『マーメイド&アンドロイド』

 湯船に深く身を沈め、豊は大きく息をついた。湯船から白い湯気が立ち上る先、小さな窓が黒い夜空を額縁のように切り抜いている。月明かりが届かない代わりに、柔らかな照明が浴室内を照らしていた。豊は浴槽の縁に身をもたれ、その大きな体を湯の浮力に委ねている。彼女が戯れに魚半身を振るう度、波立った湯が白く輝いた。


「……湯加減はどう? 熱くないかしら」

「メアリー。 大丈夫よ、気持ちが良いわ」


 磨りガラスの扉の向こう、メアリーと呼ばれたその人影は、浴室の様子を窺うようにゆらゆらと揺れていた。ここは考古館の宿直施設。数人が入れるはずの大きな湯船があったのだが、今日は人魚ひとりで満杯だ。豊は久しぶりに大きな浴槽で全身を伸ばすことができたようで、自然と顔が綻んでいた。


「……メアリー、まだそこに居るのよね? ありがとう。私のためにお風呂を沸かしてくれて」


 暖かな湯に肩までつかりながら、豊が感謝の言葉を述べる。だが、メアリーは事もなげに『それは違うわよ』と一蹴した。


「今日は私も入るからね。ひとりのためにこんな大きな湯船を沸かすなんて、もったいないじゃない」

「それもそうね…… ……えっと、それはつまり、あなたも一緒に入るの?」


 豊はあからさまに狼狽え、素っ頓狂な声を上げる。慌てて居住まいを正すが、聞こえてきたのはメアリーの笑い声。扉の向こうで、彼女の影が小さく揺れた。


「ふたりで入ったら溢れちゃうわよ」

「……それはもったいないわね。じゃあ、あがるときは湯船に蓋をしておいた方がいいかしら?」

「ええ、お願いします。あと、冷蔵庫の中の麦茶は好きに飲んでね。もう冷えてるはずよ」

「楽しみにしておくわ」


 『何だか私たち、家族みたいね』と、メアリーがふっと呟いた。その言葉は、一緒にお風呂に入るよりも気恥ずかしく、一緒にお風呂に入るよりも嬉しくて。豊はやけに高い天井を見上げながら、『そうね』とひと言だけ相槌を打った。きっと、自分の顔は赤く上気しているのだろう。メアリーに見られるのは何となく悔しいと、豊はより深く湯に沈み込んだ。そんな感情を洗い流すように、湯船からは湯が溢れ出していった。

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