『サラウンド・マッサージ』

「最近、肩が痛いんだよね……」


 ぐるぐると肩を回しながら、私こと『芽吹 珠美』は困ったように眉をひそめた。私はいわゆる“単眼の人間”なので、眉もひとつしかないのだが、とにかく眉をひそめた。

 そんなぼやきを聞いてくれているのは燦と撥だ。彼らとは自室のテーブルを挟んで1対2で向き合っているのだが、これは部屋が狭いからではない。彼らはそれぞれの片腕で体同士が繋がっている“ふたりでひとつ”の人間なので、離れる事はできないのだ。


「じゃあ、私たちが珠ちゃんの肩揉んであげるよ。いいよね、撥?」

「えっ、まぁ、俺はいいけど…… 芽吹さんは?」


 何だか催促してしまったようで申し訳ない…… と思ってはいたのだが、すでに私の顔は期待感で綻んでいた。今さら取り繕う事はやめて、『お願いしてもいいかな?』とひと言。燦と撥のふたりは一緒に立ち上がり、私の後ろに回る。私は首を差し出すように目を瞑ってうつむくと、ふたりのそれぞれの手が静かに私の両肩に乗せられた。


「じゃあ、始めるよ。くすぐったくても動かないでねー…」


 私の首筋から右肩にかけてを、燦の手のひらが流れていく。ほんのりと曲げられた彼女の細い指が、私の凝った筋肉の繊維を掻き分けていくようだ。力はそれほど込められていないのに、私の肩がほぐされていくのを感じる。

 燦はそれを何回も何回も、まるで髪を梳くように繰り返してくれた。一回一回はわずかな変化だが、それが逆に良いのかもしれない。準備体操を行うように、筋繊維が無理なく解されていく。滞っていた血流も、彼女の指の動きと共に流れ出したようだ。


「じゃあ、こっちも。……嫌だったら、すぐ言ってよ」


 そして、今度は私の左肩。こちら側では撥がその広い手のひらで肩を揉みはじめていた。燦とは違って太い親指が肩に押し当てられる。それがぐっと凝った筋肉にさし込まれると、まるで電流が流れるような鋭い痛みが首筋に走った。まさに凝りの本体を貫いたからか、痛みの後は肩の辛さがいくらか軽くなったように感じられた。


「珠ちゃん、どう? 気持ちいい?」

「うん、めっちゃ気持ちいい……  だけど、やっぱふたりの揉み方って全然違うんだね」


 私は何気ない感想を述べたつもりだったが、聞こえてきたのはふたりの驚き混じりの声だった。どうかしたのだろうか? 私が返事を待っていると、燦は慌てたように弁明し始めた。


「ごめん、芽吹さんには合わなかった?」

「ちょっとやり方を変えてみよう……」


 今度は、ふたりの手のひらがそっと私のうなじに添えられた。少し誤解させてしまったようで申し訳なかったが、それよりも次に行われるマッサージへの期待が上回ってしまった。これから何が始まるのだろうか?


「……じゃあ、準備はいい?」

「オッケー。始めは燦に合わせるよ」


 燦の合図に合わせ、ふたりは私のうなじから背中にかけてを手のひらで擦る。親指と残りの4本で首を挟むように掴む事で、私の変な姿勢のせいで固まった筋を整えているのだろう。

 ……この、力を込めた中にもしなやかさがあるのは燦の手だろうか。そしてその手が背中まで下りきると、もう一度首の上部に手のひらが添えられた。この乗せられた手の骨張った感じ、きっと撥に交代したのだろう。ただ、燦に比べて動きがどことなくぎこちない。私に触れる事に緊張しているのだろうか?  今までの人生、隣にずっと燦がいたはずだろうに…… 彼らの謎が深まりつつ、少し親近感も覚えてしまった。


 私からは直接見えないが、ふたりの軽擦は途切れる事無くスムーズに入れ替わりながら続いている。なんて息の合ったコンビネーションなのだろう。感心とほのかな摩擦熱の心地良さに、私はため息しかつけなかった。


「じゃあ、次は肩たたきしよっか」

「痛くしないように気をつけるからさ」

「あー…… お願い……」

 

 今度はたん、たん、たんと、ふたりの軽く握った拳が私の肩を揺らす。ただ叩かれているだけなのに、なぜこんなに気持ちが良いのだろう。まるで固まった砂糖の塊を崩すように、叩かれる度に凝りが小さくなっていくのが分かる。ふたりの息はぴったり合っていて、ペースは一切乱れない。一定のリズムがまるで催眠術のように私の意識を沈ませていった。


「……撥、ちょっと強すぎるんじゃない?珠ちゃん、左に傾いてるよ」

「えー、そんなつもりなかったけど。芽吹さんの力が抜けちゃったんじゃない? ……まあいいや。俺、反対の肩叩いて調整するよ」

「オッケー、じゃあクロスね」


 『クロス』とはおそらく、両腕を私の首の後ろで交差させて叩くのだろう。力加減から察するに、今度は右肩を撥が、左肩を燦が叩き始めたようだ。それでもふたりの腕が絡まったりする事は無く、本当は体がひとつなのではないかと錯覚するほどだった。

 手首のスナップを効かせて、燦と撥はリズムを刻む。燦が叩いて柔らかくした右肩では、撥が止めを刺すようにしっかりした衝撃を与えてくれる。一方の左肩は、撥に活を入れられた衝撃を落ち着かせるように燦が軽く叩いてくれる。このふたりでしかできない肩叩きに、私はすっかり虜になっていた。


「……はい、最後の仕上げ」


 あまり聞きたくなかった言葉と共に、両肩を首元から外側に向けて撫でられる。まさに憑き物を落とす様な動きだ。そして、ふたりは『お疲れさまでした』と声を重ねた。ああ、本当に終わってしまったのだ…… 残念に思う心を隠しながら、私はふたりに向き直り『ありがとう』とお礼を伝える。『どういたしまして』『またやらせてね』と笑うふたりは、目の細め方、口角の上げ方まで全く一緒だった。やっぱり燦ちゃんと撥くんって、気になる子だな。自身が“ひとつ目”だからか、私はふたつの体を持つ彼らに興味をそそられていた。 

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