の声のトーンはいつもと変わらないように聞こえたが、へたり込んだようなイヌの耳と居心地が悪そうにぱたぱたと揺れる尻尾が、彼女の感情をはっきりと表していた。
「歯医者なぁ。一回行くと長引くし、お金もかかるしね」
「……それもそうなんだけどさ」
『だけど』? まさか、エノコロともあろう人が痛みに弱いのだろうか? 何かを隠しているような彼女の言葉に、私はふつふつと興味が湧いてきた。私が続きを促すと、彼女は緊張気味に耳を立てた。その心はきっと、『誰にも言うな』。『分かった』と頷くと、彼女の耳は再びへたり込んだ。これは勘だったのだが、当たっていたようだ。
「歯医者って、仰向けになるじゃん? あれ、服従させられてるみたいで何だかなぁ……」
なるほど、なるほど。つまり……
「こういうの、嫌なんだ?」
私はエノコロにやおら組み付くと武道の寝技めいてぐるりと回転し、彼女を仰向けに転がす。立ち上る埃っぽい空気の中で、私の手から放り出されたゲーム機が、カランと乾いた音を立てて床に転がった。
……それっきり、部屋の中では物音ひとつしなくなってしまった。外を通る車のエンジン音だけが、私達の鼓動めいて近付いては遠ざかっていく。四つん這いの体勢となった私の眼下で、ひっくり返ったエノコロが呆けたように口を開けている。私の影が落ちたその顔は、やけに赤らんで見えた。
「……アズ。いつか借りは返してもらうから」
上気したエノコロの哀願するような声に、私はもう一度『分かった』と頷くしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます