『お雑煮の花』

 お雑煮を食べたい。どちらともなく発したその一言で、燦と潑の新年は動き出した。まだ研究所の教育センターにいた頃、一般社会にはそういった年始ならではの食べ物があるという事は知識として知ってはいたが、食堂の稼働が正月明けからだった為にふたりはついぞお雑煮を食べ損ねていたのだ。


 ダイコン、サトイモ、鶏肉、ユズにミツバ。そしてニンジン。必要最低限の材料を買い揃え、ふたりはレシピ片手に料理を始める。潑が野菜を抑え、燦がその包丁を振るう。ふたりがまるでひとつの体のように振舞う様子は、経験や知識以上の何か、無意識下での繋がりを感じさせた。

 しばらく料理を続けていると、燦が『ただ切るだけではつまらない』と言い出した。だが、潑はもう慣れたものだ。彼女が飽きるのをまるで予期していたように彼はさっと引き出しから“抜き型”を取り出し、それを輪切りしたニンジンに押し当てて"朱色の花"を創り出した。完成したその花はまさに“遊び心”だ。ふたりは童心に返ったようにその花を何輪も創り出した。


 ———


 お互いに一口ずつ味見をしながら整えた汁は、醬油ベースの関東風。これは桑都市に来て出会った友人に教えてもらったものだ。微かに湯気を立てるそのお雑煮の汁と具をお椀に注ぐ。立ち上る出汁の香りがふたりの鼻をくすぐった。


 そして『最後の仕上げに』と、燦はミツバを散らそうとした。だが、彼女の手は潑に制される。燦は彼の手に握られたままのおたまを見てその言わんとする事を察し、"もう十分"の意味を込めて首を振った。撥もその言外の意思を汲み取り、『継ぎ足すわけじゃないから』と宥めるように言った。

 ただ、お互いに言外の意思は汲み取れても、答え合わせが説明不足では分かるものも分からない。燦は明らかに訝しみ、『どうして足さないのにお椀を渡す必要があるのか』と撥に聞いた。


「花、入れるよ。燦にあげる」


 花。燦は反芻するように呟く。『花なんか入れたっけ』と鍋の中を覗くと、水面に散った桜めいて汁の中で揺れる、先ほど型抜きをしたニンジンが目に入った。燦が視線を上げると、どこか楽しげな撥と目が合った。彼女は思わず唸る。さすがに、もうこれで喜ぶような年齢ではない。撥もそれを分かっているはずだ。だが…… 彼女には彼の真意が掴みかねた。


「何てことないよ。せっかくきれいに煮えたんだしさ」

「……いいよ、別に。あくまで彩りだし…… それに、年甲斐もないっていうか」

「ふーん、恥ずかしいの?」

「恥ずかしくない! けど……」


 思わず口をついて出た反論を、燦は彼女自身の耳で捉え、そしてその浅はかさに後悔した。撥は"わざと否定すれば、むきになっている燦が言い返して来るだろう"と予想していたという事。そして、自身がそれにまんまと乗ってしまった事だ。

 2度目の答え合わせは必要無かった。撥はただ満足げに頷き、燦のお椀に朱色の花を足した。


「まぁ、いいや。俺は餅3つにするけど、燦はどうする?」

「……私は1つ。ニンジンの分、減らしといて」


――

――――


「いただきます」

「いただきます」

 

 燦は未だにどこか釈然としないものを感じながら、撥が支えるお椀に箸を伸ばす。色々あったが、暖かなお雑煮はやはり美味しい。程よく煮えたニンジンの花が口の中で散り、ほろ苦さを残していった。

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