『3×8(掌編詰め合わせ)』

【桑都市の夜、マンションの浴室にて】

【CAST:燦撥】


「部屋選びの時、もっと広いお風呂を探せばよかったかもね」 


 燦と撥のふたりは浴槽の前で屈み、半分ほど溜まったお湯を覗き込む。湯面に映るふたりは、もちろん一糸纏わぬ姿だ。


「でも、狭くても良いこともあるよ」

「本当?」


 燦は浴槽に右手を差し入れ、湯加減を計る。良い塩梅だと、彼女は小さく頷いた。それを合図に、ふたりは息を合わせて湯船に浸かる。

 だが、どう見ても湯船の大きさとふたりの体積はアンバランスだ。ふたりに押し出されたお湯がざあっと音を立ててあふれ、立ち上る湯気が浴室を満たした。


「……狭いおかげで、少ないお湯でも肩までつかれるよね」


ぎゅっと身を寄せ合いながら、ふたりは全身を包む温かさに身を委ねた。今日はよく眠れそうだ。




【桑都市の夜、マンションの脱衣所にて】

【CAST:燦撥】


「撥、今日はどれにする?」

「えっと……」


 『ゆず』、『森林』、『クール』…… カラフルな入浴剤のパッケージをひとつひとつ読み上げるのは、撥の役目だ。燦と撥は狭い脱衣所で身を寄せ合いながら、今宵の入浴の“お供”を品定めしていた。

 ちなみに、ふたりはすでに全裸である。手際が良いのか、あるいは悪いのか。判断がつきかねるところだ。


「私は暖かい感じのがいいな」

「ええと、ゆず、いや、ミルク? うーん……」

「……暖かければ何でもいいけど」

「ごめん、ちょい待ち」


 箱から取っては戻し、取っては戻しと品定めを繰り返す撥。だいぶ飽きてきた燦の背筋をぞくりと寒気が走った。いくら春とはいえ、室内の水場はまだ冷える。静かな脱衣所に、『くしゅん』と彼女のくしゃみがひとつ響いた。


「 寒いよね。暖かいの選ぶから……」

「いや、早く入ろうよ!」


 まだ決めかねている撥を引っ張り、燦は暖かな湯が待つ浴室へと飛び込んだ。今宵のお供は、いつもの“お互い”になりそうだ。




【桑都市、とあるマンションにて】

【CAST:燦撥】


「なんか、頭痛い……」


 霞んだ視界と纏まらない思考。私は痛む目頭を押さえる。『少し休ませて』と、隣の撥に頼むと、彼は二つ返事で了承してくれた。

 私は撥と一緒にベッドへ転がり込む。まだ時刻はお昼過ぎだが、気分は深夜のように深く沈んでいた。太陽の眩しさに目を瞑ると、私の朦朧とした意識はすぐに深い陰の中へと沈んでいった。


ーーーーーーーーー


「んん…… おはよう……」

「あ、起きた」

「撥、起きてたんだ。今何時……?」

「6時過ぎたところ」

「え、夕方? ……撥も寝てたの?」

「いいや。何かあったら困るしね。いやー、つまんなかったよ。……でもさ、無理に起こして、もっと具合悪くなっても嫌だしね」

「……そっか、ごめんね」

「いいよ。それより、体調はどう?」

「うん、だいぶ良くなったみたい」


 私たちは天井を見ながら言葉を交わす。私の中には、彼に対する感謝と呆れが混ざったような感情が芽生えていた。その正体は分からないが、きっと悪いものでは無いのだろう。いつの間にか、頭痛はもう治まっていた。




【桑都市の夜、とあるマンションにて】

【CAST:燦撥】


撥は燦に相対しながら、うっすらとシトリンめいて輝く白髪に櫛を通す。どことなくいかがわしげだが、片腕が繋がっているので『後ろから撫でる』といったことは物理的に不可能。それゆえ、ふたりにとってはこれが普通のコミュニケーションなのだ。


「……燦はさ、髪型、変えたかったりする?」

「変えないよ。だってさ、“コレ”だもの」


 燦はさも興味なさげに、片手でさっと後ろ髪をまとめてみせた。それはちょうど、撥の髪型と同じ位の長さ。


「ああ…… 俺だな」

「でしょ?」


 ふたりは兄妹(あるいは姉弟)ではなく、ひとつの魂を分けた『同一存在』。もしもの話だが、燦が男性であれば撥に、撥が女性であれば燦になっただろう。

 急に現れた鏡写しの自分に、撥も何となく勢いを失ってしまったようだ。『やっぱりそのままがいいよ』と、燦のセミロングヘアの先まで指を滑らせた。



【昼、中央線桑都駅前にて】

【CAST:燦撥】


「雨だ」

「降りだしたねぇ……」


 白一色の空と、灰色の雨雲。ぽつりぽつりと冷たい雫が燦撥の肩を叩き、雨の訪れを告げた。

 立ち止まって空を見上げるふたりの横を、桑都の人々は足早に通り過ぎる。腕が多い人も、角が生えた人も、ヒトと獣が組み合わさった人も、皆同じように傘の中に身を隠していた。


 当の燦と撥も、その手にそれぞれ傘を携えている。だが、その傘は開かれていない。人々がふたりを気にせず追い越していく中、燦と撥はためらいがちに目配せをした。


「……思ったより、人、多いね」

「だな。傘、開けないかもな」


 男女ふたつの体を持つ燦と撥がそれぞれ傘を差してしまえば、通行の邪魔になるのは明らかだ。かといって相合い傘をしたならば、傘の径が足りずに肩が濡れてしまう。


 ふたりは駆け込んだ屋根の下で、しばらく黙って空を見上げていた。


『……しょうがない』。流れる雨雲を見上げながら、撥がぽつりと呟く。諦めるような言い様だが、その語気はどこか楽しげで子供のようだ。隣の燦も何かを察し、準備運動のように肩を回して応える。撥は勿体ぶるようにその言葉を一瞬溜めた後、『遠回りをしよう』と燦に持ち掛けた。


「……そんな気分なんだけど、どう?」

「もちろん、私も。最初っからね」


 ふたりはそれぞれ傘を差し、人通りの少ない方、少ない方へと回り道を始める。誰にも迷惑をかけないように、そして、ふたりだけの世界を楽しむように……



【夕方、とあるマンションのキッチンにて】

【CAST:燦撥】


 一本のニンジンが、まるで紅葉色づく秋の山のようないちょう切りに。丸々としたキャベツも、その淡い色が春の野を思わせるざく切りに……

 手際良く包丁を振るうのは、燦と撥のふたり。包丁がまな板を叩くテンポに合わせたふたりの鼻歌は、まるで息の合ったデュエット曲のようだった。


 切った野菜をまとめ、油をひいたフライパンへ放り込む。撥が塩胡椒のケースを構えたところで、隣の燦が突然素っ頓狂な事を言い出した。


「……ねえ、私たちって、“塩”と“胡椒”のどっちかな?」


 時折、燦は撥をからかうようにくだらない事を言い出すのだ。まともに取り合ってしまうと彼女のペースに乗せられる事を撥は知っているため、彼はただひと言『どっちでもいいよ』とつっけんどんに呟いた。これで燦の悪戯心も治まるだろうと踏んでの発言だったのだが、撥は何となくバツが悪くなってしまった。『冷たすぎたかな』と燦の顔色を窺う彼の目に映ったものは、意外にも彼女のしたり顔だった。


「……何だよ」

「いやー、『塩対応』だなぁ~ってさ」


……その日の野菜炒めは、やけに味が薄かったそうだ。





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