『ふたりの一人旅』

「アズマさん、歯ブラシは持ちました? モバイルバッテリー、充電しっぱなしじゃないですか? それから……」


 ぶつぶつと呟きながら狭い部屋の中を右往左往する五福の横で、アズマが小間物屋を開いたかのように様々な日用品を床にばら撒いている。今日はアズマが長めの外出を行う前日であり、五福はその準備の手伝いをしていた。ただ、今回の小旅行では、“アズマが初めてビジネスホテルに泊まる”という(五福にとっての)重大な懸念材料があった。


「大丈夫だって。どうせ一泊するだけだし…… それに、ほら。アメニティも色々揃ってるから何とかなるって」


 スマートフォンの画面を突き出しながら、アズマはへらへらと笑う。『それだから心配なのだ』と、五福は脱力して肩を落とした。五福が嘆いている間にも、アズマは良く言えばテキパキと、言い替えれば深く考えずに荷物をリュックに詰め込み始めている。


「そこなんですよ~…… アズマさん、忘れてる事を忘れる事があるじゃないですか」

「その時はその時さ。コンビニもあるし」


 『だから、安心して?』と、アズマは微笑んだ。その綻んだ顔を見て、五福もようやく落ち着きを取り戻す。『アズマさん、そういう所ですからね……』と、五福は何かを言いたそうに髪と耳を掻いていたが、その内に観念した様で、いそいそとアズマの手伝いを始めたのだった。



―――



「おお…… これがビジホか……」


 落ち着いた内装、整えられた寝具、フリーWi-Fi…… まるでおもちゃ屋に来た子供のように、アズマは珍しく目を輝かせていた。『たった一泊だけだが、今日だけはここが私の城だ』。アズマはそう考えながら荷物を下ろす。すると、文字通り“肩の荷が降りた”からか、彼女自身も忘れていた空腹感がしびれを切らしたように湧き出してきた。『次は、夕飯でも買いに行こうか』と、アズマは荷物の整理も早々に切り上げ、財布とスマートフォンをトートバッグに突っ込み意気揚々と扉へと向かった。

 その時。バッグの中から聞き慣れた、メッセージアプリの通知音が響く。慌ててスマートフォンを取り出したアズマは、その画面に映る文字に眉をひそめた。


《From五福:アズマさん、部屋の鍵は持ちました? オートロックな事、忘れないでくださいね》


 アズマは呆れたようにため息をつく。既読も付けずにスマートフォンをバッグに仕舞うと、つかつかと部屋の中へ踵を返す。カード挿しに入れっぱなしだったカードキーを引ったくるように回収すると、一直線に窓の前へ。そのまま勢いに任せ、ガラスに張り付くようにして外を覗いた。


「……やっぱり。五福、なんで居るの!」


 アズマの睨みつけるような視線は、コウモリらしく隣接するビルの外壁にへばりついた五福を捉えていた。だが、見据えられている当の五福は悪びれもせず、今度は逆に『やっぱりカードキー、忘れてましたね』と、いかにも叱りつけるようなジェスチャーで、カードキーが握られたアズマの手元を指差した。

 ムッとしたふたりの顔が窓ガラスに重なり合う。その奇妙な膠着状態から最初に目を逸らしたのはアズマの方だった。確かに、五福がこっそり部屋を覗いていなければ彼女が部屋から締め出される所だったのは確かだ。アズマはスマートフォンを取り出し、ガラス越しに後輩へとメッセージを送った。


《……でも、ありがとう。正直、助かったよ》

《どういたしまして。……私も、アズマさんが楽しく旅行できるのが一番ですから。それじゃあ、そろそろ私は帰りますね。良い旅を!》


 餞別の笑顔を見せながら飛び立った五福は、黒い翼を翻して街灯りの中に消えていった。アズマはその翼の軌跡を眺めながら、その手に握られたカードキーを、彼女自身のため、そして五福のために、忘れないようそっと仕舞った。

 

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